ありふれた奇跡

IMG_4575

近頃よく店内で流している福居良さんのアルバム『Scenaery』へのお客さんたちの反応がすこぶる良い。

 

 

YouTubeに「あなたこんなの好きなんじゃない?あはん?」とドヤ顔で薦められて聴いたのが今年の初めぐらいのことか。
どれどれそんなに言うなら聴いてやるぜとポチッとした瞬間に、ど頭かち割られるような衝撃を受けて、これはもうレコードで欲しい絶対欲しい!となったんだった。

 

 

それから、すぐさま鼻息荒く注文したものも、なかなか手元に届くことなく半年が過ぎ、やっとやって来てくれたのが今夏の初め。
待ちに待った甲斐があったもので、やはりレコードで聴くそれはまた新しい衝撃を与えてくれたんだった。
その疾走感とライブ感、あたかもそこでたった今演奏しているかのような臨場感がそこにあったんだった。

 

 

けれども、これは多分きっと相当な独り善がりな思い入れがもたらしたものなのだろうと思う。
でも、それでいいのだ。
それがいいのだ。

 

 

この福居良さん。
一昨年に六十七歳で亡くなっている。
この『Scenery』が発表されたのは1976年。
福居良さん、二十七歳のときのデビューアルバムである。
驚かされるのは、福居さんが初めてピアノに触れたのは二十二歳だったということ。
しかも独学で。

 

 

たったの五年でここまでの演奏が出来るのだろうか。
私もちょいとピアノをかじったことがあるからちょっとだけわかるが、これは信じられない神業だ。
それほど素晴らしい演奏なのである。
上手いだけじゃない。
いやもしかしたら、上手くないのかもしれない。
でも、ここまで心を昂らせてくれる演奏はそうそうない。
何がどうなったらこうなるのだろうか。

 

 

ここに至るまでそれこそ命懸けでピアノに向き合ったのだろうと思う。
気が遠くなる程、ずっとずっとずっと弾いたのだろう。
それでも、だからと言って誰でも出来る所業ではないが、時代とか空気とか環境とか、いろいろとないまぜになって奇跡を起こしたのだろう。
そんなことを想像していると、うっすら涙がこぼれそうになる。
我ながら気持ち悪いが、もういいオッサンなんで、これでいいと思っている。
多少気持ち悪いくらいがベリー最高にちょうど良い塩梅なのだ。

 

 

オッサンは甚だ気楽なのである。

 

 

何事もキーポン

IMG_4541

学生時代からの友人(元パンクス)が、自身が勤める老人介護施設で老人ロック合唱団を結成しようと奔走している。
(傑作ドキュメンタリー『ヤング@ハート』に大いに刺激されてだ)

 

 

まずはこんな歌を歌ってみませんか?
と云う感じで、お爺さんお婆さん方の前で歌ってみせたところ、これが大受け。
中でもとりわけ、ザ・ブルーハーツの歌が好評だそうで「これ、あなたが作った歌なの?」「素敵な歌詞ね」「新鮮だな」「息子がよく聴いてたな」「メロディーがいいわね」と絶賛の嵐。
それならもう、いっその事ブルーハーツの曲だけに絞って、まずは始めてみようと云うことになったのだそうだ。

 

 

わかりやすい言葉、すぐに口ずさめるメロディー、そしてそこにある真っ直ぐなメッセージ性は、うちの息子が惹きつけられたように老人たちの気持ちもすぐに掴んだようだ。
我々が思っている以上に、老人たちの感性は柔軟で、好奇心も旺盛なのかも知れない。

 

 

ザ・ブルーハーツの中心メンバーだった、甲本ヒロトと真島昌利は今 “ザ・クロマニヨンズ” で活動している。
このクロマニヨンズ、何となくは耳を傾けてはいたのだが、あまり私の中に入ってきてはいなかった。

 

 

まあ、いいよね……
アルバムも、全部は聴くことはないか……

 

 

そのぐらいのスタンスで対峙していた。

 

 

それが突然この頃グイグイ入って来るようになったのだから、人生というのはわからないものである。
息子とのドライブでのBGMにと、クロマニヨンズの “Oi! Um bobo” を気まぐれに流したところ、息子と二人でガツンと打ちのめされたのだ。
いきなりに。
突然に。
雷が落ちたように。

 

 

それから、クルマを走らせるときのバックグラウンドミュージックは欠かさず “ザ・クロマニヨンズ” をナイスチョイスしている。
前述の元パンクスの友人にお願いして、持っていないアルバム、レコードで所有しているアルバム(“ザ・クロマニヨンズ” のアナログ盤にはダウンロードコードは付いてないのだ)のCDを貸してもらった。

 

 

どれもいい。
なんかいい。
たまらなくいい感じだ。
何これ?
なんでなの?

 

 

 

三十数年前、中学生の頃から夢中で聴きまくっていたザ・ブルーハーツ。
それから、ザ・ハイロウズ → ザ・クロマニヨンズとバンドを変えつつも、ずっとずっと歌声を届けてくれる甲本ヒロト先輩と真島昌利先輩。
しかも、自分の息子まで好きになりかけている。

 

 

これってすごいことだなと今あらためて思いっきり感じ入っている。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た後に、クイーンをずっと好きで良かったと思ったのと、同じようにずっと好きで良かった。
これもまた意味は多少違えど “継続は力なり” ってことなのだと思う。

 

 

何事もキーポン。
これが大事。
これが大切。
ここに価値が生まれる。

 

 

股旅。

遠目でぼんやり眺めている、それだけで充分。

IMG_4498

あれは今年の夏。
あまりの猛暑過ぎてクタクタになっていた晩夏の頃のことでした。
イラストレーターの花井祐介さんがスケーターのSteve Caballero(スティーブ・キャバレロ、とってもカッコ良くて憧れてしまうような方、54歳ってのがまた嬉しい。こういうカッコイイ先輩がいるとうきうきしますね)のフィギュアを作ったって知らせを受けて、それはもう何はともあれ欲しいぞと思い、テンションアゲアゲですぐさま予約したのでした。

 

 

 

それが届いたのがつい先日。
期待通りの出来にホクホクが止まらないわけです。
はてさて、じゃあどこに飾ろうかしら。
おっと、その前に開封しなくちゃだ。
いや、すぐに開けてしまうのもなんだかもったいないぞ。
だなんんてジタバタしているのが楽しい。

 

 

 

何しろフィギュアなんつーのは、全く生活必需品でもなんでもないわけで、興味のない人にとっては「なにこれ?これがどうした?あはん?」としか思えない代物なわけです。

 

 

“無駄かどうか決めるのは自分自身だぜ……”

 

“無駄の中にこそ宝があるんだぜ……”

 

 

そう大好きなあの人たちの言葉を心内で幾度か反復したりして、それもまたいと楽しなわけです。

 

 

その前に、テッペー、お前がなぜあのスティーブ・キャバレロなんて好きなんだい?
とクレバーなあなたは思うでしょうね。
それが自分でもよくわからないのですが、若かりし頃からスケーター文化への憧れがとても強くありましてね。
その匂いと云うか雰囲気と云うか、ファッション、アート、音楽、スケートボードを取り巻く空気感全てがなんだかとても魅力を感じるのです。

 

 

じゃあ、自分でもやれよ!

 

 

僕も何度もそう思いましたが、結局やらずじまいなママ現在に至っています。
ビビリなもんで怪我が怖いからです。
それと自分がスケボーが似合う気が全然しなかったからです。
この辺に関しては、我ながらナイス自己判断だと思ってます。
遠目で憧れている感じでいいんです。
それで十分満足なんです。

今日もまた順調に“ふ”としている

IMG_4468

今朝、ふと思い出した。
学生時代、キャンパス内の人目につきにくい非常階段の踊り場で、テントを張って三週間ほど生活していた奴がいたことを。

 

 

クラブハウスのシャワーを使い、食事はキャンプ道具一式を取り揃えていたので、自炊したり、売店で買ったりしていた。
その目的や意味なんてのは訊かなかった。
ただ、そんなことやったら “面白い” 。
その思いだけが彼が突き動かしていたのだと思う。

 

 

 

日が暮れて、キャンパスから人が消えた後は読書などをしていたらしい。
警備員が巡回しているから、迂闊に行動はできない。
トイレはギリギリのタイミングで済まし、音楽はヘッドフォンで微音で聴いていたそうだ。
時には、便意に負けることもある。
ってことで、それ用のビニール袋まで用意していたのは感心した。

 

 

晴天の夜には素晴らしい夜空が眺められたそうだ。
彼は徹底的に一人を楽しんでいた。
そのテントを張った場所から得られる様々なもの全てを独り占めしていた。

 

 

彼のこの試みは、生活のすぐ近くに絶景と冒険があることを私に教えてくれたんだった。
私は彼が羨ましかった。
自分もそんな誰も思いつかない、誰もやろうとしないことを自分だけで行動に移したかった。
でも、やらなかった。

 

 

 

今思えば、やればよかったと思う。
真似すればよかったのだ。
パクればよかったのだ。
多少、嘲笑されるかもだけど、そんなのやってしまえば屁でもなかったはずだ。

 

 

若かりし頃はこういう尊い潔癖さがあった。
年を重ねるにつれて、図々しさもつのり、人真似なんてのは余裕綽々でできたりするから不思議だ。

 

 

かといって、若かりし頃に戻りたいわけではない。
ただ、もうちょい冒険しとけばよかったかなとは思う。

 

 

 

フランシス・フォード・コッポラが三十三歳で『ゴッドファーザー』を撮り、マーティン・スコセッシが三十四歳で『タクシードライバー』を撮ったと言う仰天極まりない事実を思い出した十二月の冷たい雨の朝に。

 

 

 

三十三歳、それは私がDOODLIN’ BARBER SHOP を開店した年齢なのである。

 

 

話が支離滅裂になってきたところでクールに去ろうと思う。

 

 

 

股旅。

なりたいようになれるものだ

IMG_4446

老眼鏡がまた逝ってしまった。
でも、また同じものを使うことにした。
若かりし頃の自分だったら、どうせならと違うものにアタックしていただろうけども、四十路半ばを過ぎた今は冒険をしなくなった。

 

 

気に入ったものを使い続ける。
たとえそれが壊れたととしても、同じものを手に入れる。
そんな風に出来たら良いなと思いつつ、これがなかなか出来ずにいた。

 

 

その対象となるものが老眼鏡がとなるとは予想していたなかったが、老眼鏡ってのが良い塩梅だなと我ながら思う。
いや待てよ。
すでにワークキャップも同じものを使い続けていたことに今書きながら気がついた。
おっと、そういえば仕事用のシューズも adidas の campus をここ数年潰れたら履き替えを繰り返して使用しているな。

 

 

もし、なりたい自分に少しずつなれているのなら、それは幸福なことだなと思う。

 

 

画像左は、デストロイされた老眼鏡を着用したもの。
心なし、口角も下がり気味でテンション低めな表情だ。
画像右は、新しい老眼鏡を着用している。
こちらは、そこはかとなく嬉しそうな雰囲気である。

 

 

人の心というものは、誠に正直なものだなと嘆息するばかりのエブリデイだ。