そんなことを思った。

ぼんやりテレビを眺めていたら、若かりし頃に世界百数十カ国を旅したんだという人が出てて「あちこち旅をして、いろんな物事を見聞きし、貧しい方々を見てきたけど『貧しいんだな』ということしかわからなかった……」みたいなこと言っていた。
「わからなかった」って正直だなと思った。「わからない」ってことを「わかる」って大事だなと思った。わかったふり、知ったかぶり、そういうのなるべくしたくないなと思った。

先週末、ものすごい台風が来た。おそらく四十八年の人生で一番猛烈な台風だったろう。先月の台風15号の猛風によって傾いてしまった我が家のオリーブ。造園屋さんが剪定し補強して立て直してくれたのだが、予報では瞬間最大風速60mとか言ってて、これはもうまたやられてしまうんじゃないかと不安に慄いていたのだが、台風去りし後もビクともせず直立不動。朝日の中、その勇姿を眺めたとき、拝みたくなるような気持ちに駆られた。でも拝まなかった。

台風一過の青空の下。安堵の気持ちとあいまって、たまらなく気持ち良かったのだが、被災した方々のことを思うと罪悪感を覚えた。以前は、どこか遠くの人々のことなどかまうことなかったのだが、いつの間にやらそういう気持ちが芽生えるようになっていた。人はもしかしたらこれを成長と呼ぶのかもしれないなと思った。

股旅。

一人いればいい

小学一年生、六歳半の息子 倫太郎が近頃夢中なのはトカゲ。
近所の友達とあちこち駆け回って捕獲している。
大きさや色でレア度のランクがあるらしく、レインボーで大きいのを捕まえたらヒーローになれるようだ。
 
 
 
彼らが夢中で探しているのをぼんやり眺めていたら、何やら息子がむずかっている。
それもそうだ。
ただ一人の一年生なのだから、スピードもテクニックもまだまだ上級生に及ばない。
 
 
「オレにちょーだい!」
 
 
涙目でうったえている。
そんな一年生を、なんだよまったくさ〜と困り顔の上級生たち。
そんな中、一人の上級生が
 
 
「お前らそう言うのよせよ。年下なんだからさ。
俺たちが獲ってやろうぜ!」
 
 
と言ってくれた。
彼はきっとリーダー的存在なのだろう。
 
 
「よし!じゃあ、次獲ったのは倫太郎にあげよう!」
「オーッ!」
 
 
なんて急展開するから、子供って面白い。
 
 
その言葉通り、次に獲ったのを息子はもらった。
そのあと、みんなで何匹か獲ったのだが、一人だけ一匹も獲れなかったコがいた。
 
 
「倫太郎の一匹、ちょーだい!」
 
 
彼が言い出した。
息子は、私が獲ってあげた大物をすでに持っていたので、さっきもらったのを合わせると二匹が虫カゴに入っていた。
でも、息子はそれをあげたがらなかった。
 
 
「これ、オレのだもん!」
 
 
「ちょーだい!」
 
 
「やだ!」
 
 
二人とも、もう泣きそうだ。
それを見守る上級生たち。
 
 
すると、息子はキッと口を結び、虫カゴに手を突っ込み、さっき上級生たちからもらったトカゲを差し出した。
 
 
「大きいのはお父さんが獲ったのだからダメだからね」
 
 
「ありがとう!」
 
 
子供っていいな……と思った。
 
 
 
いじめの問題。
うちの息子に「採ってあげようぜ!」と声をあげてくれた上級生。
ああいうコが一人でもいれば、いいのだ。
一人だ、たった一人いればいいのだ。
 
 
 
それで救われる、思い、気持ち、尊厳、命がある。
そう思う。
 
 
 

いつの間にかそうなっている

年を重ねるにつれて、蚊に刺されても反応しなくなるのだよ……
 
 
こう言うと「んなまさか!またまた〜笑」みたいな反応をされることが多いのだが、これは厳然たる事実なのである。
 
 
幼少時に比べて蚊に刺されてもダメージ少なくなったよな〜と思いつつ、でも気のせいかなと私も思っていたのだが、息子の『危険生物図鑑』に
 
「赤ちゃんや幼児はゆっくり痒くなり、蚊に刺される回数が多くなるにしたがって、すぐに痒くなっていく。毎年、蚊に刺されながら年を重ねると、やがて反応も出なくなるんだぜ……」
 
と書いてあるのを見て「こ、これだっ!」と膝を叩きまくってしまったんだった。
 
 
うちの息子も、二、三歳の頃は刺されたその日は何でもなく、翌日にプクーッと赤く腫れ始めていた。
こんな腫れちゃって大丈夫なの?と心配したが、六歳になった今は、赤ちゃんの頃ほどは腫れない。
徐々に徐々に耐性がついてきているってことなのだ。
 
 
四十八歳である私は、蚊に刺されて「痒いぜ!」と悶えることもたまにあるが、それも束の間。
小一時間も経てば、痒みも赤みも一切の痕跡がマジックのようになくなっている。
十年、二十年後には、刺されても全く何も感じない超人になっていることだろう。
 
 
 
年を重ねてなくなったことが他にもある。
魚の骨が喉に刺さることがなくなったのだ。
幼少時はバッシバシ刺さった記憶がある。
それが今や全くナッシング。
これは経験により学び、刺さってしまう恐れのある魚骨を、目視で排除したり、口内で上手に捌けるようになったのであろうとも推測できるが、何より成長して喉の幅が大きくなり通過しやすくなったことが、その大きな理由であろう。
 
 
だから、ガッツガツ急いで白米を食べても喉につかえることも大人になってからいつの間にかなくなったのだなと推測される。
これまた幼少時はしょっちゅうつかえていたのを覚えている。
 
 
 
これらは「今まさにこの瞬間!」と自覚することなく、いつの間にか変化していったものだ。
きっと他にもそのようなことが多々あるのだろう。
 
 
 
いつの間にかそうなっている……
 
 
 
これもまた一つの幸福の形なのだろうな……
 
 
 
だなんて、よくわからないことをぼんやり考えている月曜日の朝である。
一昨日の土曜日に行われた息子の運動会は楽しかった。
子供達が一生懸命に走る姿を見るだけで、こみ上げるものがあった。
涙もろくなったものである。
 
 
「最後の運動会が終わっちゃったよ……」
 
息子が寂しそうにそう呟くのである。
 
「最後じゃないよ。小学校の運動会はまだあと5回もあるよ」
 
と私が言うと
 
「違うんだよ……一年生の運動会はもうないんだよ……」
 
と返された。
 
 
私はハッとしてグッときたんだった。
息子よ。
父さんは、その考え方を見習いたいと思ったぜ。
 
 
息子もまた、いつの間にかそういう感性を身につけていたんだった。
 
 
 
よしよし。

本日、DOODLIN’ BARBER SHOP 目出度くも15周年でございます!

本日。
目出たいことに我が DOODLIN’ BARBER SHOP が、あっと言う間の開店15周年を迎えました。
これもあれもそれもどれも何もかも、皆々様の暖かいお力添えとご指導とご愛顧とご支援のお蔭と心より御礼申し上げます。
どうもありがとうございます!

どこかのお店の15周年と聞くと「うわ〜スゲー!頑張ったんだな〜!めでたい!」と泣きたくなるぐらい思うのですが、自身のそれはそれほどでもなくて、でも支えてくれたお客様方、友人たち、そして家族への感謝の思いはますます溢れてて、まあなんちゅうか、自分自身のことは別にどこかに置いといていいやって気持ちになっているのです
これって何なんでしょうね。
クールに気取りたいんだぜオレはってわけでもないんですよ。

なんかね。
思いのほか、とても気分が落ち着いてますね。
感慨深いものはあります。
でも、高揚感ではないんですね。
すごく呼吸と脈拍が静かなんです。

なんだかね。
とてもそれが良い感じなんです。

そんなわけで、今後ともヨロシクお願いします。
DOODLIN’ は、相変わらず今日も良い音楽とグッドバイブレーションが流れることでしょう。

回りに溢れる愛に感謝します。

2019年10月5日 DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝

どこか別の世界へ

近頃、息子がヘッドフォンやレコードに興味を持ち出した。

ターンテーブルでピッチを早くしたり遅くしたりして、曲の雰囲気や歌い手の声が変化するのが面白いようだ。
もっぱら聴いているのは、ザ・ブルーハーツの3rdアルバム『トレイン・トレイン』で、特に好きなのが “青空” 。
ヘッドフォンで聴きながら、曲に合わせて歌っている。
三十年前、私が高校生のときに聴きまくっていたレコードを六歳の小学一年生が半ば陶酔気味に聴いている……
なんだかスペクタクルだ。
DJにも少し興味が湧いてきたようで、自分がやるなら一曲目はラモーンズの “電撃バップ” だなとのこと。
ふむ、なかなか分かっていらっしゃる
それなら確実に掴みはオッケーだ。
ココで息子は思いついた。
ヘッドフォンをつけてニンテンドースイッチは出来る?と言い出した。
もちろん出来るぜと言ったら、今すぐやるぜと鼻息荒くした。
ヘッドフォンを装着し、New スーパーマリオブラザーズ U デラックス を始めた途端、息子の嬌声が響く。
「うわースゲー!マリオの世界の中にいるみたい!」
その言葉になんだかグッと来てしまったのは何故だろう。
ヘッドフォンを付ければ、どこか別の世界に入れる……
そうなんだよ。
そうなんだよな〜