灼熱の中での聖地巡礼

灼熱の日々が続いております。
毎年のようにボヤいてますが、私が子どもの頃の夏はこんな酷暑ではなかったのにな……

最高気温が 32、3℃ 行こうものなら「すわ、こりゃヤバい!」と慌てたものですが、今やそのぐらいでは「ぬ?ちょっと過ごしやすいかも!もしかして?」となっているのだから、これは多分きっと我々が想像している以上に異常事態なのだと思います。

そんなアツアツ酷暑の中。
先日の店休日にほてほてとお台場にあるダイバーシティまで行ってきました。
お目当ては、機動戦士ガンダムのプラモデル 略して “ガンプラ” の聖地『ガンダムベース』です。

私が子どもの頃は、そこら辺にあったプラモデル屋が今や何処にもないというこれまた異常事態なわけでして。
で、じゃあネットで買おうかとなると高くなってるし送料かかるわだし、数少ない模型店に足を運んでもガンプラは完売、これは私が子どもの頃と全く同じで、「おいおい、ふざけんなよ!」状態なわけです。

で、この「ガンダムベース」なのですが、ここはちゃんと定価販売ですし、その品揃えも半端ない。
わざわざこんなところまで来なくちゃならない哀しみは確かにありますが、店内に入った瞬間、そんな思いは霧散しました。
パラダイス……まさにそんな言葉が相応しい夢の空間でしたもの。
はしゃぎ回る息子以上に、51歳ナイスミドルの心の奥底は燃えたぎりましたもの。

私が狙っていたキットが売り切れだったのは「ここでもかよ!」と落ち込みましたが、息子が欲しがっていたガンダムベース限定のHG 1/144 ザク はあったのでヨシヨシでした。

で意気揚々とダイバーシティを出ようとするとドラえもんショップがあったのです。

「寄ってく?」

と息子に訊いたら「ここはいいや」と足速に通り過ぎたのでした。
あんなに好きだったドラえもんなのに、見向きもしないとはな。
知らぬ間に成長しているもんなんだな……
と床屋のオッサンはしみじみしたのでした。

で、ダイバーシティ前の広場にドドンと立つ実物大ユニコーンガンダムの前で平伏し、写真を撮らせていただき、おまけでドラえもんと息子とのツーショット写真も撮って、灼熱の中帰路についたわけです。

私が子どもの頃に拗らせたガンプラへの思い。
息子の成長。
いろんな思いが錯綜した一日でございました。

涼しくなったら、また来たいなと思います。

それでは股旅。

それはもしかしたら何かしらのメッセージ

お客さんから『まんが道』(藤子不二雄 A 著)全巻をお借りしました。
前々からずっと「読みたい!」と思っていましたので、これは嬉しい。

さてと、それじゃあ早速読みましょうかね!
と第一巻を手に取ろうとしますと、おやおや?
何やら違う本が紛れ込んでいるではありませんか。

『赤めだか』(立川談春 著)

立川談志さんの弟子であられる談春さんのエッセイ集じゃないですか!
読みたい!とまでは思っていませんでしたが、気になる一冊です。

これはひょっとして「読むべし!」というメッセージなのでしょうか。
それとも、たまたま間違えで入ってたものなのですかね。

すぐに答え合わせしようかと、貸してくれたお客さんに連絡をしようかと思いましたが、イヤイヤこれはそんな野暮なことはせずにサラリと読破しときましょうかね。

なんかね。
この『赤めだか』には、今の自分に必要なフレーズが収められているような、そんな素敵な予感がしてしょうがないです。
こういう切っ掛け、プライスレス。
『まんが道』は言わずもがなです。

先週末、苗場で行われたフジロックフェスティバルにですね。
PUNPEE というヒップホップ アーティストが出演したのですが、そのステージで「Hero」って曲をやったそうで、私も好きな曲なのですが、その「Hero」の歌詞というかリリックというか、その中に

“あの芸術家たちも あの戦争に行ってたら死んでたかも
あの戦争の犠牲者の中にも 未来の芸術家が何人居たろう?”

ってフレーズがあって、そこが今のこの時代、時世にやけに響くよな〜って呟いている人をネットで見かけましてね。

あ、それ凄くわかる。わかっちゃうよ!
ととても共感したのでした。

戦争の対義語って「平和」だったり「対話」だったりするのでしょうけども、僕的には「芸術」ってのも ちょっとあるかもなと思ったのでした。

おまえ言っていること無茶苦茶だぜ!

と嘲笑されるでしょうけども、なんかさ、芸術の力というかね。
そういうのを信じたいなと思う今日この頃なのです。

股旅。

だから、僕はダメなんです。

しかし、まあ何ですな。

何度やっても G-SHOCK の時刻合わせってのは覚えられないもんですな。

それとネクタイ。
年に数回着用するかどうかって自由業の身なもんで、これもなかなか覚えられない。

理由はわかっているんです。
そもそも覚えようって気が微塵もない。
ま、検索すれば何とかなるっしょ!
って感じだし、実際何とかなってしまう。

こうなると人、いや、床屋のオッサン五十一歳ナイスミドルは学ぼうとしないわけです。
だから、僕はダメなんです。

やっと納品された『FUNK SOUL BARBER』ティーシャーツ。
(大変お待たせしちゃいました。まだ納品されてない色、サイズもありますが、それは来月末にはどうにかって感じです)

僕的には至極 “会心の出来” なのです。
洒落も効いてるし、ユーモア満点だし、いい塩梅の力の抜け具合だしで、そうつまり最&高なわけです。

でも、これを着て歩いたからと言って、誰もが振り返り「あれはなんだ?欲しいぞ!ふぁふぁーん!」となるわけでは全くなくて、それはまあしょうがないことだとは分かっているのですが、こんな良いのにホワイ?と本気で思ったりもしてます。

こんなこと書いてると後ろ指刺されてクスクス嘲笑されそうですが、良いんです。
五十路ともなるとさらに磨き込まれるんですよ、鈍感力ってヤツが。
どこからか何かがやってきて「それでいいじゃん」と肩を叩いてくれるんです。
これもまた幸福の一つの形なのです。

FUNK SOUL BARBER

息子が描いてくれた私の似顔絵が、なんだかイイ塩梅で力が抜けてて、かつちょっとエキゾチックな感じだったので気に入りました。

で、随分と出来上がるまでに時間を要してしまった新作『FUNK SOUL BARBER tee』と合わせてみたら、なんだかちょっと良い感じだったので、ジャマイカ音楽に脳みそ揺らしているところです。

こういう時間が自分を作るし自分を生かすものなんだと信じております。

ファンキーでソウルフル。
そんな人間になるには何をどうしたら良いのでしょうか。
その答えをカバンの中も机の中も探したけれど見つからなくて、それよりユルい音楽に合わせて踊ってみたら、あ、そんな愚問に答えなんてないんだよな〜ってことに気づいたわけです。

これもまた音楽の力。
音楽はいつでも味方になってくれるのよね。

で、今年まだ一匹もゲットしてなかったカブトムシちゃんなのですが、昨日やっと捕らえました。
オス三匹をいっぺんにです。
上がりましたよ、テンション。
小躍りしながら雑木林を出てきたとき、ちょっとだけファンキーでソウルフルなナイスミドルに近づけた気がしました。

「笑う門には福来る」って諺があるじゃないですか。
あの笑う門の “門” って、家とか家族を意味するんですよね。
個人じゃなく“家” なんですよ。
だからね。
まずは自分が日々笑って過ごせるようにしたいですね。

そのためにはどうすれば良いのか……
五十路ともなると、それがわかるから安心安心。
何事も日々の積み重ねであるわけです。

ドラマ「芋たこなんきん」劇中のセリフ

『集団の力も大事やけど、結局は一人一人の思い。
揺るがへん自分を作るのが先やと思うで……』

がやけに響く五十一歳の夏なのです。

それでは股旅。

人生は不安タスティック

店内照明に使用していたエジソンバルブが切れた。
現店舗移転時からだから、7年1ヶ月頑張ってくれたことになる。

こんなシャレオツな電球なんて、どうせすぐに切れるんだろと予備も用意しといたのだが、まさかの超長寿命。
ごめんよ、おじさんキミの力をみくびっていたよ。
天晴だ!

バックルームで7年待機させられていた予備電球ちゃんも元気よく煌々と光を灯してくれた。
これからまた七年頑張ってくれるのだろう。
そのとき、おじさん58歳になってるよ。
この7年で、このエジソンバルブを買った店は無くなってしまったし、世間の灯りはLEDが主流になったし、2歳だった息子は9歳になったし、元号も変わった。

これから7年後。
きっと想像した以上に騒がしい不安タスティックな未来が僕を待っているんだろうな。

※注 『不安タスティック』とは

人生はつねに不安なものである、しかし、
「不安」に「タスティック」をつけることによって毎日をたのしんでいこうじゃないか──ということです。

「なんだって、不安じゃないとつまらないものさ」と、自分自身を洗脳していきましょう。

ぼくはつねに自分のことしか考えていないからか、昔から、人に叱られることが多いようです。

ですから、なにか行動を起こすとき、いつも
「叱られるんじゃないか、叱られるんじゃないか」と考えてしまいます。

逆に言えば、いつもそこから考えをはじめているのです。
それは確実に、ぼくの起爆剤になっています。
人生は不安だからこそ、ファンタスティックなのです。

みうらじゅん