センチメンタル日和

6年ぶりにリリースされた レッド・ホット・チリ・ペッパーズ の新譜を聴いている。

メンバー4人のうち、1人がすでに60歳で2人が今年60歳になるっつーんだから、来月51歳になる床屋のオヤジさんのしみじみは「いやはや、そんな年齢ですか、あゝそうですか……」と止まらないわけである。

で、このアルバムなんだが、若かりし頃の疾走感や勢いはない。
そりゃ当然である。
でも、長年かけて培ってきた味、熟成された渋みがそこにある。
これって、とても大事なことだと思うのだ。

あのとき、あの頃、ああだったから今のコレがある。
そこがちゃんと繋がっているかどうか、コレがミソなんだよなと思うのである。

そして、その線は鋭角な曲がり角はなく、流れるようなラインで滑らかであるべきだ。

自分や自分の仕事もそうありたいし、そうなりたい……なんて、ボンヤリ妄想するのが私は好きだ。
私が好きな時間の過ごし方だ。

さてと。
これから雨が降り出すらしいから、ビル・エヴァンスでも流しましょうかね。

魔法を信じるかい?

最高気温25℃超。
初夏のような陽気になったからには、やはりこれだよねと店内BGM はジャマイカ音楽ばかりをナイスチョイス。
そしたら心が融けそうになった。
ゆらりゆらゆら心地良し。
相変わらず音楽の力は凄まじいなとしみじみ実感。

誰かがこんなことを言っていた。

「細かいことを考えて悩むことがいかに無意味かっていうことは、多くの音楽が表現してるよ……」って。

ホントそうだよなと、これまたしんみり実感するのである。

その誰かは、こんなことも言っていた。

「いいかい? 好きな人に彼氏がいないってことは、世界中がお前のライバルなんだ。
でもな、その子にもし彼氏がいたとしたら、お前のライバルはたった一人なんだよ……」

昨夜、息子に「お父さん、魔法ってあるの?魔法って信じる?」って訊かれて、言い淀んでしまったけれども、あるよ、魔法!

言葉の魔法ね、またの名を “呪文” ね。
これはあるね。
確かにあるよ。

復活の兆し

少年時代に夢中になっていたプラモデル制作。

またいつか再開したいんだぜ!とずっと思っていたのですが、その切っ掛けがなかなか作れずにいました。そんな折、たまたま息子と立ち寄ったホビー店で、私が小学校低学年のときによく作っていたロボダッチの復刻版を発見。

こりゃリハビリには打ってつけだぜ!とゲットしたのですが、息子が目をキラキラさせながら「作りたい!作りたい!」とシャウトするものですから、二個セットのうち本命ではない方(ロボZ)を一緒に作ったんです。

まぁ予想はしていたのですが、これがどうもパンドラの箱を開けてしまったようでして。息子が、本命であったモビルタマゴローの方も作りたい!とスクリームしだしましてね。その情熱に観念して、また一緒に作ったんです。

でも、今回はあくまで私はサポートで、全工程のほとんどを息子の手で行い完成させたのでした。(いや、まだこれからデカール貼りと細かい塗装の修正&ウェザリングがあるかな……)私が息子と同年齢だった頃に作ったロボダッチを数十年後にまさか一緒に作るとはね。

まさにスペクタクルだなと。

現代っ子の息子にとっては、逆に新鮮なものになるってのも面白い。たしかに今リメイクしたらヒットしそうだなと思いました。もちろん私も火がつきましたよ。

この勢いに乗って、数年前に友人から頂戴して、そのまま物置に眠っているメガサイズ ザクをいよいよ作ってみましょうかね。

五十路になってからの、少年時代の趣味復活。

良いじゃないですか。

特別なもの

先日、独りでクルマを走らせていたとき。
ふと「特別なもの」ってあるよなぁと思ったのです。

近頃、大友克洋さんの全集が刊行されたり、松本大洋さんの作品があらためて文庫化されたりしているのですが、このお二人って自分にとって特別な漫画家だよなぁとあらためて感じ入りまして。

大友克洋さんは私が小学生の頃から、松本大洋さんは私が浪人生だった頃からずっと好きでしてね。
三、四十年経った今も、その動向を追いかけているし、何か新しいことを始めたと聞くとドキドキワクワクするんです。

たくさん好きな漫画家、その作品がありますけど、この二人は私にとって “特別” 、文字通り “特に別” だなと。

それが何故なのかをちょっと考えてみました。
多分なんですが、兄や友人たちから「これいいぜ」と教えられたのではなく、自分で見つけたからじゃないかなと。
しかも “タイムリー” だったということ。
現在進行形で対峙してきたからじゃないかと。

で、これって音楽とか映画とかにも当てはまりまして。
バンドだったら、THE BLUE HEARTS と FISHMANS 。
アニメだったら「機動戦士ガンダム」と「ルパン三世」。
スクーターだったらベスパ。
映画だったら、ちょと挙げるのは照れくさいのですが、コーエン兄弟とエミール・クストリッアの作品が当てはまるのですかね。
(映画に関しては深くは語れないし、影響を受けまくったってわけではないのですが、多感な時期に“タイムリー” に作品に触れられたってことで……。
タランティーノ作品には、嫉妬まじりのしょうもない感情があって背を向けていた時期もあったので選外。)

この上に挙げた私にとって「特別なもの」って、私の中で鮮度がずっと保たれているんです。
古くならないし、懐かしくも思わない。
ずっと進行形で色褪せない。
そう考えると、やはり十代二十代に持ち合わせていた “感性” もまた特別だよなぁと。

数十年経ってもそうなのだから、これから嫌いになることは、よっぽどのことがない限りまずないと思うのです。
だからね。
そういう「特別なもの」たちを、よりこれから大切に出来たらなと思うのです。

五十年生きてきて、自分にとって「特別なもの」とは何か……ってのをね。
他のジャンルとかでも「はいはいこれこれ!これだよね、これ!うんうん!」と再確認していきたいです。

生かされている日々

映画好きのお客さんが、劇場に足を運ぶ度にせっせと収集していたチラシコレクションの中から、うちの店に相応しいようなものをナイスチョイスして持って来てくれた。

で、その中から四枚を厳選してフレームインしてみたのだが、これがなんだかイイ感じ。

お客さんが選んだチラシは、どれも音楽を感じさせる作品ばかりで、そうかやはり うちの店は音楽か、そうかそうかとしみじみ納得している。

でも、こういうときに思うのは、これまたやはり 我が DOODLIN’ BARBER SHOP を作っているのは、私なんかではなくて、お客さんたちなんだよな〜と言うこと。
その辺、もっと自覚しろよと自身に喝を入れねばな。
自惚れるなよ、お前!ってね。

先週の土曜日、その前週に泣く泣くお断りしたお客さんが来てくれた。
それはつまり「髪を切りたいぜ!」という原始的衝動を一週間我慢してくれたということなわけで、「ありがとうございます(ペコリ)」と告げたら、「いやいやココで切るのが好きなんです。落ち着くんですよ」とのこと。

この「落ち着く」ってキーワード。
時折、お客さんたちから頂戴するのですが、よくよく考えたら、この言葉って最大級の賛辞なんジャマイカとあらためて感じ入ったんだった。

だって自分が「落ち着く」って言葉を枕に場所や空間や時間や関係を表現を もししたのなら、それってつまり「最高なんです!」という意味合いなわけで、なんか今更ながら とてつもなく嬉しい御言葉だよな……ってね、感無量だなってね。

自分の “落ち着く場所” って、どこだろうって考えてみた。
もしかしたら、この“落ち着く場所”を探すという行為が人生において大きな意味を持つんじゃ?なんて思い始めたんだったんだったんだったん。

そんなわけで、今日もマヒトゥ・ザ・ピープルの『不完全なけもの』を聴いている。
いや、聴きまくっている。
たまらなく優しい気持ちにしてくれるんだもの。

このアルバムと映画『東京ゴッドファーザーズ』が、ココ最近の大きな収穫だった。
大袈裟じゃなく「生きてて良かったぜ!」と感じさせてくれるような、私にとって、とても意味ある出逢いだったと思うのであります。
押忍。