遠目でぼんやり眺めている、それだけで充分。

IMG_4498

あれは今年の夏。
あまりの猛暑過ぎてクタクタになっていた晩夏の頃のことでした。
イラストレーターの花井祐介さんがスケーターのSteve Caballero(スティーブ・キャバレロ、とってもカッコ良くて憧れてしまうような方、54歳ってのがまた嬉しい。こういうカッコイイ先輩がいるとうきうきしますね)のフィギュアを作ったって知らせを受けて、それはもう何はともあれ欲しいぞと思い、テンションアゲアゲですぐさま予約したのでした。

 

 

 

それが届いたのがつい先日。
期待通りの出来にホクホクが止まらないわけです。
はてさて、じゃあどこに飾ろうかしら。
おっと、その前に開封しなくちゃだ。
いや、すぐに開けてしまうのもなんだかもったいないぞ。
だなんんてジタバタしているのが楽しい。

 

 

 

何しろフィギュアなんつーのは、全く生活必需品でもなんでもないわけで、興味のない人にとっては「なにこれ?これがどうした?あはん?」としか思えない代物なわけです。

 

 

“無駄かどうか決めるのは自分自身だぜ……”

 

“無駄の中にこそ宝があるんだぜ……”

 

 

そう大好きなあの人たちの言葉を心内で幾度か反復したりして、それもまたいと楽しなわけです。

 

 

その前に、テッペー、お前がなぜあのスティーブ・キャバレロなんて好きなんだい?
とクレバーなあなたは思うでしょうね。
それが自分でもよくわからないのですが、若かりし頃からスケーター文化への憧れがとても強くありましてね。
その匂いと云うか雰囲気と云うか、ファッション、アート、音楽、スケートボードを取り巻く空気感全てがなんだかとても魅力を感じるのです。

 

 

じゃあ、自分でもやれよ!

 

 

僕も何度もそう思いましたが、結局やらずじまいなママ現在に至っています。
ビビリなもんで怪我が怖いからです。
それと自分がスケボーが似合う気が全然しなかったからです。
この辺に関しては、我ながらナイス自己判断だと思ってます。
遠目で憧れている感じでいいんです。
それで十分満足なんです。

今日もまた順調に“ふ”としている

IMG_4468

今朝、ふと思い出した。
学生時代、キャンパス内の人目につきにくい非常階段の踊り場で、テントを張って三週間ほど生活していた奴がいたことを。

 

 

クラブハウスのシャワーを使い、食事はキャンプ道具一式を取り揃えていたので、自炊したり、売店で買ったりしていた。
その目的や意味なんてのは訊かなかった。
ただ、そんなことやったら “面白い” 。
その思いだけが彼が突き動かしていたのだと思う。

 

 

 

日が暮れて、キャンパスから人が消えた後は読書などをしていたらしい。
警備員が巡回しているから、迂闊に行動はできない。
トイレはギリギリのタイミングで済まし、音楽はヘッドフォンで微音で聴いていたそうだ。
時には、便意に負けることもある。
ってことで、それ用のビニール袋まで用意していたのは感心した。

 

 

晴天の夜には素晴らしい夜空が眺められたそうだ。
彼は徹底的に一人を楽しんでいた。
そのテントを張った場所から得られる様々なもの全てを独り占めしていた。

 

 

彼のこの試みは、生活のすぐ近くに絶景と冒険があることを私に教えてくれたんだった。
私は彼が羨ましかった。
自分もそんな誰も思いつかない、誰もやろうとしないことを自分だけで行動に移したかった。
でも、やらなかった。

 

 

 

今思えば、やればよかったと思う。
真似すればよかったのだ。
パクればよかったのだ。
多少、嘲笑されるかもだけど、そんなのやってしまえば屁でもなかったはずだ。

 

 

若かりし頃はこういう尊い潔癖さがあった。
年を重ねるにつれて、図々しさもつのり、人真似なんてのは余裕綽々でできたりするから不思議だ。

 

 

かといって、若かりし頃に戻りたいわけではない。
ただ、もうちょい冒険しとけばよかったかなとは思う。

 

 

 

フランシス・フォード・コッポラが三十三歳で『ゴッドファーザー』を撮り、マーティン・スコセッシが三十四歳で『タクシードライバー』を撮ったと言う仰天極まりない事実を思い出した十二月の冷たい雨の朝に。

 

 

 

三十三歳、それは私がDOODLIN’ BARBER SHOP を開店した年齢なのである。

 

 

話が支離滅裂になってきたところでクールに去ろうと思う。

 

 

 

股旅。

なりたいようになれるものだ

IMG_4446

老眼鏡がまた逝ってしまった。
でも、また同じものを使うことにした。
若かりし頃の自分だったら、どうせならと違うものにアタックしていただろうけども、四十路半ばを過ぎた今は冒険をしなくなった。

 

 

気に入ったものを使い続ける。
たとえそれが壊れたととしても、同じものを手に入れる。
そんな風に出来たら良いなと思いつつ、これがなかなか出来ずにいた。

 

 

その対象となるものが老眼鏡がとなるとは予想していたなかったが、老眼鏡ってのが良い塩梅だなと我ながら思う。
いや待てよ。
すでにワークキャップも同じものを使い続けていたことに今書きながら気がついた。
おっと、そういえば仕事用のシューズも adidas の campus をここ数年潰れたら履き替えを繰り返して使用しているな。

 

 

もし、なりたい自分に少しずつなれているのなら、それは幸福なことだなと思う。

 

 

画像左は、デストロイされた老眼鏡を着用したもの。
心なし、口角も下がり気味でテンション低めな表情だ。
画像右は、新しい老眼鏡を着用している。
こちらは、そこはかとなく嬉しそうな雰囲気である。

 

 

人の心というものは、誠に正直なものだなと嘆息するばかりのエブリデイだ。

素晴らしくてナイスチョイスな瞬間

IMG_4405

二週間ほど前、息子と庭で遊んでいるときにオオカマキリを見つけた。

 

 

飼いたいと息子は言うのだが、さすがにもう十一月の半ば。
餌となるムシを捕まえるのも難しいし、このまま逃がしてあげようよとどれだけ諭しても息子は首を縦に振らない。

 

 

仕方なく虫かごに入れ、息子が幼稚園に行ってからどうにか小さいムシを捕えてオオカマキリに献上したりして私が世話をした。
しかし、それにも限界を感じたし、息子もどうやら忘れているっぽいので、庭に逃がすことにした。

 

 

 

弱っていることもあったのか、その後もオオカマキリは庭を覗けばいた。
普段口にしないであろうアリなどを捕食しているようだ。
これも生きるためだ。仕方ない。
私はオオカマキリのガッツに感嘆した。

 

 

 

どうにかこうにか食いつないでいたオオカマキリだったが、昨日とうとう自分の足を食べていた。
見かねた私はカナヘビをササッと捕まえ、オオカマキリに差し出すとムシャムシャと食べ始めた。
これでどうにかもう一日は生きながらえるだろうとホッとしたのだが、今考えてみればカナヘビには悪いことをした。
ごめんなさい。

 

 

 

そして今日。
オオカマキリの姿はどこにもなかった。
餌を探して旅に出たのだろうか。
それとも天敵の餌食になってしまったのだろうか。
その行方を知る術はない。
後で、息子が幼稚園から帰ったら、ことの顛末を聞かせよう。
キミの庭でこんなドラマがあったんだぜ!
と多少話を持って伝えよう。
息子はどんな表情をするだろうか。
楽しみだ。

 

 

 

そんな息子は近頃、ザ・ブルーハーツに御執心。
歌はもちろんなのだが、ことさら甲本ヒロト先輩のパフォーマンスに痺れているようだ。
(数ある曲の中でも特に『青空』がお気に入りのようである。いいぞ、息子。ナイスチョイスだ。)

 

 

その激しい動きと、それはちょっとやり過ぎじゃ……と思わせる甲本ヒロトの表情を息子が真似る。
三十数年、甲本ヒロト先輩のファンである私はそれはもうとっても嬉しいことなのだが、いやちょっと待て、これってどうなのよ?
と少々心配でもある。

 

 

いや、大丈夫。
実は、そんなに心配していない。

 

 

これは息子の中での「カッコイイの基準」が着々と出来上がってきているという証拠なのだ。
これは大いに喜ばしいこと。
どんどん自分の中の「カッコイイ」を作っていってくれ。
それは誰にも邪魔されないよ。
お父さんとお母さんは、ちょとだけ方向付けはするかもだけど。

『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。
もちろんフレディのコスプレ、白のタンクトップにウォッシュのかかったスリムジーンズにアディダスのスニーカーでだ。

 

 

ここまで「観た方がいい!」と多くの方々に薦められた映画もない。
いろいろ様々なお客さんたちが絶賛をしていた。
クイーン好きじゃなくても絶対面白い。
クイーンすきなら尚更観て欲しい!
と耳元でエーオ!と幾人もの方々に絶叫されるのだから、それはもう重い腰を上げなくてはなと早朝にエエエオ!と劇場へと向かったのだ。

 

 

観終わっての感想は一言「良かった!」である。
いろいろと口を挟みたい気持ちはわからんでもないが、作品から伝わる熱狂と情熱の前には野暮天ってものだ。
何しろ曲がいい。
楽曲たちに色がある。
役者さんたちのなりきり具合にもシビれた。

 

 

ここまで書いておいてなんだが、実は私はかなりのクイーン好き。
幼少時より、普通に我が家で流れていたから、もう体の奥底に染み込んでいる。
子ども心に、変てこで気持ち悪くて面白い音楽……でも好き!
って感じだったと記憶している。
なんだか謎の魅力があったのだ。
フレディにも、気持ち悪さを突き抜けた先の格好良さを感じた。

 

 

クイーンが体内に染み込んでいることを実感したエピソードを一つ。
私が、ロケットバーバーで修行を始めた頃。
師匠と友人の中村太輔と私とで、店内の大々的な模様替えをしたときに、クイーンのグレイテスト・ヒッツをBGMに流したのだ。
そしたら、三人が三人ともアルバムに収録された楽曲でのフレディのパフォーマンスにいちいちピタリと合わせることができたのだ。
あれには笑った。
相当聴き込んでないと、ああはいかない。
あの瞬間、ある意味「絆」が生まれた気すらしたんだった。
そう、クイーンの楽曲たちにはそれだけのパワーがあるのだ。

 

 

そんなわけだから、今回の映画『ボヘミアン・ラプソディ』に私がグッとこないわけがないのだ。
だけども、正直観るのが怖かった。
夏に『ジュラシック・ワールド』を観に行ったときに『ボヘミアン・ラプソディ』の予告編を観て「これは観に行かねば!」と鼻息荒くしていたのだが、勝手にせいぜい単館上映ぐらいだろうと思い込んでいたもんだから、今回の大々的なロードショーには面食らった。

 

 

大ヒットという知らせ、多くのお客さんたちからの称賛の嵐。
お得意のアマノジャクっぷりに拍車がかかり、これはもう観るのをヤメようとすら思っていた。
でも観た。
観て良かった。
クイーンを好きで良かった。
音楽が好きで良かった。
生まれて良かった。
生きてて良かった。

 

 

そんな気分になれて幸福だ。
どうもありがとう。