俺的新しい一歩

おはようございます。
六年前。
これこれ!これなんだよ!
と鼻息荒く購入したイエローのワークキャップ。
今や、DOODLIN’ BARBER SHOP 店主のトレードマーク的帽子になったんじゃないかと自負しているのですが、そう思っているのはどうやら自分だけのようで、でもそれがちょっと嬉しくもあったりもするから、人の気分なんつーのは不可思議なものです。
それはもう、かぶりにかぶり倒したので、色褪せ、汗ジミ、穴開きほつれとなかなかの味が出まくりで、さすがにいい加減そろそろ潮時かな……
と思ったのですが、とても気に入っているので、よしじゃあ色違いのグリーンを注文しよう!そうしよう!
と一度決めたんだけど、なんだかこのイエローに未練タラタラで、でも全く同じものをまたってどうなのよ?
と自問の深い淵にハマり込んでいたのです。
そんな相談をふと妻さんにしましたら「イエローでいいじゃない!」と即答されまして、一体全体オレは何を惑い迷い悩んでいたんだ?
と一瞬でなりまして、ビシッとまたしても同型同色のものを再注文したのでした。
それが届いて、新品のワークキャップを手に取った瞬間、やっぱこれだよな!と大満足。
背中を押してくれた妻さんと、同じものを作り続けてくれているDECHOさんに感謝の気持ちでいっぱいなのです。
同じものを色違いで揃えるってことはしたことあるのですが、全く同じものをもう一度買うのは、これが初めて。
自分的には、とてもとても大きな新しい一歩なのです。
今月頭に四十六歳となった今。
さすがにもう人生の折り返し地点を通過していると思うので、これからの残りの人生はもう「余生」と言っても過言ではないかと。
なので、自分が気に入ったものだけをずっと身につける、色違いのものをナイスチョイスなんつーヤワなことは言わずに、一度気に入ったら、とことん同じ型同じ色のものを選ぶっつーハードボイルドなライフスタイルを目指そうと思います。
そうなると、いっそのこと、二つ、いや三つぐらいオーダーしちゃおうかしらん!
とも思ったのですが、ギリギリ踏みとどまりました。
これからまた六年後も、DECHOさんが同じものを作っていることを期待して。
手に入れなかった時は、それもまた良し。
愛着持ってこだわり続けはするけれども、執着するわけではないので、その辺は拍子抜けするぐらいにアッサリしていたいもんです。
なんだか激しく矛盾していることを言っているようですが、良いんです。

それにしても、LORD ECHO の3rd アルバムの「HARMONIES」が良い。
この時季に見事なぐらいハマりにハマった音の調べ。
良いな〜こういうの。
さてと。
明日には、待ちに待った「Works & Labo.」さんから二周年記念Tシャツのサンプルが届くのです。
今月一杯、予約注文を受け付けて、それから数量決めて発注。
来月半ばの頃には見事納品と言う筋書きであります。
ああ、楽しみ。

では股旅。

Happy Songs For Happy People


どうもこんにちは。
 
こう初夏のような陽気が続くと、お客さんからの要望も多々あり、店内 BGM にSKA が流れる頻度が上がってきた。
 
いやはや、やっぱり良いな、SKA。
SKA、好きだな、オレ。
 
せっかくだからレコードで聴こうと、ドン・ドラモンドの「In Memory of Don Drummond」をかけると、店内の空気は一変。
ユラリユラユラノンビリダラダラ。
こいつが労働意欲をグングン急上昇させやがるから最高だ。
 
そしたら、お客さんが「これって何十年代の音楽なのですか?」と訊くので、「六十年代の頃ですよ」と答えつつも、ちょっぴり自信がなかったので調べてみると、やはり六十年代の録音だった。
じゃあついでにと、ドン・ドラモンドの生い立ちと経歴を調べてみると、
 
“精神的に異常がみられ、1964年には恋人を殺害し、1969年に39歳で死亡するまで、精神病の施設で暮らした。
公式の死因は自殺だが、政府の陰謀説や他殺説もある……”
 
だなんて書いてあって、白目をむいて凹んだ。
 
 
ハッピーな音楽と見せかけて、実は影を感じさせ、そこがまたたまらない魅力である SKA 。
ドン・ドラモンドの人生が、そう感じさせる一因のひとつのような気がして心震えた。
 
 
もしかしたらこの世にハッピーな音楽なんて存在しないのかもな……と思ったので、ファレル・ウィリアムス の「Happy」のPV を観ることにした。
 
「ハッピーな音楽なんてない? そんなことないぜテッペー! オレがそれを証明してやるよ!」
 
とファレルが歌いかけてくれるような気がしたからだ。
 
 
♪悪いニュースってがやってきて
あれやこれやと言ってくる
ああそうだな 
言いたいことがあるんなら
遠慮せずに言っちまえ
そうだな でも言っとくけど
何を言われても平気だね
はいはい あんたには悪いけど
そんなことしたって時間の無駄だぜ
どうしてかって?
 
ハッピーなんだよ
浮かれる気持ちを抑えたいけど
ハッピーなんだ
 
この浮かれる気持ちを抑えたいけど
どうやっても無理なんだ
もうちょっと落ち着きたいけど
嬉しすぎてどうしようもない
 
この浮かれる気持ちを抑えたいけど
どうやっても無理なんだ
とにかく落ち着きたんだよ……♪
 
 
なんなのこれ?笑
笑っちゃうぐらいにハッピー全開だ。
ここまで、ウホー!シ・ア・ワ・セー!と絶叫されると痛快である。
 
やはり、ハッピーな音楽は存在した。
どうもありがとう、ファレル。
 
 
本日は定休日。
色々とやらなくてはならないことがあることに感謝。
 
 
股旅。

これは俺なりの人としての志

妻が選ぶ息子のスニーカーがいつもカッコイイ。
ちょっと羨やましいぐらいにだ。
 
実は、二年前にも息子はこのホワイトの MoonStar を履いていた。
かなり気に入っていたのだが、阿呆な父親が、息子をチャイルドシートに乗せる際に、スニーカーをついうっかりルーフに置き忘れたまま発進。
気がついたのは翌朝っつーんだから、もうバカが止まらない。
せめてもの償いに同じものをと探してみるも、このホワイトはどこも完売。
そして僕は途方に暮れたのは言うまでもないのである。
 
代わりにと購入したブルーも良かったのだが、やはりホワイトの持つ清潔感とクールさに未練タラタラだったのだ。
 
そして今日。
ふと玄関をみると、今現在の息子の足サイズにジャストフィットな MoonStar が爆発的にさりげなく置いてあったから驚いた。
 
妻が息子へのプレゼントとして注文していたのだ。
粋である。
とことん粋なのである。
 
息子が幼稚園から帰ってこれを見つけたら……
小躍りして大喜びするのが目に浮かぶ。
良かったな、息子よ。
 
 
しょうもない父親は、仕事用にと愛用している adidas campus が、もう限界!
ってことで、オレンジ色の adidas campus をゲットした。
これで自分史上 adidas campus は四足目になる。
姿形、履き心地、醸し出すムード。
どれをとっても完璧な逸品だ。
今後もずっと履き続けることだろう。
 
俺のアディダス。
 
踏み込むとき。
踏み切るとき。
駆け上がるとき。
転げ落ちるとき。
 
まさにこの adidas campus は、俺なりの人としての志なのである。
 
 
息子も、このオレンジの adidas campus を見てカッコイイと言ってくれた。
息子よ、俺もそう思うぜ。
妻も、このオレンジの adidas campus を見つけた際に「どうかな?」と訊いたら「イイんじゃない!」と言ってくれた。
妻よ、どうもありがとう!
 
 
父さん、これ履いて頑張る!

自問自答の末そう結論した

ふと思いついて、早朝にぼんやりと移転直前に撮った写真をながめていた。
 
これがこうなって、ああなって、こうなるのか……
 
たかだか二年弱ではあるが感慨深い。
 
人生の先輩方に耳にタコが出来るぐらい聞かされてはいたが、本当に時が経つのが年々早く感じられるようになっている。
たかだか二年などと言っているが、子供の頃の二年なんて果てしなく長く感じたものだ。
 
何を始めるにも遅すぎるってことはないんだぜ……
 
だなんて言葉は、希望を胸いっぱいに突き詰めればそうであるのかもしれないが、実際は無慈悲なタイムリミットがあるっつーのが圧倒的リアルなのである。
 
ここは「圧倒的現実」と書いてもよかったのだが、出川哲朗先輩が多用する「リアルに〜」が、なぜだか好きなので使った。
先輩の使う「リアルガチ」って表現も好きなのだが、素人さんがテレビなどで「ガチで〜」とか言っているのを見るとチリチリする。
そこに相撲やプロレスへの愛がちょっとでも感じられるのならイイんだけども、圧倒的にそれが微塵も感じられない場合が多いからキリキリする。
 
何を小さいことを言っているのだね、床屋のおやじさんよ!
 
と後ろ指さされようとも全然構わない。
こういう小さいことをクドクド言っていこうぜ!
と、さっき自問自答の末結論したからだ。
 
 
話は変わるが、今夢中になって観ているテレビ番組が二つある。
キーワード録画予約までして、再放送も含め毎回決して見逃さないようにしている。
この二つの番組は僕の中にズカズカ土足で入り込んできて、大暴れして、嵐のように通り過ぎていく。
しかし、その後味は極めて爽快。
ときにグッサグサと心身をえぐられるけど、それもまた痛みを存分に伴って痛快なのである。
そして観終わった後、なんだか人に優しくしたいなぁ、優しくありたいなぁと思えるのだ。
そんなすごい番組今まであったのか?
あったのだろうけども、僕は出会えてなかった。
 
 
しかし敢えてその番組名はココには書かない。
以前の僕だったら得意げにゲへヘーなんつって、書いていたのだが、もう書かない。
これも今さっき自問自答の末結論したからだ。
 
 
それより何より話そうじゃないか。
髪を切りながら押し黙って静かに音楽に耳を傾ける……
そんな仕事っぷりに憧れる思いもあるけれども、僕はやっぱり話したい。
わざわざ、この所沢のチベットと言われる三ヶ島まで足を運んでくれるお客さんたちと喋りたいのである。
 
 
お客さんたちから学ぶことがたくさんある。
その分、僕からも何か得て欲しい。
そのために、本読んだり、映画観たり、音楽聴いたりしてると言っても過言ではない。多分。
 
 
結局、僕にはそんな店しか出来ないのである。
たった今、これを書いているうちにそう結論したのだ。
 
 
DOODLIN’ BARBER SHOP。
四十六歳のおっさんが、たった一人で、たった一つの床屋椅子でやってます。
イイ音楽、時々、おっさんのしょうもない話。
そんな感じの店です。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 拝

質のよい傲慢さか……

店前フェンスに設置したプライスボードが、狭山丘陵十八番の強風にデストロイされてしまったので、空き時間に福生までブロロンと走り、もう一つのレターボードを買ってきた。
 
さて付け替え変えましょうかね……と作業に入ったのだが
「ん?これをこうしてこうすればイケるんじゃね?もしかして?」
とナイスアイデアが閃き、やってみたら見事修復完了。
 
こうなると、せっかくゲットしたレターボードが御役目御免となるわけで、さてどうする……と思案してみたのだが、結局出てきたのは、DOODLIN’ BARBER SHOP ではこういう音楽を流してますよ〜的なのを作るかっつー極々平々凡々なアイデアしかなく、んじゃまあしゃあないな、それでいいやと地道にせせと作ってみた。
 
でも、これが作り出してみると楽しい。
音楽のジャンルを表す言葉ってのは魅力的な響きを持っているもんだなとあらためて感嘆。
そのスペルも造形的に収まりが良いから面白い。
特にジャンルってものに拘ることなく、自分の感覚だけで「好き」を信じてやれているんだな〜ルルルラララと実感出来た。
 
こんなの店壁に掲げていても「ふ〜ん、そうなんだ!」と受け止めてくれる方なんてほとんどいないだろうけども、なんだか店の裏コンセプトを表しているようだし、店主自身が大いに満足しているのだから、ならば全て良し良しだ。
 
ジャズが似合う店にしたい、そんな店の店主になりたいって願いを込めて屋号に、大好きなジャズの曲名「DOODLIN’」を入れたのだが、ご覧の通り、その正体はゴチャ混ぜミクスチャーのオルタナティブ野郎なのだが、でも、そうではあっても自分的には一本ビシッと筋が通っているつもりだ。
 
 
後は、これが他の誰からも、その極太の一本筋が見えるようになるよう日々精進鍛錬だ。
 
 
ふと新藤兼人監督の言葉が浮かんだので、ここに記す。
 
 
「僕は映画を作っている若い人に、こんな風に言うんです。
シナリオを書いて、ダメだと言われた時に、自分でダメだと思わないで、いいシナリオなんだけど人が見損なっているんだ、というふうに思ってくれと。
自分で自分を負けに追い込むようなことを思わないでくれ、自分の才能は優れているんだ、そのうちいいものが書けるんだと思ってくれ、と。
 
シナリオがダメだと言われたときに、自分が落ち込まないようにするための枷をちゃんとつくりなさい。
才能がないと誰かに言われても、自分は自分が思っているだけのものを持っているんだから、人にないものを持っているに違いないんだから、それを信じなさい、それは思い上がりじゃない。
 
人が持ち上げてくれるわけはないから自分で自分を持ち上げる。
そういう質のよい傲慢さというものが必要なんじゃないか……」
 
 
 
それでは股旅。