ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり

息子の夏休みが終わった。
夏休みといえば、七月二十日くらいから、八月末までの四十日間ってイメージなのだが、今は週休二日制だから、その分短くなるようだ。

オッサンの戯言になるが、なんかそれじゃ情緒がないなと感じる。
祝祭日が月曜日にずれ込むのも好きじゃない。
小さな事事だが、いちいちボヤいていこうと思う。
そうしないと、いつの間にか悪い人たちに少しずつさりげなく世の中を変えられていってしまいそうだからね。

この写真で私が着用しているのは、息子が作ったジェローム・ヴァレスカのマスクと謎のチェーンソーらしき武器。
息子はこの夏休みの間、毎日何かしらを作っていた。
宅配便が届くと目を輝かせる。
目当ては中身ではない。
段ボールである。

幼稚園の頃から、段ボールを使ってアレコレ作ってきたが、そのクオリティが少しずつ上昇してきているのが面白い。
これもまた成長のなせる技なのだろう。
手先も器用になってきたが、その止まることを知らない創作意欲とアイデアに瞠目するばかりだ。

そんな息子とは、この夏休みにいっぱい映画を観に行った。
上映前、妻さんに待っててもらって、息子をトイレに連れて行くのだが、そこに異臭が漂っていたときが困りものなのである。

クッサ!
この世の終わりだわ!
デストローイ!

覚えたての言葉で、容赦なく絶叫する息子。
ロックされた個室からは、無言の威圧感&羞恥心の気配がムンムン。
私がその立場だったら気絶するだろう。

そういうこと言わないの!

って注意するのも気が引けるのはナゼなのだろうか。
私は白目になりながら、息子を引っ張るようにトイレから逃げ出すのだった。
息子を見ると、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべている。
八歳男児よ、勘弁しておくれ。
マナーってものを納得&理解させるのは、なかなか難しいものですね。
とほほ。

今日も外は灼熱。
店内BGMは、ここ最近はクルアンビンばかりをヘビーローテーション。
夏の終わりにジャストフィットの音である。

うん、今日もちゃんとイイ感じ。

音楽の話

何気なく、YouTube のトップ画面にあるミックスリストをプレイしたら、それがもう神懸かり的な選曲で震えた。

ogawa & tokoro → VIDEOTAPEMUSIC → cero → キセル →  Khruangbin と云う流れ。

今の自分がまさに欲している音ばかりが見事に並べられてて、こういうのって “人間” が選んだものだと、なんだかわざとらしく聴こえちゃって 鼻白んでしまうことが多いのだけども、 A I ちゃん(歌手ではない人工知能のことね)のそれだと「くわしいなお前……オレに……」と手放しに感心 & 感動してしまうのは、何故だろう何故かしら。

ここ最近の、PC上での検索やら流した楽曲やら、買い物の動向を冷静に分析して、この見事な選曲が生まれるんだろうけども、それはある意味、自分の 思考 & 志向 & 嗜好 が、外にダダ漏れしているってことでもあるから、それはちょっと想像すると怖い。

シンプル・イズ・ベストだぜ!

なんて日頃は荒ぶり吠えているが、「ホント君って単純だよね〜げへ〜」って誰かに言われてしまうと、それは悔しく感じてしまうんだから、人間ってのはしょうもない。
図星、それはいつも儚いわけである。

それにしてもKhruangbin(クルアンビン)は最高だ。
米国テキサス州ヒューストン出身の3ピースバンドで、クルアンビンとはタイ語で「飛行機」を意味する。

彼らが紡ぎ奏でる音楽を聴いていると、気持ちがフワフワとしてくる。
先日、庭の芝生に寝転がり、夏の終わりをビッシビシ感じまくっていたときも、脳内では彼らの音がずっと鳴っていた。
いや、それはもしかしたら生まれてからずっと鳴り響き続けていた音かも知れない……なんて思わされてしまうから音楽って面白くて怖い。

今さっき突然、息子に「お父さん、髪を切るのは楽しい?」と訊かれた。
咄嗟に出た言葉は「楽しいよ。それでお客さんが喜んでくれたら、もっと楽しいよ」だったのだが、なんかこうもっと気が利いたこと言えたら良かったのにな〜と後悔している。
その前に、「それホントか?」と自問したくなる。

楽しい?
楽しいかな〜
楽しいな
うん、楽しいな、楽しい楽しい!

ダンス・イン・ザ・バーバー

コンビニの入口に
「ドアを開け放しにしないでください。セミ、カブトムシ、クワガタがすぐに入って来ますので!」
と書かれた紙が何枚も貼られてて、それもう切実な問題なのだなと感じた。
と同時に、
「誰かの宝物が、誰かにとってはガラクタになったりするんだよね〜」
ってお客さんが言ってたのを思い出した。
セミはちょっとアレだが、カブトムシ or クワガタがうちの店に飛び込んで来たら、息子は狂喜乱舞するに違いない。ごめん、ちょっとだけ嘘ついた。狂喜乱舞するのは私である。

ジャネーの法則というのを御存知だろうか?哲学者のジャネが発案した「感じられる時間の長さは、年齢と反比例の関係にあるよね〜」という法則である。

10歳の1年は全人生の10分の1だけど、50歳の1年は全人生の50分の1だろ?つまり、50歳の1年は10歳の5倍も早く感じられてしまうのさ……

ってことらしいのだが、これって結構 案外その通りかも!と思ったんだった。

授業間のたった10分の休憩時間でも全力で遊ぶ子供達。しかし、50歳の私が10分休憩を与えられても、そっか休憩か休憩か……そうかそうかふむふむ……とお茶を一口飲んだら……残り2分?マジか!?となるのがオチである。

でも、この法則に当てはめると、5倍の50分休憩を与えられたら、こんな50歳のオッサンでも、それなりに有意義にその時間を使うんじゃないか?と思うのだ。

小学3年生の息子は現在8歳5ヶ月。つまり私は彼の6倍の早さで時間を感じている……ってことか。なんだかスペクタクルだな。どうせならポジティブに考えた方が良いだろう。歳を重ねたならではの、良いことがたくさんあるはずだろうし。

最近の店内ヘビーローテーションBGMは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの『Catch A Fire -Original Jamaican Versions』。英国でリリースされたバージョンに施されたギター、オルガンのオーヴァー・ダブが排除され、よりタイトでシンプルで無骨な印象。オーヴァー・ダブが無駄だったとは思わないけど、なんかこう、今の世界こういうのが求められているような気がする。なんだかやけに妙にハマったのは偶然ではないはず。

で、今とても楽しく読み進めているのは元銀杏BOYZ のギタリストだったチン中村さんの『ダンス・イン・ザ・ファーム』。バンド脱退後に山口県の周防大島に移住し、農業に取り組みながら僧侶として暮らす日々を綴ったエッセイである。これまた、今の自分に妙にハマったのだった。

ハマるというか、ストンと腑に落ちる感じ。こういうのを追い求めて、日々を過ごせたらと思う。で、そういうものは探せば結構あるもので、まずは探すことが、探そうって気持ちを持つことが大事なんだなと思うのである。なんつって。

そうか、そうだったのか

ポケットに入れてるスマートフォンがブルブルしているぜ!こりゃ着信に違いないっ!

と鼻息荒く取り出してみたら、全然着信も何にもしてなくてキョトンとしてしまうことがよくあるのだが、息子のためにと購入してみた本に、その現象のことを「ファントム・バイブレーション・シンドローム(幻想振動症候群)」って言うんだぜ!と書かれてて震えた。

まさか自分が、そんなカッコいい名前のシンドロームに陥っていたとはな……

ドライブ中、Mogwai を聴いてたら、息子に「こんなのダメだ、やっぱこれだろ!」と BGM を SlipKnot に変えられてしまった。やはり8歳児には、この Mogwai の良さはわかるわけないか……父さん最高に気持ち良かったのにな〜と嘆息したのだが、8歳児が Mogwai を聴いて「こりゃイイぜ……」なんて言ってたら、それはちょっとした事件だなと思い直した。うむ、それで良し。SlipKnot で大いに結構だ。

このオレの大好きな Mogwai を息子もきっと好きなはず!と思っていたら、そうじゃなかった……

これを「フォールス・コンセンサス効果(いつわりの意見の一致)」と言うらしい。そして「オレは少数派で人とは違うんだぜ〜ヌハー」と自分に酔っ払っていることを「フォールス・ユニークネス効果(いつわりの差異)」と言うのだそうだ。

そうか、オレは思春期の頃からずっとフォールス・ユニークネス野郎だったってわけか。

今日もまた学んだな。学び、大事だぜ。

そろそろ夜の吐息に飲み込まれてみようか

ふと気がつくと、BOØWY の 「B・BLUE」を口ずさんでいることがある。


この曲がリリースされたとき、私は中学三年生。その人気は凄まじく、レンタルレコード屋でも同曲が収録されているアルバム『BEAT EMOTION』はなかなか借りられず、予約して数週間後ぐらいにやっと聴くことが出来たのを覚えている。


この流れに乗らなくてはダサいぜ!


と鼻息荒く聴いてはみたのだが、あまりハマらなかったのは何故だろう。


当時、私の中では、THE BLUE HEARTS、尾崎豊、そしてこのBOØWYが三大勢力とされていて、完全なるTHE BLUE HEARTS 派に属していた私に取って他派の音を認めるわけにはいかなかったのだろうか……んなこたないか。


で、あれから三十数年が経っても、ふと口ずさんでしまう「B・BLUE」のフレーズが、


♪夜の吐息に飲み込まれて 震えていた LONELY ANGEL♪


であることが多いのだが、あらためてこうやって字に起こしてみると、なかなかどうして凄い世界観だなと嘆息が止まらなくなった。


十五歳のヤングシャイボーイだった私にとって、夜の吐息に飲み込まれちゃって震えちゃっているロンリーなエンジェルっのは、最早ファンタジーの世界のもので、どこか遠くの異世界のように感じていた。


大人なったら、きっとロンリーなエンジェルを街角で見かけるんだろうなと期待していたが、五十歳になった今も見たことはない。


けれども、THE BLUE HEARTS は、すぐ隣にある世界のことを歌っているように感じた。自分にはそれがジャストフィットしたんだと思う。
きっと BOØWY が好きな人たちは、BOØWY が歌う、どこか遠くの異世界に想いを馳せることが好きだったのだろう……違うか!


尾崎豊が紡ぐ世界観は、等身大のリアリティみたいなことを言われていたが、私のそれとは違っていた。それそれで、またファンタジーだったんだった。


そういうわけで、今日もまた やぶれた翼で もう一度飛んで、こわれた心で もう一度笑おうと思う。