変わったのは自分だった

ここ数年、夕焼けがやけに眩しくなったなと感じてて、うむ、これはきっと大気がどうかなっているんだな……

と地球規模の環境危機を憂いていたのだが、他の誰かに話してみても「ん?」という反応しか得られない。

なぜだ?もしや宇宙人がオレの知らぬ間にオレの身体で人体実験を?まさかオレの身体のどこかにチャクラが生じるのでは?

とワクワクしていたのだが、ある機関の調査により、どうやらこれは自分の老眼の影響らしいと判明したんだった。アッチョンブリケ。

周囲が変わったと思っていたら、実は自分自身が変わっていた……

こういうことは、これ以外のことでもよくあるよなと感じる。

そうだ、これはあれだ。これはまさしく茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」で書かれていることだなと思った。

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

これだな……

夕焼けが眩しいのを環境破壊のせいにするななにもかもみずからの老いのせい

これだよ……

そんなわけで先日四十九歳になった。そしたら次兄から『復刻版 ザ・ブルーハーツ写真集』を戴いた。欲しかったから嬉しい。自分から自分への贈り物としては『使ってはいけない言葉』(忌野清志郎著)を進呈。『吉里吉里人』(井上ひさし著)は、甲本ヒロト先輩とタモリさんがテレビで「面白いよね〜」と言っていたので、この二人がそう言うならと鼻息荒くゲットしたのだが、ずっと読めずにいたので、ここいらでガッツリ読もうと企んでいる。『邂逅の森』(熊谷達也著)は、敬愛するデザイナーさんが勧めていたので手にとった。

ネットをブラブラしていると「今読んでいる本、これから読もうとしている本」を紹介している人を多く見かけてて、なんでかな〜ああそうだ、みんな自粛で自宅待機を強いられているから、本を読む機会が増えているんだろうな〜って気がついた。なるほどである。

股旅。

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