夢を観たのさ

近頃なんだかやけに面白い夢をよく観る。

昨晩観たのは、私がなぜか立候補してて、何に立候補してるのかも不明なのだが、ともかく大勢の人々の前でスピーチをしなくてはならない……
なんつー夢だった。

私は何故か妙な自信に溢れてて、気の利いた名文句を選り混ぜ、緩急つけたトーンでユーモアを散りばめて話せば聴衆のハートは鷲掴みだぜ、お茶の子さいさいだぜフフフ……

なんてほくそ笑んでいたのだが、その幕が上がる前に夢から覚めた。

イイ高揚感に包まれてたし、ヤレる気満々だったのでガッカリしたんだった。時計を見たら午前五時。

私が起きたことに気づいたネコが近寄ってきてフンフンと鼻を鳴らした。

コレも何かのメッセージなのかしらん……

と寝ぼけた頭でちょっと考えて二度寝した。

変な夢を観るようになったのは先週歯を抜いてからだ。
約四十年口内に存在した一本の奥歯が無くなったというのは、私が思う以上に私の中では大事件なのだろう。

負け惜しみではないが、奥歯を一本抜いたのに、ちょっとした爽快感がある。
と同時に喪失感もある。
変な感じだ。

でも何事も二面性があるのよね。
表裏一体、隠と陽。
ここで面白がれれば勝ちよね。
何に勝つ?
わからん。

年内は大晦日まで営業いたします。
年始は六日から。

生意気にもクリスマス以降、結構予約埋まってきていますので、年内に切っておきたいって方はお早めにご予約をよろしくお願いいたします。

とかくこの世は “ズレ” やすい

坂本慎太郎さんの7inch「好きっていう気持ち」のジャケット(もちろん中身も)の空気感が、なんだか今の世間の面持ちと私の心持ちにやけにフィットするんだよなぁ……
と感じるのです。

非常事態宣言下以降に書き下ろした新曲だそうで、「あ、だからか〜」と独り勝手にしみじみ納得しているのですが、こういう世相を作品でタイムリーで表現するのって、やはりアーティストの役割だと思うし憧れます。
素晴らしいなと。

で、このアートワークも坂本慎太郎さん自身が描いているのです。
それも良いなと。
それはつまり絶対中身の「音楽」と「アートワーク」に “ズレ” がないってことじゃないですか。

この “ズレ” がないって凄いことだと思うのです。
とかくこの世は “ズレ” やすいじゃないですか。
その “ズレ” を狙ったり楽しんじゃったり、そこがイイんじゃないって言える強者もいらっしゃいますけども。

なんかね、自分の作品に対して真摯だなと思うのです。
真摯、大事ですよね。
いろいろ様々なことに対して真摯でありたいですよね。
紳士然として。
なんつって。

師走に突入して半月が経ち、このコロナ禍でも周囲がザワザワし始めているのを感じます。
クリスマスツリーを飾ったり、年賀状や正月飾りの用意をしたりして。

なんだか空白感満載でしたね、2020年。
来年もまた2020年で良いのにと思うぐらいです。

さてと、んじゃまあ「どんぐりの家」(山本おさむ著)でも読みますよ。
はい、今日は定休日なんで。

あ、年末のご予約、結構入ってきております。
ありがとうございます。
年末は大晦日までやりますので、ご予約はお早めに。年始は六日からを予定しております。

今年の散髪、今年のうちに。

股旅。

それは逃しちゃダメ

十六年前、初めて作ったオリジナルティーシャーツのバックにビシッと『High Voltage Barber Shop』と入れたことを思い出し、このビートルカエル貯金箱にも入れました。

けども、それが今や真逆である『Go Slowly』を標榜するようになったのですから、人生何が起こるかわからないものです。

歳を重ねたとはいえ、同じ人間の仕業とは思えないその変わりっぷりに瞠目するばかり。
それはつまりこのコロナ禍がそれだけパンチある状況だってことなんでしょうね。
効いてるよな〜このパンチ。
かなり重く入りましたよね。

そんなコロナ禍の最中、私は奥歯を抜くハメになりました。
十八年前に治療した歯が、シルバーコーティングされた内側で知らぬ間にデストロイされてたんだから参った参った参りました。
降参。

親不知以外では初めての抜歯。
そりゃちょっとは落ち込むこともありましたが、私は元気です。
二十年前の自堕落な自分を呪っても仕方ないですもの。
少しでもポジティブに受け入れられるよう頑張ルンバ。

でもね。
抜いてみたら、これが結構な解放感をもたらしてまして。
負け惜しみじゃないですよ。
抜歯したのは左下奥歯なのですが、そのあたりがヤケに軽い。
かなりスッキリしましたよ。

こうやってね、どう考えてもネガティブな事象に対して、無理にでもポジティブに受け止めてみせる姿勢ね。
これ、結構これからの余生に必要な心意気だと思うのです。

抜歯後にいただいた抗生剤&痛み止めのせいですかね。
昨夜はなかなか不思議な夢のオンパレードでした。

夢きっかけでふと思い出したことがありまして。
あれは私が小学五、六年生だったときのこと。

私は当時「ウイングマン」という漫画に夢中だったのです。
で、そのウイングマンの絵をよく描いていたのですが、授業で使っているノートの表紙にも描いたんです。
で、そのノートを算数の答え合わせ(出来たら先生のところに持って行き、正解だったら休み時間)で先生に提出した瞬間に激昂されて、そのノートを床に叩きつけられたんですよ。
遊びじゃねえんだ!ふざけるな!ってね。

で、謝ってどうにか許してもらったのですが、あれの何が悪かったのか未だにわからないのです。
全然悪いことしてると思ってないのに謝罪したわけです。
そうするのが一番イイことだと思ったからです。

絵を描くことが好きでした。
戦車とかガンダムとか戦闘機とか描いてましたね。
絵が上手くなりたかったけど、近所にあった絵画教室の外壁に飾られている作品たちを眺めても、全然自分が描きたい絵じゃないし、だから習いたいなんて思えなかったのですが、

「上手になりたい」と思ってたんなら動けよ!

と今になって後悔しております。
習ってたピアノもいまいち夢中になれない。

ギターの方がイイと思ってたんなら、やれよ!

って、何十年経ってもモヤモヤしてしまいます。
思いはするのに動かない。
で、結局夢中になれるものがないまま時間ばかりが過ぎてしまいました。

これからもし何か夢中になれるものが見つかったら……それは逃しちゃダメですね。

気をつけます。
ほどほどに。

そこ大事、それ大切。

先日、学生さんたちの Slipknot のコピーバンドのライブ動画を YouTube で見つけまして。
みんなお揃いのツナギを着て、みんなマスクかぶって、それはもう楽しそうに演っていたのですが、その演奏はさておき、そのライブパフォーマンスがちょっと振り切れてない&突き抜けていなかったんですね。

それはもう素人さんの学園祭バンドなわけですから当然なことなんですけど、私は「あ〜サマになっているって凄いことなんだな……」と、あらためて感じ入ったのです。

これは何にでも言えることで、何でも「カタチになっている」「サマになっている」ってのは凄いことだなぁと、二回同じことを言いたいくらい痛感したのでした。

だからね。
なんだか、どんな表現であろうとも、自分の好き嫌いはさておき、カタチになるまでに昇華させた物事には敬意を払わねばな……と思ったのです。

これはね。
来年五十路に突入する所沢市三ヶ島の床屋のオッサンならではの境地でありまして。
そうじゃなくてはいけないとか、そうじゃなきゃダメなんて他人様に押し付けるものではなくて、

「あ〜これからは自分はそうしようじゃないか!ヤーマン!」

となっただけのものです。
払うぜ、敬意!
どんどんリスペクトしちゃうぜ!多分!

話はあまりにも突然に変わります。

息子が飼っていたカナヘビが死んでしまったのです。
数匹いるうちの一匹だったのですが、ことのほか息子が悲しみまして。
自分がムリにエサをあげたからじゃないか……
自分かストレスを与えてしまったんじゃないか……
と泣きべそをかくのです。

そうかも知れないね。
でも、何かを「飼う」ってそういうことだよ。
よし、ちゃんとお墓を作ってあげよう。

息子はカナヘビの亡骸を自分の手で取り丁寧に埋葬しました。
墓標も作りました。
それから手を合わせていました。

少年時代のこういう経験、プライスレス。

自由は最高

近頃、息子のマスク創作熱がますます上がってきているのです。
彼の大好きな Slipknot のメンバーは9人。
で今3つ作ったから、あと6つなんだと息巻いている。

で、これが七歳少年にしてはなかなかの出来栄えで「ホホー!こんな風に作るんだ!ナイスアイデア!」と感心させられることもしばしば。
その発想の自由さ加減にシビレさせてもらっているのです。
ありがとう、マイサン。

自由と云えば、ザ・クロマニヨンズのニューアルバムの一曲目が『VIVA! 自由!!』という曲でした。

♪自由は最高 自由は最高 自由は最高
ランララ ランラララーン♪

なんて五十路後半の格好いいオッサンたちに歌われてしまうと、なんだかもう細かいことを気にするのがバカバカしくなりますね。
これが“ロックンロールの効能” ってヤツなんですかね。
イイ効き目です。
ありがとう、ザ・クロマニヨンズ。