くだらないの向こう側

近頃また本が読めている。

「いや、ちょっとこれ無理っす!」

と途中で読み進められなくなった『千年の愉楽』(中上健次著)を再び手に取った。
相変わらず凄まじい筆致なのだが、今は読める。

読んでいるうちに、体の奥底にモワワーンと澱みが出来る感じも、今は悪くない。
むしろ心地良いくらいだ。

で、読みながら微音で MOGWAI を流したりしているんだが、オレはハッと気づいた。

多分オレは MOGWAI を流しながら、中上健次を読む……
そんな自分が好きで、そんな自分に酔っ払っているのだ。
本当に本質的に好きなのではない。

あ〜オレ入っちゃっているね〜イイよ〜イイ感じ〜

と泥酔しているだけなのだ。
こういう人の深淵に触れるような作品ではなく、ペラッペラでスッカスカのものの方が本来好きなのだ。
わかったよ。
わかちゃったよ。

でも、それが悪いってことではない。
恥ずかしいことでもない。
そんな自分もいるよね〜って気づいていればオッケーだろ。

こんなふうに考えられるようになったのも、五十歳になったからかしら。
うふふ。

そんなわけで、オレは『男気の作法』(ブロンソンズ著)を手に取るのだ。
この清々しいくらいの しょうもなさ &くだらなさ。
これだよ、これこれ。

誰かが、くだらないの中に愛がある……
なんて歌っていたが、あれホントだな。

くだらなさの向こう側に何があるか……
あれがあるのよね。

でもね。
人間、時にはシリアスなのも必要ね。
いつも、ふざけてばかりだとバカだと思われちゃうからね。
バカだと思われるのが大嫌いな馬鹿だから、難しい本読んで「ふ〜む……」なんつって憂いたりするのよ。

楽しいね。
うん、すごく楽しい。

股旅。 

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