今そこにあるテクノロジィ

二ヶ月間、無料で使えるっつーことで、Apple musicとやらに登録してみたのです。

片っ端から定額聴き放題ってシステムが、どうにも床屋のオッサンは好きではなく、だってほら、その音楽が持つ尊さとかが低くなっちゃう気がするじゃないですか。
私としては一聴入魂したいので、ダラダラと垂れ流すってのはどうにもねぇ……

なんて眠たいことをほざいていたのですが、登録してみたら感謝感激感動の嵐。

ちょっと聴いてみたかったアーティストの曲とかがズバズバ聴けるし、おまけに「こんな曲好きならこんなんDO?」ってオススメまでしてくれるし、それらがまたかなりの高確率で好みのものばかりで、うわ〜こりゃスゲーわマジで!

と膝を叩きまくっているところなのです。
そしたら、今の気分にドンピシャリミテッドなレコードジャケットがあったので写真に残すことにしたのです。

どうです?

この横尾忠則先輩の狂気に満ちた凄まじいパワフルさ。
こういう圧倒されるものに出会ったとき、私は「これがもしや芸術ってやつなのかしらん……」と遠い目をするのです。

そんなテンションで、先日ゲットした『ブルース飲むバカ歌うバカ』(吾妻光良著)をペラペラ捲っていたら、B•B•キング先生がこんなことを仰っていて「こ、これはっ!」と稲妻が体内を駆け巡ったような気持ちになったのはココだけの秘密です。

『今の時代ってのはテクノロジィ抜きには考えられないわけで、それにムリヤリ抵抗する必要はありません。
何故ならそれは良い物だからですね。
テクノロジィのもたらしてくれる物は何にせよ良い物です。
確かに悪い物もちょっとあるでしょうが、ほとんどは良い物です。』

この言葉も誰が発するかで全然違うものになります。
あのB•B•キング御大が仰っるから、もの凄い「意見」になるのだと言うことを人は忘れてはいけません。
これ、結構忘れがちなんで肝に銘じてます。
常に「お前、身の程をわきまえろよな!」と己に言い聞かせているエブリデイなのであります。
押忍。

そんなわけで、最近はApple musicで よく奇妙礼太郎さんを聴いております。
奇妙礼太郎の音楽から派生する、色々様々な音にも耳を傾け、また新たな音を見つけているわけであります。

あゝ忙し。

股旅。

今しか僕にしか出来ないことがある

二十数年前、『田宮模型の仕事』という本を読みましてね。
その製品化への道のりに胸が熱くなり、思わず買ってしまったのが、このタミヤの「HONDA F-1 1/12」。

箱のデカさとパッケージのカッコ良さに痺れまくったのですが、開けてみてションボリ。

どう足掻いても、自分には作れない難しいキットだと諦めたのでした。

で、それから二十数年が過ぎ。

再びプラモデル作りに夢中になり、どうにか趣味にまで昇華させつつある床屋のオッサンである今現在の私は思い立ったのです。

「もしや、今のオレちゃんだったら作れるんじゃない?どう?」と。

思い立ったら吉日。
バックルームにしまってあったキットを取り出してパカンと箱を開けてみると……そこには黄ばんだ組立説明書とデカール、触ればポロリと落ちてしまうパーツたち。

そりゃそうである。
二十年以上、ほったらかしにしてたんですもの。みつを。

しかし、これならイケるぞ!イケるはずだ!
と私は製作に着手することを決意したのでした。

まずは弱っているであろう各パーツの補強を兼ねてサフを吹き、ベースとなるホワイトでコーティング。

それからゆっくりと作り始めたんだったんだった。

しかし、やはりパーツの劣化はかなりのもんで、組み立て途中での破損が相次ぎ、私は膝から崩れ落ちそうになること数十回。

何度も挫けそうになったが、どうにか完成にこぎ着けました。

まあ、我ながら酷いもんです。
途中で諦めた箇所も幾つかあるし、デカールもあちこち割れちゃうし、パーツが沿ってるから辻褄合わせでやるしかないし……

古いキットだから仕方がないぜ!
だなんて言い訳はダサいからしません。
ハッキリと私の実力不足が露呈した結果がこれです。

でもね。
私は出来立てのコイツが愛おしくてしょうがないのですよ。

このしょうもなさは、全て私そのもの。
これが圧倒的な現実であり実力なのだと思うとたまらなく可愛いのです。
見てるだけでワクワクしちゃうんです。

こういうところが模型作りの良いところ。
なにしろ「自由」なんです。
下手だろうとコレは私が作った私のキットなのですから。
何人たりとも侵害出来ないサンクチュアリなのです。

ああ楽しい。

Doodlin’ Drab

「お父さんが好きな色はオリーブドラブだよね」

息子が唐突にそう言ったのでした。

オリーブドラブ、それは色の名前である。
第二次世界大戦からベトナム戦争時期まで、アメリカ軍の戦闘服および車両の標準塗装色として使用されていたので、皆さんも戦争映画などで観たことがあるでしょう。

うむ。
確かに嫌いな色ではないが、好きな色は?と訊かれて直様「オリーブドラブ!」と即答する人は激レアだろう。
私も、いの一番に出てくる色ではない。
何をどうして息子はそう思い至ったのであろうか。
謎だな。

で、このオリーブドラブ。

私はつい最近まで「オリーブ・ド・ラブ(Olive De Love)」って印象でこの色名を捉えていたことを白状しよう。

愛のオリーブ……的な?
そんな色名だから、なんだかロマンチックだな〜
だなんて夢想していたポンコツボケナスな私です。

だから実は「オリーブ ドラブ(Olive Drab)」 なのだと知ったときは驚愕した。
と同時に恥ずかしさで胸がいっぱいになった。

頭の中で「オリーブ・ド・ラブ(Olive De Love)」だったものが「オリーブ ドラブ(Olive Drab)」 に変換されて行くのが気持ち良い。
なんなのだろうか、この感情は。

で、この「ドラブ(Drab)」だ。
ドラブとは、あまりかぐわしくないって意味合いらしい。
面白くなく、無関心、陰気、不快、輝きや明るさや色彩に掛けていることを表す言葉で、これが色の形容となると「ドラブなオリーブ」ってことで、鈍いモノトーンの茶褐色になるのだそうだ。

なんだかちょっとグッと来てしまったのは何故だろう何故かしら。

ドゥードゥリン・ドラブ (Doodlin’ Drab)

なんかいい。
響きもいい。

このドラブ。
いつか何かを作るときのヒントにしようと思います。

では股旅。

わざわざ遠回り

おはようございます。

行きつけの模型屋さんで『プラモデルがうまくなる本 少年の頃、夢中になった大人たちへ』と云う、まさに今の私にドンピシャで魅力的な本を見つけたのですが、手に取るのをやめたのです。

四十年ぶりにプラモデル作りを再開して一年が経ちました。
まぁそれなりに自己満足できるものも作れるようにはなりましたが、まだまだその道(プラモ道)は果てしないロング アンド ワインディングロード。

だのに、私はこういったマニュアル本を見ないようにしているのです。
さすれば、「なるほど!こうすれば良かったのか!」と参考になる情報が満載であるはずなのに、私は手に取らない。

それは何故かと考え、それが何故かがわかりました。

私は、自分でそこに辿り着きたいようなのです。
あれこれ失敗し、あれこれ試行錯誤し、そして自分なりのやり方を見つけたいようなのです。
マニュアル本を見れば、そこをショートカット出来る。
でも、それがなんだかつまらないのです。

若い頃だったら、直様飛びついていました。
ゲームでも、すぐに攻略本を見てさっさと先に進めることを選んでいました。
その足踏みしてる時間にイライラし無駄に感じていたのでしょうね。
そんなだったのに五十路になった今は何故だかそれをしたくないのです。

上手い人の作品も見たくない。
己の技術とセンスの無さを痛感し落ち込みたくないってのもあるが、それより大きいのが「影響を受けたくない」って思いです。

一緒にプラモデル作りを楽しんでいる十歳息子は、YouTubeやら何やらから情報をたっぷり吸収し、すぐに真似をし、そして失敗し、そこから創意工夫をして、どんどん上達しています。

その素直さ貪欲さを見て、羨ましく思う自分もいるのだが、それはしない。
それはしたくないのです。
多少、いやかなり遠回りになろうとも、自分で考えてそこに行きつきたいのです。
こんな気持ちわかるでしょう?

この信念は、何となく自分の仕事や店作りにも繋がっているような気がしています。
ずっとプラモデル製作から離れてはいましたが、髪を切ることとプラモデルを作ることは似ているなって常々思っていましたしね。

プラモデルは、組み立て説明書通りに作れば、一応形になります。
髪もそう。
セオリー通りに切れば、一応形になる。

プラモデルは、そこから塗装したり改造したりディテールアップして、自分だけの作品を作り上げていく。
髪を切ることも、それが必要。
自分だけの創意工夫が、自分だけが作れるヘアスタイルになって行くのだと私は信じています。

たかがプラモデル。
されどプラモデル。

そういうものの中に愛が多分きっとあるのだと思っています。
なんつって。

好きか嫌いかで物事を語ってみる

『例えばラーメン屋なんかを「あの店は美味しい!」って評したりするから

「え?マジで?どこが?パードン?」

なんつって、否定してくるドヤ顔モンスターが湧いて出てくるわけで、

そこは「オレは好きだな〜」と言ってしまえば、「あ、そうなんだ。へ〜」で済むのだよ……』

と先輩が言っているのを聞いて「いやはや、ホントそうかもな……」なんつって、しみじみ納得したんだった。

これって、他のいろいろ様々な事案にも当てはめられる。

あの映画は面白い!あの漫画は面白い!

などと言ってしまうと「いやいや!え〜マジか〜!」などと言ってくる自称センス爆発野郎たちが立ち塞がるわけで、ここもやはり「あの映画が好き!あの漫画が好き!」と言えば良いのである。

誰もが「好きか嫌いか」基準で物事を捉え、そしてその気持ちを尊重し合えれば平和な世の中になるんじゃないかと。

自らの半径数メートル範囲内はもちろん、世界規模でもそのハッピーな輪は広がって行くんじゃないかとイマジンしてみる。

そんなわけで今年も猛烈な暑さに見舞われている。
地球が人類滅亡を企てているんじゃないかと邪推したくなるほどの強烈な暑さだ。

こんなときはコレだね!

と レゲエ や ダブ や オーセンティック スカを聴いているのだが、むしろ私の体温は急上昇。
こりゃいかんと久しぶりにアレステッド・ディベロップメントの「3 Years, 5 Months & 2 Days In The Life Of…」を聴いてみたら、こりゃまた最高な塩梅。
さすがのマスターピース。
リリースされて31年も経つんですね。
そうですか。
そりゃ私も歳をとるわけだ。