なりたい自分に近づきたい

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おはようございます。

ここ最近、連日何件もの営業電話がかかって来て困っている。
それはもう、何処かで誰かが当店の電話番号をリークしたんじゃ?ってぐらいに。
その大半が「ネット上で有効な宣伝をしませんか?そのお手伝いをします!(おそらく、いや確実に有料で!)」って感じのもので、一瞬チリっとしつつも、そんな態度はおくびにも出さず丁重に御断りさせていただいている。
だいたい開口一発「オーナー、もしくは代表者の方はお手すきでしょうか?」と来る。
「私です。一人でやっているもんで……」
と返すと「え?そうなんですか?」と来る。
ここで私は白目をむく。
営業の電話をしてくるんだったら、最低限相手の情報を得てからにしてよ〜ん!ゲヘ〜!となる。
そして、そちらが仰るような集客を出来たとしても、店主一人カット椅子一脚なので、現状ではそれをさばけないので……と御断りする。
すると、明らかに態度が豹変し、ぞんざいな感じで電話を切られるのである。
これが大概のパターン。
「予約の電話かしらん?嬉しい!」と、一瞬でもぬかよろこびした己が恥ずかしいったらありゃしないのである。
しかし、私でも知っている某二社からの営業電話には感心した。
まず冒頭「高崎さんでしょうか?」と来る。
口調も丁重で、その奥底に教養を感じられる。
話を聞いていると、ちゃんと隅々まで当店のHPを見てくれていて、立地も把握している。
その上で、何かしらのプランを提供しようとしてくれている。
その他大勢の営業電話とは圧倒的に真逆だ。
この違いってなんなの?何処から生じるの?
その答えはなんとなく見えている。
大げさな物言いになるが、ある意味現代日本社会の縮図だな……と感じるのである。
きっと、この調子だと今日もガンガン電話がかかってくるだろうな〜
しかし、仕事中だろうとイラッとせず感じよく応対せねばな。
かつて、あからさまに嫌な態度をとってしまった時は、電話を切った後に激しい自己嫌悪に陥った。
「お前、何様だ?」と。
「いつから、そんな偉くなったんだ?全然なっていないだろ?このウツボ野郎が!」と。
まさにビートたけしの言葉「一つの行動に生き様が出る」である。
意識し、己を律することで、なりたい自分に近づける……はずだ。
そう信じて、今日も働こう。
そうそう。
仕事用のシューズを新調しました。
ここ数年は、adidas campus を愛用してたのですが、今回は Saucony の
jazz をナイスチョイス。
その色味に惚れました。
それに、DECHOのワークキャップ。
中村商店のエプロン。
これが今の私のユニフォームです。
そしてBGMは阿部海太郎で。
股旅。

僕のロック 君のロック

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「どんなジャンルが好きなんですか?」

とりわけ若いお客さんに訊かれることが多い。
僕の好みの音楽のジャンルは何ですか?と云う質問だ。
ココで僕は困る。
ジャズ、ファンク、ソウル、レゲエ、スカ、ブルース、テクノ、ハウス、ダブ、エレクトロニカ、ケセラセラ、etc。
どれかに絞るってのは困難なのである。
そして考えに考え抜いた末に、僕はこういう風に答えることにした。
「ジャンルが何であろうと、そこに自分の中でロックを感じることが出来たら好きです。
他の誰かに『え?それ全然ロックじゃねえし!』と言われようとも全然構わない。
自分がロックと思えればそれでイイんです。
声高に『これがロックだぜ!』と叫ぶこともなく、そっと心の奥底で『ロックンロール……』とつぶやければイイのです。ルルルラララ。」と。
これは我ながらナイスな返しだなと自惚れた。
わかっていらっしゃるとは思うが、僕が云う「ロック」とは「イエーイ!ロケンロー!シェケナベイベー!」ってノリでは断じてない。

なんかこう、心の奥底にスーンと横たわる強大な力って感じのもので、優しくて、ただひたすら優しくて、いやはや正直全く説明出来ない。
だけど、これもまた『そんなの全然ロックじゃねえし!』と誰かに嘲笑されても全然構わないのである。
だから、僕は貴方のロックも否定しない。

ふと店内の本棚を眺めて吹き出した。
これもまたロックだなと思った。
本棚には、その人間の生き様が現れていると思う。
いや、これはちょっと違うか。
その人間の「自分はこうありたい!」って矜持のようなものが見えてくる感じと云えばイイか。
ふざけてるな〜と自嘲しつつも、イイぜこれ!スゲ〜イイぜ!
と自惚れてもいる。
誰も褒めてくれないから、ひっそり独りでほくそ笑んでいるのだ。

その全てがプライスレス

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昨日、妻の実家から梨が届いた。
息子の大好物である。
季節ごとに巨峰や桃も送ってくださるのだが、そのどれもに息子は目がない。(いつもありがとうございます!)
そして今朝。
食卓に梨が出た瞬間、すかさず息子の手が伸びた。
両手いっぱいに梨をつかみ、「これ僕の〜」とはしゃぐ息子。
どんどん食べなと微笑む僕と妻。
そういえば自分が子供のときも、父や母は自分の分さえも「どんどんお食べ」と分けてくれていた。
あの時は「こんな美味しいものをナゼ?」とその大人たちの行動が不思議でならなかったが、いつの間にか自分も同じ行動をとるようになっていた。
あの時の大人の気持ちが今はわかる。
どんどん分けてあげたい。
どんどん美味しい顔を見せて欲しい。
「多分、あの時の親の気持ちもこんなだったんだろうな……」
と思う機会が増えた。
今さっきも、昼食後に僕は息子が飼っているオオカマキリたちのために、裏庭にダイブしてバッタを数匹捕まえて来た。
ナンテコトナイ。
息子の喜ぶ顔が見たいからだ。
「お父さんスゴイ!」と息子を感嘆させたいからだ。
幼少時、虫採りに連れてってくれた父も同じ気持ちだったのだろう。
カッコイイところを沢山見せてくれたものだった。
この夏に捕獲したカブトムシやクワガタたちは、まだまだ元気でいる。
でも、少しずつ息子の気持ちは離れているように感じる。
そりゃそうだ。
子供ってのはそういうもんだ。
何しろ飽きっぽいのだ。
でも、だからと言って「どうせ飽きるんだし!」と流すってのはしないようにしたい。
その都度その都度、一緒に完全燃焼出来たらなと思う。
四十路半ばにもなったから、ある程度はわかるようになってきた。
今のこの時間はかけがえのないものだということを。
家族と過ごす時間。
その全てがプライスレス。

鬱陶しいオッサンで上等

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本日。
私はシェービングの際に老眼鏡を装着すると云う大いなる一歩を踏み出しました。
これがもう見えて見えてしょうがない。
これでもう一本残らず毛をサーチ&デストロイ出来るっつー魂胆です。
老眼鏡……その言葉の響きに多少の後ろメタファーを感じてはいました。
英語では「Reading glasses」と呼ぶらしいですね。
さすがの前向きさ加減です。
老眼鏡……どうでしょう、ここらで新しい名前に代えませんか?
名前、それは燃える命ですから。
ちょっとなんかこう、装着することに誇りを覚えるような、そんなネーミングが望ましい。
知的、かつ文学を感じさせるようなのがイイですね。
夏目漱石先生あたりが素敵な呼び方をしてないかと調べてみたのですが、どうやら先生も作中で『老眼鏡』と表記しているようです。残念。
ともあれ、今後は仕事中、おもむろにシュターンと老眼鏡を装着し作業に取り掛かりますので、「あの野郎、伊達メガネか?気取りやがって!」などと一瞬たりとも思わぬようヨロシク願いたい限りであります。
何もかも、より良い仕事をしたいと云う思いからのものですから。
先日、ご来店してくださった中学三年生のお客様が、えらく忌野清志郎 & 甲本ヒロトに心酔しておりまして。
ヘタしたら、キミにとってお爺ちゃんぐらいの年齢なんじゃないかとからかいつつ『オレは「ザ・ブルーハーツ」と「RCサクセション」のライブを観たことあるんだぜ!ゲヘ〜』と鼻息荒く自慢しておきました。
そして、自分と同世代にもきっと大好きになれるアーティストが現れるよと言っておきました。
それと「それだったら、そこからさらに深くそこを掘って行こうぜ!」とも言っておきました。
もちろんドヤ顔で。
鬱陶しいオッサンで上等です。
かつては嫌悪したオッサンたち。
絶対あんたたちみたいにはならないぜと固く決意したものでしたが、今はそういうオッサンにならなくちゃダメだなと思ってます。
その気持ちわかるぜ〜などと若者たちに迎合しようとはせず、堂々と意固地になろうと思います。
よー、そこの若いの、オッサンたちや親たちにとことん否定されて、でもそれでも自分が大好きだと思えるものを大切にしろよ!って鬱陶しく言おうと思います。
「あんたたちには到底理解出来ね〜だろうな!」
と腹の底から笑って欲しいです。
さてと。
そろそろ寝ます。
おやすみなさい。

読書季節到来の予感

どうもこんにちは。
風の感じから察するに、どうやら夏は終わってしまったようですね。
この八月末になると、なんだか『サヨナラは八月のララバイ』ってフレーズが頭の中をグルグル回りますよね。
どんな歌だったか、全く思い出せないのですが、何故かこのフレーズだけが強く印象に残っているのです。
 
近頃、ちょろちょろとまた本を手に取るようになりました。
リハビリ的な感じで軽く読めるだろうと、まずは『社会人大学 人見知り学部 卒業見込』をナイスチョイス。
そうです。
所沢の星 オードリー春日の相方である若林正恭さんのエッセイです。
 
元々、彼の醸し出す独特な存在感が好きだったのですが、このエッセイを読み始めてから、さらにその想いは深まりましたね。
多分僕は全然人見知りではないと思うのですが、彼の「感覚」や「距離感」の取り方というか伺い方には、とても共感します。
 
それはもう、何しろカッコつけてなくて、それがイイ。
ともすれば、イイカッコしてしまいがちなものなのだが、彼は爽やかなぐらいサクッと自分のダメさ、弱さ、カッコ悪さを迷うことなくさらけ出している。
意識的に、さらけ出している感じではなく、ダダ漏れちゃっている感じか……いや違うか。
ともかく、あざとく狙っている感がないのが清々しく好感が持てるのです。
 
ふと見渡せば、カッコ良く、ステキで、ワンダフォーでビューティフォーなことばかりが、ネット上では踊っている。
それは全然ホントのことじゃないのに。
 
いや、もちろんそうじゃないものも多々あるが、そのほとんどが「狙っている感」がムキムキにいやらしく出てて鼻に付くこともしばしば。
でも、彼の紡ぎ出す「しょうもなさ」は、なんかこう真っ直ぐで純情を感じる。
それが、なんだか読んでて嬉しくなるのです。
 
読書の秋を迎えるべく、初めの一冊として選んで良かった。
読みたいと思いつつ、本棚でじっと待っている他の本たちもバッタバタと読んで行こうと思います。
 
ではでは股旅。