神は何処に宿るのだろうか。

近頃、ちょくちょくプラモデルを作っている。
小学四年くらいから小学校を卒業するまで夢中になっていた趣味の復活である。

随分ドップリ浸かっていた印象なのだが、たかだか二、三年だったとはな。
うむ、それだけあの年頃ってのは濃厚濃密な時を過ごしているということなのだろうな。
今だったら十四、五年続けている趣味と同格くらいなのではないかと感じる。

中学生になり勉強が本格化し、部活も始めると、プラモデルを作っているどころではなくなってしまったんだった。
思い返せば、あのときいろんなことを手放してしまったな。
プラモデルをやめ、プロレスを観るのをやめ、ガンダムの新作にも目もくれず、アニメージュやホビージャパン、コロコロコミック、コミックボンボンの購読もやめてしまったんだった。

私があの道をあのままひた走り続けていたら……恐らくモンスター級のオタクになっていただろう。
想像するとゾッとするが、それと同時にそれもまたアリだったんじゃ?とも思う。

で、今。
四十年ぶりにプラモデル制作に精を出しているのだが、今の自分の仕事にも通ずることが沢山あるよな〜と感じている。
私の仕事はプラモデル作りに似ているところがある。

プラモデルは組立説明書通りに作れば、とりあえずは形になる。
髪を切ることも同じで、マニュアル通りにすれば、とりあえずは形になる。

でも、そこで終わらせてはいけない。
プラモデルだったら、塗装してディテールアップして、改造して、ウェザリングして、それで自分の作品になる。
ヘアカットも然りだ。
自分なりの工夫やアイディアを加えて、初めて自分がカットする意味が生じると思うのだ。

プラモデル制作で気をつけていることがある。
見えないであろうところから丁寧に正確に作るということだ。
そこを手を抜くと、完成時にイマイチ締まらなくなる。
なんだかボヤーンとしちゃうのだ。

これが見えないであろうところも、きちんと作ると、あら不思議。
なんだかギュッとソリッドに引き締まるのよね。
全然見えないところであればあるほどそうなるのだ。

ヘアカットも同じである。
お客さんが気にしないところ、お客さんが見えないところこそ、ちゃんとやらなければならないのだ。
なんつって。

そんなわけで、プラモデル制作ってのはとっても勉強になるのである。
人生においても、生活においても繋がる大切な何かを学べるのだ。

イイぜ、プラモ作り

🫡

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