そのカウンターの破壊力

とても素敵な陽気で気分はホクホク。
さてと、ちょっと散歩して来ようかしらんウフフと今ちょうど気持ちを盛り上げているところなのである。

先日、オレ史上『もしかして最低最悪の映画なのでは⁉︎』と思わされる怪作に出くわしまして。

この監督でこの脚本家でこの出演者だったら……うむ、名作に間違いない!
と思い込んでいたものだから、そのカウンターの破壊力は凄まじいものでした。

どれだけ優れた芸術家でも、その作品全てが傑作、名作な人なんていないわけで、これもつまりそういうことなんだな〜と独りしみじみしてたのですが、いや待てよ……もしかしてワザと酷く作ったんじゃ?まさか?

と今ちょうどなっているところでさ。
だって、スタッフロール見たら、スーパーバイザーとかいう肩書きで、どう考えてもこの監督と合わなそうな人の名前があったわけさ。

でも、例え嫌いなヤツとの仕事でも、仕事は仕事だ。
プロとして、やっちゃいけないことだよな。
なんつって、答えが出るのはまだまだ先になるだろうし、そもそも答えなんか無いかもなんですが、こういう不毛なことを悶々と妄想するのが好きなんです。

そんな最低な映画を観た翌日に、オレ史上五本の指に入るであろう素晴らしい映画に出会うのだから人生は面白い。
今敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』というアニメ作品なのですが、作られたの二十年近く前だし、今敏監督が癌で四十六歳で亡くなって十二年経つし、何を今更と我ながら思うのだが、これが私のタイミング。
きっと今こそ観るべきときに観られたのだと思います。

で、さっき。
今敏監督の遺書を初めて読ませていただいたのですが、これも今読んで良かったです。
やはり全ては繋がっているんだな……ってことなんだと思います。
で、この『東京ゴッドファーザーズ』も、そういう偶然とか奇跡とか繋がりとかを描いている物語だと思うのです。
それはもうね、感動的なくらいに。
でも、ワザとらしくなくてね。
人生って素敵だよなって感じさせてくれるっつーとってもスペシャルな映画でした。

観られて良かった。
ありがとうございます♪

春の予感ばかり

先日、『空白』という邦画を観ましてね。それがもう骨が軋むような物語で、観終わった後しばらく放心してしまうような作品だったんです。

で、私はこのタイトル『空白』をですね。ちょっとネガティブな方向で解釈してたんですね。もう、そうに違いないと確信するぐらいに。

そうしたら、この作品を観た小山薫堂さんが、この『空白』を、希望がある、つまりポジティブなタイトルなのでは?と解釈していたんです。

それを聞いて、なんだかガーンと頭を殴られたような気分になりましたよ。
そうか、その方向があったのか……ってね。
自分独りでは絶対辿り着けない領域だなと思いました。で、薫堂さんの感想を聞いて、いやこれはもうポジティブな解釈に間違いないっしょ!とまでなっちゃって、自分の軽さに惚れ惚れしました。

こういう風に、全く違った角度から物事を捉えられる感性とでも言いましょうかね。それでもって、説得力もある。こういうのにも惚れ惚れしちゃいます。その手があったか〜ってね。憧れちゃいます。

いつ何時でもポジティブってのは無理があるし、ちょっと疲れそうですからね。晴れ時々曇り……みたいな感じで、余生は基本ポジティブ、でもときどきネガティブってなテンションで生きて行けたらなと思います。

逆もイイですよ。たまに、稀に、ときどきちょっとだけポジティブになる。その他は基本ネガティブで。これもまた、良し。どちらかに偏ってしまうのはスマートじゃない。

そんなわけで、近頃は高田蓮とブラッドサースティ・ブッチャーズばかり聴いてます。日に日に春めいてくる、この時季にジャストフィット・スムーズ・インなんです。

それは大人になったら もう見えない

何かちょっと怖い話ない?

と息子が言うので、小学四年生の夏休みに起きた不思議な出来事の話をした。

夏休みに退屈し始めていた僕らは、何かのマンガに書いてあった妖精を呼び出す方法ってのを実際に試してみようぜ!って盛り上がり、町のはずれにある小さな神社に夕方集まったんだった。

メンバーは、僕とナカハマ ヒロシとツカモト キワム、あと一人は誰だっけかな。
ちょっと思い出せない。

その方法は、神社の境内などにある古い木の根元に砂で台を作って、その上(台形の台の上、上辺にあたるところ)に丸鏡を置いて平らにし、さらにその上に砂をかけて斜面には階段を作っておくというもの。
そうして、一晩たって、次の日に見に行くと足跡が砂の上についているかもね〜ルルルラララ

なんて書いてあるもんだから、そりゃ試すわけだ、小四ノータリン男子だからさ。
で、夕暮の中、それをせっせと設置し、僕らは明朝五時にココに集合なと約束しバイバイしたのでした。

で翌朝。
五時に神社に行くと、鳥居の前にツカモト キワムが立っていた。
一人で境内に入るのが怖いから待ってたらしい。
で、後の二人を待ってたのだが全然来る気配がないので、二人で確かめてみることにした。

それでね。
これは今でもハッキリ覚えているのだが、小さな小さな足跡があったの。
ミクロマンくらいのサイズの足跡(2cm弱くらいの)が、階段を登って丸鏡の上をクルリとした後、また階段を降りたと思われる足跡がさ。

キワムと僕は吃驚しちゃってさ、シーンと鎮まりかえる境内が怖くなってさ、そしたらいきなり突風が吹いてさ、慌てて僕らはその山を壊して鏡を持って飛び帰ったんだった。

来なかった二人が、昨日帰ったフリして、また神社に戻って足跡をつけたんじゃないか?
なんて、ヤツらを疑ったんだけど、この後問いただしたら絶対やってないと言う。
寝坊して行けなかったと言う。

じゃあ、あれ何?

妖精の足跡だ!
ってなって大興奮。
今みたいにスマホでカシャなんつって証拠写真も撮れないから、僕とキワムはちょっとだけ嘘つきと疑われたけども、二人はどうにか信じてくれたのを覚えている。

とココまで書いておきながらも、もう一人が誰だったのか思い出せない。
もしかして最初からいなかったんじゃ?
まさかね。

で、この足跡。
木の妖精で、沖縄で伝わるキジムナーとか、北海道のコロボックルみたいなものの足跡らしい。
だから、僕はね。
妖精の存在は信じているの。
面白そうだなって思った人は試してみると良いよ。
息子にも、友だちとやってみればと言っておいた。

息子はお父さんも一緒にって言うんだけどさ。
こういうのは大人が混ざるとダメなんだよ、子どものときしか妖精は出て来てくれないんだよね……と言ったら、何となく納得してみたい。

今年の夏休み、息子も友だちとやったりするかな。
あのときの僕と同じ小四になるからね。
やると良いよ。
ドンドンジャンジャンやるべきだよ。

そんな息子は、近頃自分のソフビをリペイントすることにハマっている。
水性プラカラーで塗った後に、汚し塗装もしたいって言うから、ドライブラシって手法を教えてあげた。
映画に出てくるガイガンみたいになったと息子は大満足。
まさか、四十年の時を経て、小学校時代に夢中になってたプラモデル作りの基礎知識&技術が役立つとはな〜

無駄じゃなかったってことだ。
嬉し。

今日帰ってきたら、次はキングコングをリペイントするんだと息子は鼻息荒く学校へと行った。
次は墨入れでも教えるかな。ウフフ。

股旅。

それもまた股旅

さて今日はどこを散歩するべかな……

と思案し始めたときには、ほとんど答えが決まっていることが多い。

丘に行くか
湖に行くか

今日の気分は湖だった。
目的地を決めたら、次はどの道にするか。
これをイメージするときが楽しいし気持ちが良い。
腹の奥底がふぁふぁ〜んとなる。

散歩はスペクタクルだ。
毎回何かしらの発見がある。
今朝の発見は通りがかりの家の庭に積み上げられた謎のミカン。

儀式的な何かなのか
それとも装飾的なものなのか

その答えは風の中なのである。

遠出をし、何泊かするようなものだけが「旅」ではない。
私が散歩中に、ふと思い立ち通ったことのない未知の道を歩く。
これもまた「旅」なのである。

クロマニヨンズのギタリストである真島真利先輩の初の著書『ROCK & ROLL RECORDER』が面白い。
自身のレコードコレクションを自伝的に紹介してるっつーね。
ファン垂涎のディスク・ガイドだ。
たまらんです。

そこかしこに魔法の言葉たちが散りばめられてたのは期待通り。

“僕が好きなロックンロール、パンク・ロックは、バカな風でバカじゃなくて、不真面目な風で真面目で、どこか間違っているようで、なんか一理ある、みたいな感じなんです。
ロックンロールは、眉間にしわを寄せて聴くものではなくて、笑うものです。
ギャグやユーモアという観点を見失うと、ロックンロールの本質も見失うことになりかねません……”

だなんて言葉があって、僕が日頃目指している店の形、いや人生の形が、まさしくそれで、こうやって説得力ある言葉にしてくれてありがたいな〜と。

ホントありがたい。
いつかお礼をしなくちゃ。

股旅。

目指すべくは素敵な年相応

ぼんやり雑誌をペラペラとめくっていたら、

『誰もが心の中に10歳の少年、あるいは少女を持っている。
その小さな人は、ピカピカの新しいおもちゃにとても嫉妬したり、とても羨ましく思ったりするんだ……』

なんてことが書いてあって、あ!これかっ!
って思った。
小学三年生の息子と過ごしていると時々顔を出す小さな自分。
あれは僕の心の中にいる10歳の僕だったんだな、なるほど。

息子と過ごしているときでなくても、ちょくちょくこのリトルテッペーは現れて、50歳ナイスミドルとは到底思えない幼稚な考えをし、雑な振る舞いをするし、ときどき悪戯や意地悪もする。

それが愛すべきものであったら良いけども、だいたいが自己嫌悪の根源になったりしてて厄介なのだが、このイタズラ坊主に生かされている瞬間も結構あるのを感じたりもするから困ったちゃんなのである。

でも、ここ数年はだいぶ上手く立ち振る舞えるようになった気もする。
自分の武器をすべて捨てて、非常に無防備で正直な態度をとる……これが誰かと一緒にいるためのコツらしいので、どうにか少しずつでも成長出来ならな〜と鼻くそほじりながら丘の上から世界を眺めている。

ビースティ・ボーイズのアドロックは、今どんな感じになっているのかしら……と調べてみたら、ベリー最高にイイ塩梅の力の抜けた55歳のナイスミドルになってて、よし!この感じを目指してみようと思った。
全然自分は若くない、枯れ始めのオッサンなんだともっともっと自覚しなくてはな。
目指すべくは素敵な年相応、これなんだよな。