そこに音楽があるから

海外ドラマ『 The End of the F***ing World/このサイテーな世界の終わり』を観てたら音楽がとても良くて、調べてみたら、ブラーのギタリストであるグラハム・コクソンが音楽担当だと判明し、胸が躍り熱くなった。

と同時にとても大切なことに気づいた。

僕は多分、いや、かなり音楽が好きな人間の部類に入るんじゃないかと自負している。
何に気づいたかというと、そんな自分の音楽との関わり方についてだ。

ともかく何でも、いや、世界の全ての物事を僕は音楽を通して見つめていることに気づいた。
もの凄く今更だが、やっと気づけた。

好きな本も絵も映画も、全部「自分が音楽を感じられるかどうか」が自分的善し悪しの判断基準になっている。
店はもちろん自分が音楽を感じるものしか置いてないから、店内は音楽で満ちている。
作る髪型も、そこに音楽を感じられるかどうかが重要で、そうじゃないものは作りたくないし、作れない。

ココで大事なのは、あくまで自分がどう感じるかが基準ってこと。
他者がどう思うかは関係ない。

そんな音楽感じないけど……

とポカンとされても、全然構わない。
ようは自分がどう感じるかだけなのだ。

妻さんの手料理を食べているときも音楽を感じている。
散歩をしているときも、息子とお風呂に入っているときも、トイレで用を足しているときも、そこに音楽がある。

僕の生活は、音楽をベースにして、そして音楽に包まれている……

そんなことに気づいたんだったんだったん。

映画やドラマを観ていて「あ、この曲いいかも!」と感じられるってのは、自分的にはこの上なく幸福なことだなぁと。

あ、全部音楽で成り立ってるじゃん!

気づかせてくれた『『The End of the F***ing World/このサイテーな世界の終わり』に感謝だ。

こういう最高な瞬間が突然訪れる。

これもまた音楽の成せる魔法なのかもしんまい。

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