ギャップパンチ

先日いらっしゃった二十代のお客さんが「この店の心臓部、これこそがまさにDOODLIN’ BARBER SHOPってところはココですよね〜」と指し示したのが、当店左奥の一角 ターンテーブル周辺だったのは嬉しい驚きでした。

私の中では、てっきりカウンター後ろの棚だと思っていたからです。
でも、そういえば そのカウンターがお客さんとの話題に上ることなんて殆どないですね。

これはもしかしたら店主の思い入れが強過ぎるからかも知れませんね。
アンタッチャブルな領域なのかも。

話題に出したら、マシンガンのように訊いてもいないことを喋られまくられるような気配がムンムン漂っているような、そんな感じなんでしょうね、多分。

そういえば随分前、ネット上で交流のあった遠方の同業者の方と初めてお会いしたとき

「イメージしてた感じより、声が高いですね♪」

と爽やかに言われたことがありましてね。
なんだかそれが妙に恥ずかしかったんですよ。
あれ、なんでなんだろ。
謎の恥ずかしさですよね。

それはさておき、どんな声だったらイメージ通りだったのかしらん。
ジャン・レノばりの低音が効いてる感じですかね。
それともハスキー?

イメージって、ちょっと怖くて面白いですね。
出来たら、良い塩梅に裏切りたいです。

「はいはい、まさにイメージ通り!」

ってなるのも、なんだか口惜しいじゃないですか。
居心地悪い違和感ではなく、パンチのあるギャップを狙いたいもんです。

ヤーマン! 

引き続き、いけしゃあしゃあで。

わけあって今日は休日返上で店の大掃除をしました。

ついでにフィギュアの位置をちょっと変えたり、レコードを並べ替えたり、ウェイトに置いてる本のラインナップを変えたりしたのですが、それだけで店が生まれ変わったような、かなりアップデートされたんじゃ?
って気がするのです。

誰も何も気づかなくてもイイんです。
自分だけがその変化を知っていればイイんです。
自己満足だろと笑われてもイイんです。
これが自分で店をやっている人間の特権ですから。

行きつけのレンタルビデオ屋さんで、レンタル落ち CD のセールをやってたので行ってきました。
一枚 110 円。
破格です。

“フィッシュマンズ”のオリジナルアルバムを狙っていたのですが、私が駆けつけたときには全て完売で膝から崩れ落ちました。
これはつまり、同じようなことを考えてる変態が近所にいるってことなわけです。
けしからん!

ってことで “ゆらゆら帝国” と、 “KORN” と “ケミカル・ブラザーズ” と “トータス” をゲット。
大満足。

と言いつつ、なんだかちょっとだけ虚しさもあったのはなぜだろう、なぜかしら。
空虚だな。

お客さんから、教えてもらった “Suspended 4th” という若手バンドの YouTube セッション動画を観て度肝を抜かれました。
今まで散々度肝を抜かれまくって来た私ですが、今回の抜かれ具合は、そのさらに先、新たなフィールドへの突入って感じがしました。
なんだかね、胸がザワザワするんですよ。
メンバー全員超絶テクニックで、しかもビジュアルもカッコイイのですが、中でもドラムが最高でして。

初めて観るバンドで、ドラムに心奪われるって今までなかったんでね。
これはもうね、衝撃でしたね。
いつかライブを観られたらなと思います。

いけしゃあしゃあと音楽好きを標榜してたから、こういう音楽を教えてもらえるわけです。
得ですね、いけしゃあしゃあ。
今後も、いけしゃあしゃあなライフスタイルを目指そうと思います。

そこにドラマがある

『サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』

これも先日中古屋で見つけた逸品だ。お値段600円。

「やったぜ、掘り出しもんだ!」

とエキサイトしたのも束の間、なんだかちょっと侘びしくもなってしまった。

多少カビ臭くはあるが、帯付きキズなしの美品。

1974年発売の日本製。

50年近く経って、こんなに状態が良いってことは、かなり大切に扱っていたってこと。大事に大事に聴いていたってこと。

その思いを馳せると、いろいろなドラマがあったんじゃないか……なんて想像してしまう。

もしかしたら、持主だった方は既に他界しているかも知れない。遺品の整理をしてた遺族の方が、棄てるのもなんだし、でもレコード重いし、かさばるし、聴けないし、面倒だからとコレクション全てを買い取らされたのかも知れない。

出すとこに出せば、それなりの価値と値打ちがあるはずなのにだ。

それをハイエナのように、やった〜ウシシ〜!と漁るオレってどうなのよ?

なんて妄想してたら切なくなったのだ。

まぁ、ともかくだ。

僕に出来ることは、このレコードを大切に聴くこと。それだけだな。

でも、それは得意だから大丈夫。だから前の持主さん、安心してください。

レコードにはドラマがある。だから大好き。

その曲が流れるとき

先日、ぶらりと入った中古屋でデビッド・ボウイの『レッツ・ダンス』のアナログ盤を発見。

ずっと欲しかったのだが、ネット上ではなかなか可愛らしい値段で取引きされてて手が出せずにいた。

でもそれが、税込で710円で売られてたんだから、そりゃ迷わず飛びつくわけである。

1983年(即ち私が小学六年生のとき)にリリースされた傑作アルバム。
名曲揃いなのだが、中でも冒頭を飾る “モダン・ラヴ” が私の大のお気に入り。
(‘ラブ’ じゃなくて ‘ラヴ’、ここがまたミソなのである)

映画『汚れた血』の劇中でこの曲が流れ出すシーンは、私の中で最も映像と音楽と物語が美しく合わさった瞬間だった。

この場面の完全パクりをドラマ『植物男子ベランダー』で観たときは震えた。この場面でこの曲を持って来る、わかる人にはわかるはず!
って作り手の魂を感じたからだ。

こういう風に作り手の方と繋がったような気がしちゃった瞬間って良いよね。
ちょっと痛い感じもするけどさ、とても良いよね。
で、自分もこの曲をBGMに全力疾走したくなっちゃうのよね。
こういう気持ち、わかるでしょう?

だがしかしだ。
このジャケットについては、ずっとカッコ悪くない?どう?そう感じるのオレだけ?

と思い続けている。良くも悪くも 80’s そのものよね。
どうにも部屋に飾る気にはなれない。
他のデビッド・ボウイのアルバムジャケットは良いのいっぱいあるのにな〜

ま、そこがまたミソなんだけどもね。

話は変わるけども、私の中ではしっかり繋がっている話。

今、並行して読んでいる近田春夫さんの自伝と「レコードは死なず」って本なんだけど、両書からビッシビシ感じるのは、その異常な記憶力だ。

まるで昨日のことのように数十年前の出来事や気持ちを詳細に描写しているからスゴい。
こういう記憶力って物書きにとっては必須なものだと思う。
その点、やはり自分はダメだったなと痛感させられつつ読んでいる。

無茶苦茶楽しく面白く読んでいるのに、なんだかちょっと胸の奥底がチクチクするのは、多分それが原因なんだな、きっと。

では股旅。

カッコマン・ブギ

今朝、息子がお気に入りの服を学校に着て行くのを躊躇っているので理由を訊いてみると

「これを着ていくとカッコつけ〜って友だちにからかわれるんだ」

とのこと。
お洒落をするってことは良い格好になりたいってわけで、友だちの言っていることは正しい。

で、カッコつけることの何が悪いの?

ってところがミソなのだろう。

ヤーイ、カッコマン!

と言われて、違う!違うんだよ!オレはカッコつけてなんかないんだ!
と叫ぶのもウソになるからな。
うむ、ヒジョーに難しい問題だな、コレは。

親として男として、ココをどう裁くべきか……

しばし思案して私は息子にこう告げた。

息子よ、そのからかってくる友人はきっと羨ましいんだよ。
カッコつけてて、カッコが決まっているからさ、それが羨ましいんだよ。

とココまで言って

「ん?どうなのそれ?」って自分でも思ったが、まぁいいだろ。

ともかく、自分はそういうことは言わないようにしようぜって息子に伝えた。
正解はない。

でだ。
この高田渡さんが生前撮りためた時代を切り取った写真を集めた写真擬(もどき)『高田渡の視線の先に』が素晴らしい。
写真集を観て、こんなにも胸がドキドキするのは初めてかも。
何気なく撮りためたものだからなのかな。
これもまた正解はないのである。