カッコマン・ブギ

今朝、息子がお気に入りの服を学校に着て行くのを躊躇っているので理由を訊いてみると

「これを着ていくとカッコつけ〜って友だちにからかわれるんだ」

とのこと。
お洒落をするってことは良い格好になりたいってわけで、友だちの言っていることは正しい。

で、カッコつけることの何が悪いの?

ってところがミソなのだろう。

ヤーイ、カッコマン!

と言われて、違う!違うんだよ!オレはカッコつけてなんかないんだ!
と叫ぶのもウソになるからな。
うむ、ヒジョーに難しい問題だな、コレは。

親として男として、ココをどう裁くべきか……

しばし思案して私は息子にこう告げた。

息子よ、そのからかってくる友人はきっと羨ましいんだよ。
カッコつけてて、カッコが決まっているからさ、それが羨ましいんだよ。

とココまで言って

「ん?どうなのそれ?」って自分でも思ったが、まぁいいだろ。

ともかく、自分はそういうことは言わないようにしようぜって息子に伝えた。
正解はない。

でだ。
この高田渡さんが生前撮りためた時代を切り取った写真を集めた写真擬(もどき)『高田渡の視線の先に』が素晴らしい。
写真集を観て、こんなにも胸がドキドキするのは初めてかも。
何気なく撮りためたものだからなのかな。
これもまた正解はないのである。

僕を作っているもの

今読んでいる『音楽の記憶』(印南敦史著)という本が面白い。

著者が好きな曲たちの、その向こう側にあるもの、その周りの風景と匂いを語ってくれている……って感じ。
なんだそれ?

自分で書いておいて意味わからなくなっているけども、つまりまあなんだかそんな感じの“記憶”と“経験”を軸にした音楽エッセイが集められている本なのです。

サブタイトルの “僕をつくったポップ・ミュージックの話” ってのも気に入りました。
なぜなら、確実に僕もポップ・ミュージックで作られているからである。

でもさっきですね。
近所のレンタルCD屋さんが、中古CDを大放出セールしてたんですけどね。
かなり安いんで、何枚か手に取って、んじゃまあ買いますか……お得だねウフフなんて思うんですけども、そんなのは一瞬で、すぐに気が萎えて「やっぱイイや!」となってしまうっつーね。

そんなのを何度か繰り返してましてね。
なんだかどうにも燃えなくなっている自分がいるんですよ。
ポップ・ミュージックで作られているはずのオレなのに。

今ちょっと僕の体内で音楽が飽和状態なのを感じてます。
何より欲しているのは『本』であり『文章』なんですよ。
なんなんですかね、これ。

だから、音楽そのものより音楽について語っているこの本がグッと来るわけです。

さっき読んだ『宇宙兄弟』の劇中での主人公 南波六太の父ちゃんの言葉「人生は勉強だ」もグイッと入って来ました。
なんなんですかね、これ。

なんだかココ最近、また竹原ピストルが僕の中で来ているんですよ。
それも、あまり聴かなかった『youth』ってアルバムがやけに来ている。
その中でも “ぼくの夢でした” って曲が特に来ている。

説明できない いろいろ様々な事象が、僕を作っているのである。

トンネルを抜けた先には、きっとただトンネルを抜けた先があるだけだよ

今日は定休日。

ってことで芝生を侵食し始めた雑草使徒たちをデストロイしつつ、その合間に敬愛する近田春夫さんの自伝『調子悪くて あたりまえ』を読んでいる。
もちのロンで面白いこと この上なし。

このタイトルの元となったビブラストーンの同名曲『調子悪くて あたりまえ』をバカみたいに何度も何度も聴いていたのって何年前だったっけ?

と思い立って調べてみたら、この曲が収録された魂の傑作アルバム『ENTROPY PRODUCTIONS』が発売されたのは1991年、つまり30年前なわけで、私が華の浪人生(恥ずかしながら二度目)のときだったんだった。
ナウく言えば “どんだけ〜” である。

なんだかな……自分の怠惰さを棚に上げて「調子悪くてあたりまえ〜」なんてホザいていたんじゃないかと、かつての自分に戦慄を覚えてしまう。
我ながら、ホントにホントにしょうもないボンクラだったなと思う。

そういえば、いとうせいこう さんも「一年に何度かこのタイトルを口に出すし、あらゆる友達に捧げたくなる……」なんて言ってて、ME TOO だよ me too!って絶叫したこともあったな。
そう考えると、もしかしたら、オレもそれほどのボンクラでもないのかもな。

ボンクラついでなのだが、新宿の歌舞伎町がなんで、そういう名前になったのかって ずっと知らなくて、でも知らなくても全然気にもならないまま五十歳までノウノウと生きてきちゃったんだけど、今朝それを知ることが出来たんだった。

戦後復興を任された人が「東京をヨーロッパの都市みたいにしちゃうんだぜ!」と息巻いてたんだけど、予算は無いし、まずはガレキどうにかしろって言われて結局当初のプランの十分の一くらいしか出来なくて凹んでいたところに、新宿区長から「銀座と浅草がイイ塩梅で混ざった新しい街をわ作ってよ!」と頼まれて、ぬ!そっちの方が面白そうだぜ!ってなっちゃって、それで作ったのが新宿。

歌舞伎座も作っちゃうよ〜と燃えてたんだけど、GHQにダメって言われて、その名前だけが残ったんだそうだ。

子供のころから何度も何度も行っていた歌舞伎町。
うすらぼんやりと歌舞伎って感じの派手さと猥雑さが混じり合っているから、この名前がついたんだろうな〜って思ってたけど、全然違ってた。

今まで華麗にスルーし過ぎたな。
きっと身近にもっともっと面白いことがたくさんあったんだろうな。これからは、イチイチ立ち止まってみるのも良いかもね。

って今さっき、所沢市三ヶ島のボンクラは思い立ったのさ。
よっしゃ、もっともっと学ぼう!

その気持ちを忘れるな

春の陽気のせいだろう。

ふと今朝、かつてまだ自分が髪をお客さんとしてカットしてもらっていたときのことを思い出したんだった。

そのときの自分は髪を切りに行くことを楽しみにしていた。

どんな話をしてくれるかな……
どんな音楽を聴かせてくれるかな……
どんな空気が流れているかな……

とてもワクワクしていたのを覚えている。

あのときのあの感じ。
あれが今朝、お客さんのシャンプーをしながら、グワングワンと蘇って来たんだった。

僕は思った。

あのとき、僕が感じていたあのワクワクを、今来てくれているお客さんが感じてくれてたら嬉しいな。
多少自惚れの強い痛いオッサンなので、うむ!きっと感じてくれているに違いないぜ!と思い込むことにした。

プロにならなきゃなと思いつつも、あのときの自分がまだお客さんだったときの気持ちを忘れてはいけないな。
気を抜くと、すぐに忘れがちだからね。

誰かがこう言っていた。

“自分が笑うために一生懸命やるのはアマチュア。
プロは、人に喜んでもらう、笑ってもらうために努力する……”

ふむなるほど。
でも、僕は多少自惚れの強い欲張りで厚顔無恥で図々しい軽薄な床屋のオッサンだから、自分が笑うためにも一生懸命やるし、人に喜んでもらう、笑ってもらうためにも努力しようと思う。

写真は三十年近く前、僕がまだ何者でもなかった頃のもの。
これを見て出てくる一言は「自由だな〜」って感じか。
イイね、自由。

それでは股旅。

面白ければ、それで良し。

近頃なんだかやけに THE STONE ROSES が来ているなと感じている。
店内 BGM としてもよく流すし、ネット上や、お客さんとの会話でもちょいちょい話題に上がる。
このコロナ渦中の今、なんだかグッと来させる何かがあるのだろうか。
うん、きっとあるんだろうな。

で、僕はこのバンドの音はもちろん、そのジャケットのアートワークも好きなんだが、これをデザインしているのが
メンバーであるジョン・スクワイア(G)だと云う衝撃の事実を知ったのは、今日の朝だったんだった。

好きなのになぜ知らなかった?

賢いアナタは、きっと嘲笑するだろうね。
でもさ、人生にはさ。
好きだけど、好きなのに何故か何故だかスルーしちゃうってことがあるじゃない?
きっとわかってもらえると思うけども。
ない?
ならゴメン。

格好いいジャケットだな〜
と思いつつ、それを描いたのが誰か……

って考えなかったわけじゃない。
きっとメンバーの友人か何かが「ジャクソン・ポロックみたいな感じで!」って頼まれて描いたんだろうな〜
ってぼんやり思うぐらいに止まっていたのだ。
何かと無闇矢鱈に掘り下げがちなタカサキテッペーであるはずなのに、なんでかな……
我ながら不思議である。

ジョン・スクワイアは今、画家としての活動に主軸を置いているそうだ。
2009年には、東京でも展覧会を開催したらしいので、いつかまたやってくれることを期待する。
ジャクソン・ポロックの影響を受けたジョン・スクワイアの影響を受けて、オレもアクション・ペインティングで描いてみようかしら……

で、そこに「DOODLIN’ BARBER SHOP」と屋号を入れて看板にするのも面白いな〜
なんて発想が生まれるのも、ありだ。
面白ければ、それで良し。
うん、ホントちょっと本気でやってみよう。
この気持ちが冷めないうちにね。