日々に転がる不思議たち

昨日のことだ。
トイレに掲げられたカレンダーを見て愕然とした。
もう五月も終盤だというのに、カレンダーがまだ四月のままだったからだ。

あまり自覚はしてなかったが、まぁつまりこの五月はそういう日々、まあまあ慌ただしい日々だったんだなと悟ったんだったんだったん。

毎日用を足しながら、何の気なしにカレンダーを眺めていたはずなのに、そこを気にもとめなかった。
我ながら不思議である。

日々の習慣となりつつある御近所散歩をしてても、“あれ?こんな家、こんな場所あったっけ?” なんて思うことはしょっ中である。

昨日はなかったのに、突然現れた!スペクタクル!
なんて一瞬思ったりするのが楽しい。

つまりこういう事毎がアレか。
所謂 “盲点” もしくは“死角” ってヤツなんだろうな〜と推測する。

盲点 & 死角。
これは仕事をしてても、人間関係においても、記憶の中でもあるよな〜と嘆息する。
何でそれが目に入らなかったのかわからない。
説明出来ない。
そこに理由があるような気がしないでもないが、全然意味なんてないようにも感じる。
ホント、これって何なんだろうか。

今朝、不思議な夢を見た。家族で超大作映画を観に行ったのだが、突然話の途中でブツっと終わりエンドロールが流れ始めたのだ。
キョトンとしながら劇場を出て、妻さんや息子と無言で顔を見合わせたところでブツっと目が覚めた。

この夢、何かしらの意味があるのだろうか。
うむ、完全にないな。

さてと『ゴリラーマン40』でも読んで自らを鼓舞するとしようか。

というわけで、おはようございます。
今週は忙しくなりそうだ。
ありがたし。

それでは股旅。

このヘンテコな気持ちは何なんだろう

今日は良い陽気なので、朝から草刈りした。
いつもやり過ぎてクタクタになってしまうので、ちょっと物足りないくらいでやめといた。

iPhoneで極々微音に調整したBGMを流しながらする草むしりがまた格別で、今日は阿部海太郎を聴きながら作業した。
なんだかちょっと良い休日を過ごせてる気になった。

グローブが破れてしまったので、近所のワークマンまで、ほてほてと歩いて行った。
そしたら定休日でガックシとほほ。
仕方ないぜと嘆息して、帰り道に通りかかった野菜の無人直売所で朝採れたばかりのタケノコを買った。
刺身でも食べられるらしい。
100円也。

それからポーチで読書。
先日届いて、まだ開いてなかった『ひらやすみ』の三巻を読んだ。
これが凄く良くて、読んで良かったと思った。
こういう空気感、好きよ。

読んでるうちに暑くなって来たので、この日記を書くことにした。
BGM は、LITTLE TEMPOの『山と海』をナイスチョイス。
今日の陽気とか気分に、ここまでベストマッチな選曲もないよなぁと独りほくそ笑んだ。

そういえば先週、五十一歳になったんだった。
新調した老眼鏡の度数は “2.0” 。
まぁ年相応なのかな。
若い頃には考えられなかったことなんだが、私はこの老眼鏡を使用する自分がちょっと好きだったりする。
何だかいろいろと見え難くなって来ていることに、ちょっとだけ喜びを感じちゃったりしている。
このヘンテコな気持ちは何なんだろう。

営業中に流すBGM も、ほぼレコードになった。
いちいち面倒なんだが、それが良い。
“いちいち” とか “わざわざ” とか、そういうのが楽しかったり嬉しかったりする。
“遠回り” とか “寄り道” とか、そういうものにワクワクしたりする。
このヘンテコな気持ちは何なんだろう。

爆発的にさりげなく

おはようございます。
本日、無事五十一歳にならせていただきました。
あのウツボ野郎な私がこんな年齢にならせていただけるなんて世の中捨てたもんじゃないです。
何もかもが輝いて見えるのは幻なんかじゃない。
人生は夢じゃないですな。
私たちはハッキリと生きていますね。

今、夢中で観ている海外ドラマの主人公も劇中で、五十一歳になりました。
これも何かしらの “縁” だと思います。
そういう流れに身を任せつつ、時には逆らいながら、時には違う流れに乗り換えたりもして、ゆらりゆらゆら漂えど沈まず。
そんな感じで、これからを生きていけたらと思います。
そんなわけで、とりあえずやっぱりあれですね。
皆さん、ありがとうございます。
この一言に尽きちゃうんだぜ〜って感じです。

五十一歳の誕生日。
妻さんから『岩波 国語辞典』を戴きました。
妻、相変わらずナイスチョイス!
ありがとう!

これはもう一生もんですな。
ちょっとここ最近、自分に明らかに足らない部分を感じ取っていたんです。
文字通りの「語彙」と人生における「語彙」。
まだまだ全然足りないなと。

で、この国語辞典。
簡単に検索で片付けたりせず、自分で辞書を引くこと。
これが大切なんだぜ……という妻さんからの粋なメッセージだと勝手に思いました。
まずは手を動かせってことですよ、多分。
それから、言葉をもっと大切にしなさいってことですよ、多分。
で、まだまだ学ぶことを続けるべし、ってことなんですよ。
全部、多分ですが。

でもね。
きっと多分、こういうことがこれから生きて行く上で重要なのだと思います。
わからなかったら、まずは辞書を引け。
そこにヒントがある。
そこに答えはない。
答えを見つけるのは自分自身なんだぜ。

なんつって。

廻りに溢れる愛を感じます。

2022年5月4日

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎 哲平 拝 

シミジミが止まらない

順調に行けば明日で五十一歳になる床屋のおやじさん、それが私だ。

トイレットで用を足しているとき、ふと見上げたら、 ジャズピアニスト “ビル・エヴァンス” の生涯に迫ったドキュメンタリー映画のチラシが目に入った。
(お客さんが映画館に行く度に収集していたチラシコレクションの中から “DOODLIN’ BARBER SHOP” に相応しいんじゃないかと選りすぐっていただいた中の一枚をフレームインしたもの。大久保さんに感謝!)

そこに書いてあった一文がやけに響いたんだったんだったん。

『美と真実だけを追求し、他は忘れろ』
「時間をかけた自殺」とも言われた “ジャズピアノの詩人”
51年の人生と音楽

ビル・エヴァンスが何歳で亡くなったかとか、あまり考えたことなくて、なんとなく若くして逝ってしまったという印象は強かったのだが、そうか51歳で世を去ったのね。
それはもう凄まじい生涯だったというのは知っている。
で、数々の素晴らしい作品を残したことも、もちろん知っている。
そうか……五十一か……そうだったのか。
どれだけ濃厚濃密な五十年なんだよ。

ま、これはただの偶然で、そこに意味なんぞはないし、それを求めたりはしないし、それに比べて自分の人生の薄々ペラペラなこと!
なんて、おこがましくも比べたりなんか絶対しないんだけども、なんだかシミジミした。

もひとつシミジミたのは、私が大好きなバンドのボーカルとギタリストが、それぞれ別のインタビューで同じようなことを言っていたことだ。

二人とも、

「No future for you~♪」なんておまえに未来なんかねぇって歌を聴いてるのに
「よし、今日もがんばろう!」って気持ちになるんだから面白いよな〜

みたいなことを言ってて、申し合わせたわけではなく、当たり前のように同じ感覚を持ち合わせていたんだな〜ってシミジミしちゃったわけです。

今までも散々シミジミしてきたけども、これから更にシミジミする機会は増えるんだろうなって思う。

でも、多分きっとそれは良いことなんだと思う。

なんだかふと思い出したこと

私が小学生の頃。
ガンプラブームというのがあった。

アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するロボット a.k.a モビルスーツ をスケールモデル化したもので、当時のキッズたちの心を鷲掴みにし、あちこちで品切、品薄、入荷日には整理券が配られ長蛇の列に並ぶも、それでも欲しいキットが買えないという狂騒だったんだったんだったん。

私が暮らした街には、いくつかの模型屋と玩具屋があって、私は全ての店のガンプラ入荷日を把握していた。

それぞれがそれぞれの売り方をしていて、私は整理券で並ぶのが嫌で、土曜日が入荷日である駅前のおもちゃ屋を主に争奪主戦場にしていたのだが、目当てのキットをゲットするには、昼ごはんを我慢し、学校から帰るなりタッチ アンド ゴーで自転車をかっ飛ばさなければならなかった。

それでも、欲しいキットがなかったり、ときには欲しいキットが幾つもあって、でも一人一つしか買えないという謎のルールがあったりして悔しくて歯軋りしまくりで歯槽膿漏になったりしたもんだった。

今思えばだ。
ガンプラブームの凄いところは、その値段設定にあったと思う。
低価格シリーズだと一つ300円。
これから、さらに店によって割引があり、2割引の店舗だと240円で買えるっつーね。
小学生のお小遣いでも一ヶ月に一つ二つゲット出来ちゃうわけなのである。
そりゃ燃えるわけである。

でね。
悪質な店だと“抱き合わせ”で売られたりしててね。
一つの300円のガンプラを買うために、全然欲しくない しょうもないキットも合わせて1200円払わないと買えないっつー極悪非道な手法を使っていた。
あれ、違法なんじゃない?

私もいい大人の年齢になった今。
よくも子どもたちにあんな悪逆無道な売り方を いけしゃあしゃあとよく出来たもんだ!
と今になって腹が立っている。

もしかしたら、いろんな事情があったのかもと想像出来なくもないが、あれは恥ずかしい振る舞いだよ。

昔は良かった……
なんて、しみじみ思うときもあるが、この抱き合わせ商法を思い出すと、この淡い憧憬は霧散するのだった。
ありゃコウンだ。

せめてね。
どんな事情があるにせよ、子ども相手にそういうことはしたくないよな〜
と床屋のナイスミドルは、しんみり思うのである。

んがんっぐ。