折り返し地点はとうに過ぎているのであった

どうもこんにちは。

私事で至極恐縮ではありますが、本日華麗にさりげなく五十歳にならせていただきました。

私ごときが五十路突入ってそれってどうなのよ?ちょっとした軽犯罪じゃ?

って気分は満載ではありますが、まあいいじゃん。そんなもんじゃん。ジャンバルジャン。そんな気分です。

しかしまあ、ともあれ感謝。この一言に尽きます。この五十年、ビックリするぐらいあっちゅう間でしたからね。でも、確実に折り返し点は過ぎているわけで、これから五十年生きることはない……

なんてことをぼんやり考えると遠くから幻聴のようにレゲエのリズムが聴こえてくるから困ったもんだ。

この、私が握っているのは、スケーターのスティーブ・キャバレロのフィギュアなわけでして。なんだかね、私に「こんな五十代でありたいな〜」と思わせてくれるカッコイイ人なんです。

これを見た息子(八歳)が「お父さんに似てる!」と言ってくれましてね。なんかこうね。自分が望む道、目指している道を歩けているんじゃ?もしや?まさか?なんて思えたんです。嬉しいです。

たまたまなんですが、ネットを徘徊していたら

「年齢なんか何年生きたか分かるだけで、″どう″生きたかは分からないよ」

なんて言葉を見つけて、ホホ〜なるほどと感心してたら、どうやらこの言葉、ローランドさんが発したものらしいですね。

二十歳以上も年少の方の言葉に心動かされる……

イイじゃないですか。なんだか嬉しくなっちゃいます。

そう、私は五十年生きてきたことは確かなんですが、じゃあそれが年齢に見合う年月だったのかどうかって問われたら、まあまあ……いやまだまだだと答えざるを得ないのは大いに不本意ではあるが、これが現実なのであります。

ともあれ、頑張りますよ。それしか出来ないですし。今しか僕にしか出来ないことがあるはずなんで、それをどうにか見つけてやっていこうと思います。

これが私の五十路突入の決意表明です。

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