年相応とは……

このまま順調に行けば来月上旬に四十六歳になる床屋のおやじさんは思うのである。
 
私にとっての年相応とはどんなもんなのだ……と。
 
これまたおやじ臭くなったもんだね〜
と後ろ指さされるのもイヤだ。
 
いやはや若作り痛々しい限りです!
と陰口叩かれるのもごめんこうむりたい。
 
音楽映画書籍の類いのものに関しては、そんなに心配していない。
背伸びすることもなく、若干幼稚なものに手を出すこともなく、四十路半ばに相応わしいであろうものをナイスチョイス出来ている気が一応してはいる……つもりだ。
 
心配なのはファッション全般だ。
自分が欲しいもの。
自分が身につけたいもの。
そろそろ、もう一歩踏み出すべきではないかと日々悶々としているのだ。
 
薄ぼんやりと何となくな方向性は見えてきたのだが、そこで私が選ぶ色味っつーのが少々ヤング気味なのは否めない。
かといって、渋々系の色を選ぶってのも地味になり過ぎてしまうのではと不安だ。
 
年を重ねたら、ちょいと派手目をねと考えていたのだが、どうやらそれにはまだまだ早いようだ。
イメージ的には竹中直人先輩のような佇まいを手に入れたいところなのだが、どうやらそれはかなり上級者向けらしい。
田口トモロヲ先輩的雰囲気も狙いたいのだが、あのそこはかとなく漂う知性と狂気がちいとも足りてないのが無念である。
 
自分が似合うと思っているものが本当に似合うものではないという、この痛々しい事実とまずは向き合わなければいかんですね。
 
その道はまだまだ果てしなく長く険しい。
いつの日か銀渋な床屋のおやじさんになれるよう日々精進であります。
人はそうなりたいと願ったとき、すでにその望みを半分は叶えているっつーじゃないですか。
それを信じてワンツーワンツーです。
 
 
そんなわけで、今日はDECHOのバリスタキャップに、中村商店のエプロン、それとVOIRY STORE HERRINGBONE PANTSに、履き込んだネイビーの adidas campus ってな感じの出で立ちであります。
 
BGMは、ラテン・プレイボーイズ。
ただいま読み途中の本は『羆嵐』(吉村昭著)であります。
 
 
まあ、こんな感じで今日も生きてます。
上々であります。
 
 
股旅。

心のノートにメモっておこう

おはようございます。
週二回は更新するんだぜと息巻いているこの日記ですが、一応常日頃から「これネタになるかも!」なんつって、心のノートにメモしているのです。
夜中に寝床でふと思いついたナイスアイデアでも、それを朝になっても思い出せないようなものなら、それはそんなに良いアイデアではない……なんつーいかにも真理めいた話をする人がいましたが、私的にはそれ間違いと結論されました。
その言葉を信じてメモを取らずにムニャムニャと寝てしまうのですが、朝起きたらほとんど覚えてないですもの。
どんどんバッシバシ忘れちゃいますね。
たまに覚えている場合もありますが、むしろ夜中の自分のテンションの高さが生み出した恥ずかしいことこの上ないものばかりで赤面を禁じえないわけです。
だから、私は極力メモをとるようにしています。
スマートフォンのメモ機能をフル活用して。
そして今朝。
さあ日記でも書くべかなとメモを開いてみ流と、一行目に「オーセンティック」の一言。
はいはいこれはあれだね!
と、私は本棚から『コーヒー&シガレッツ』のDVDを取り出したのです。
この映画の中の “NO PROBLEM”と云うエピソードのBGMがオーセンティックスカ、しかもローランド・アルフォンソの曲を使っているととある方の呟きを拝見し、これはもう “NO PROBLEM” を観ながら日記を書かずにはいられないなと四十五歳の床屋のおやじさんは思ったわけです。
PCの画面の片側では “NO PROBLEM” 。
もう片側では、この日記。
粋ですね。
テクノロジー万歳なわけです。
そして、メモの二行目には『キセル』とありました。
これはあれです。
バンドの方です。
最近、お客さんがいらっしゃらない時にこっそりと聴いているのですよ。
今のこの春の陽気にドンピシャリな世界観だなと。
正直、あまりこの方々の知識はないのですが、むしろそれは意図的でして、どうやら京都出身の兄弟デュオらしいのですが、そのルックス佇まいを見たことはありません。
知らなくていいかなと。
知らない方がいいかなと。
そんな風に思うからです。
この方々の紡ぎだす音世界には、色と肌触りがあって、それがとても心地よく、乾いた砂にじんわりと染み込んでいくような、そんな感慨を思い起こさせるもので、私は暇を見つけて、この音世界にどっぷりはまり込むのが好きなのです。
そんな時、余計な知識、情報はかえって邪魔なわけです。
こんな気持ちわかるでしょう?

そして三行目には『ルミニアーズ』とあった。
これもあれです。
バンドです。
『キセル』とは逆に、『ルミニアーズ』はお客さんがいらっしゃるときによく流してます。
ここ最近、再びヘビーローテションとなったのは、とあるお客さんに「近頃ライブ行ってます?」と訊かれたのが切っ掛けでありまして。
ちょうどこの四月に来日公演があって、それはちょっと観てみたかったんです。
きっと多分最高だったんじゃないかと。
そんな妄想するのも楽しいものです。
次回の来日公演のときは、早めに情報キャッチしないとですね。

そして、メモに残されていたのはあと二つ。
『常識を疑うこと』と『所得税の六割』でした。
これはあれですね。
今途中まで観た『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』の影響ですね。
マイケル・ムーア自らが世界各国を巡り、各国の各国の知られざる素晴らしいことを持ち帰り、アメリカをもっといい国にしようぜってな趣旨のドキュメントでこれがとても面白い。
税金が高い欧州だが、その税金がどう何にどう使われているか給料明細にきちんと明記されているそうで、所得税の六割が軍事費に使われているアメリカがそれを給料明細に載せたら皆どう思うだろうか?
なんてことを言ってて、単純単細胞な私はすぐに驚愕するわけです。
この映画を観てて、あらためて感じ入ったのは、やはり日本はアメリカの影響を多大に受けてますね……ま、これ以上は書くのをやめます。
んじゃまあ、そろそろ庭仕事に取り掛かります。
積極的に攻めの姿勢で今日の休みを満喫しようと思います。
それでは股旅。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=IHoCh-pjnuQ

そのバランス感覚、拝借したい。

どうもこんばんは。
ココに来て再び読書欲がうなぎのぼりなのである。
数年前に敬愛する某漫画家が『羆嵐』(吉村昭著)という小説、これが実際にあったヒグマが人を襲った事件を元にした物語で、その語り口、臨場感溢れる描写を絶賛してて、こりゃ読まなきゃ!とそっと某通販サイトのカートに入れておいたのだが、結局読まずじまい。
そのまま忘却の遥か彼方って状態だったのだが、つい先日某魂の叫び系音楽家がまた『羆嵐』を絶賛しているのを目にし、これはもう読まずにいられないと鼻息荒くなっているのだが、何しろ読みかけ、もしくは読まずにホコリをかぶったままの本がいくつもあって、これでいいのか?いいんです!
とは、なかなかなれない雰囲気なのである。
本と云えば、先日たまたま寄った某書店で『一行文庫』って企画をやっていて、これが「作者もタイトルもわからずに本を選ぶ。手がかりは本文から抜き出した一行だけ」っつーもので、俄然盛り上がったのは言うまでもないわけである。

幾つかの候補の中で私が選んだ一行は「私は遠くから来たのです。とてつもなく遠くから。」で、手前勝手にマーク・トウェイン的な感じじゃないの?
と期待していたのだが、開いてみたらそれは星新一さんの『地球から来た男』でこれはもう嬉しい誤算だった。
今、自分が敢えて星新一作品を手に取るとは考え難く、でも全然嫌いじゃないし、いざこう云うチャンスを戴くと俄然読みたくなるから人間なんてラララである。
もとい、床屋のおやじさんなんてラララなのである。
まぁ、これは『アタリ』だったかな。
また、機会があったら、この企画には華麗にライドオンしたいものだ。

その本屋帰りの道すがら、私はちょちょいとFUSSA GENERAL STORE に立ち寄り、取り置きをお願いしていた TACOMAFUJI RECORDS のティーシャーツをゲットしたんだった。

これが、胸元に「GOOD BEER DRINKING TEAM」とナイス過ぎるメッセージがプリントされたナイスな逸品で、着てて誇らしい気分になるから不思議だ。
四十路半ばも過ぎた今、着たいと思えるティーシャーツがある幸福。
そして、それが決して若作り的痛々しさを伴わず、しかもさらりとユーモアがあるなんつー無敵感。
ありがたい。
こう云うのを作れる抜群のバランス感覚。
是非とも見習って、我が店にも我が人生にも取り入れていきたいものである。

さてと。
そろそろ眠ります。
おやすみなさい。

おぼろげながら、見えてきた気がする。

店前で咲き誇っていた隣家の桜が昨日の突風で散り始めた。
このピークを過ぎた感……嫌いではない。
芝庭もその花吹雪の名残りで彩られ、なかなか趣がないでもない。
うむ、嫌いではない。
 
 
先日執り行われた某アウトドアのイベントに行ったお客さんが言っていたのだが、来場している人々の半ズボン率がかなり高かったそうだ。
全然まだまだ肌寒いこの時季に既にハーフパンツァー。
筋金入りである。
 
 
小生もこう気温が上がってくると「いつ着る?今じゃないでしょ!いや、今でしょ!」の延々リフレインなのであるが、来月とうとう四十代後半に突入する青春真っ盛り。
いい加減、半ズボニストから華麗なる脱却をはからなければならないかなとも考えている。
 
まあこんなことを三十代後半ぐらいから毎春言っているのだが、未だに半ズボンを着用し続けているわけで、今年もまた元の木阿弥なのではないかと睨んでいる。
さてどうする。
 
 
クエンティン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』を観た。
相変わらずの胸糞悪さっぷりに惚れ惚れした。
もちろん褒めているのである。
いい意味で、果てしなくしょうもない。
タランティーノ監督にしか撮れないものを撮っているってのがスゴい。
この無邪気さと云うか、吹っ切れている感……見習いたいと思う。
マニアックでありながらも、その根底にある揺るがないポップ感……うちの店でも出来ないかしら。
 
 
もう半年も経ってしまったが、塚本功さんのミュージック・ビデオのロケ地として、DOODLIN’ BARBER SHOP を使用していただいたことは、一つの大きな転機になった気がする。
その直前、ちょっと欲を出して某雑誌にタイアップ広告を載せたりもしたが、あれは失敗だとまでは言わないが、うちの店や自分のやり方にそぐわなかったんだなぁ……としみじみしている。
 
 
もう、ここまで来ると断言してもいいだろうから言うが、僕は間違いなく「音楽」が好きなのである。
そして、それは店内にも店外にもヒシヒシと現れていて、なんかこう、うちの店そのものが音楽のように感じられる時がある。
だから、もっともっと「音楽」を打ち出して行こうと思った。
ミュージック・ビデオの撮影に使われる……これほど光栄で嬉しいこともない。
 
 
うちを推薦してくれた 音楽喫茶MOJO 店主の昭太郎さんには心底感謝しなくてはな。
どうもありがとうございます!
おかげで、目指すべき雰囲気が見えた気がします!
 
 
さあて、星野源の新作エッセイでも読みながら、REI HARAKAMI でも聴きましょうかね。
 
 
股旅。
 

あの頃の君にあって 今の君にないものなんてないさ

こんばんは。
 
 
竹原ピストルさんの新譜『PEACE OUT』を聴いたのですが、やはり良いですね。
言葉が体にズビズバ容赦なく入り込んで来るのを感じます。
 
自分の代弁者だなんておこがましいことを言う気はさらさらないのですが、竹原さんの立ち位置というか、ベクトルの向き方というか、距離の取り方というか、ユーモアの含み方とか、照れ方とか、謙虚さとか、自嘲とか、それらが実に実にしっくり来るのです。
 
竹原さんの歌を聴いていると誰も今まで発さなかった言葉がそこにある。
ずっと待っていた響きがそこにある。
そんな風に感じるのです。
 
 
 
アルバム最後の曲のタイトルが、「マスター、ポーグスかけてくれ」なのですが、これも嬉しい。
 
僕が高校時代からずっと好きなポーグスのことを、僕と同じような聴き方、接し方をしているのを感じて、なんかこう全てが同心円上にあるような気になって、ワクワクスペクタクルなわけです。
 
十代の頃から好きなミュージシャンのことを四十代になってからハマったミュージシャンが歌ってくれる……。
 
上手く言えないのですが、真っ直ぐ来られたというか、間違っていなかったというか、全部繋がっていたというか、再びポーグスと向き合える機会を作ってくれたというか、まぁともかく、こういう喜びを得られてベリベリハッピー。
竹原ピストルさん、どうもありがとう!
そう絶叫したくなったわけです。
 
 
 
それにつけても、この竹原ピストルさん。
全然知り合いでもなんでもないくせに、勝手にとっても人の良い方だと思い込んでいるのですが「例えばヒロ、お前がそうだったように」という曲の中で
 
“哀しいかな、消えてなくなって欲しいやつっているな。
俺も誰かにそう思われていることだろう……”
 
って歌ってて、妙にしみじみしてしまいました。
まぁ、そりゃそうですよね。
誰とでもうまくやって、誰からも好かれて、誰も嫌いな人がいないだなんて、そんな人実際いたら、多分僕が真っ先に嫌いますもの。
 
 
そんなわけで、竹原ピストルさんの新譜「PEACE OUT」をもっともっと聴き込もうと思います。
 
 
今、この時代に鳴り響くべき歌声。
耳を傾けるべき言葉がそこにあるからです。