Laugh now , but one day we’ll be in change

年始のこと。
ふと立ち寄った画材店で、BANKSY の作品ポスターいくつかを額装したものを発見。
こりゃイイやと “Laugh Now” を勢いで購入した。
(と言っても信じられないぐらい格安ですが)

この猿が
『Laugh now , but one day we’ll be in change(今は笑え、しかし、いつかは我々が取って代わる)』
というメッセージが書かれたボードを首から下げている作品。

これが胸にプリントされたTシャツを、十五年前、DOODLIN’ BARBER SHOP をオープンした頃に買ったんだった。
そのメッセージと共に BANKSY というアーティストの存在にグッと来るものを感じたからだ。
なので、今の店の壁に、この作品が掲げられていることに一人静かに感慨に耽っている。

いっとき、なんだか BANKSY 作品を店に飾るってどうなのよそれ?と斜に構えたこともあったが、何周もグルグルグルグル廻って、今なんだかとてもイイ。
以前にも増して、とても胸に迫るものがある。
並行して、バスキア作品にも胸をまた熱くしている。
グルーっと廻ってまた燃えてくる……
これってなんなんだろう。

そう言えば、いっとき、タランティーノ作品に対しても非定的な態度をとっていたこともあった。
今となっては、とんでもなく恥ずかしい。
その気持ちの奥底には、憧れとか嫉妬とかいろいろあったんだろうけども、タランティーノに嫉妬している自分に対してドロップキックを喰らわせたい。
お前、いったい何様なんだ?と。
笑わせるぜと。

こういうのって多分歳を喰った証なのだろう。
四十代半ばぐらいから、なんだかちょっと分別つき始めちゃっているのを感じる。
諦めとかでは全然なくて。
なんだか、噛みつくことがなくなったな〜って。
でも、それを失くしたとも思ってないし、若い頃は良かったよね〜なんて思いは皆無だし、ただただ恥ずかしい思いに満たされているばかりなんだけど、なんだかこういうのイイよね。
ふふふ。

今またグルーっと廻って再びイイもの。
そういうものが他にもないか探してみよう。
そして、もし見つけられたら、それを大事にしよう。
次また、自分が元気なうちにグルーっと廻って来てくれるか、どうかわからないからね。
いや多分、来ないだろうからさ。

再びのものに限らず、ともかくグッと来たものは大切にしていこう。
自分の「グッと」を信じよう。

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