やけに来る

『鬼滅の刃』が世の中を席巻する今。
なんかやたらと『BLUE GIANT』がしみるのです。
『鬼滅の刃』はもちろん素晴らしくて、心揺さぶられまくるのですが、その反動なのかな。
やけに『BLUE GIANT』が来やがるのです。

なんでかな。
なんだろな。
共通点があるとも思えないんだがな……

なんてことをぼんやり考えてたら、敬愛する某ミュージシャンの方が

「鬼滅の刃にドンハマりして思ったのは、過去に行き詰まったことの消化と回収を自分自身行う実感がある。
人生における哲学として作品と共に自分自身が成長出来るということだ……」

と言ってて『これだっ!』と思ったのです。
両作品に共通するのはまさにこれなんだよ。
読んでいるとこれを感じるからだ!
なんて手前勝手に妙に納得させていただきました。
ありがとうございます。

自分が心揺さぶられる物事って、やっぱりどこかで繋がっているんだな〜と実感。
うむ、イイ感じ。

それにしても『BLUE GIANT』はハンパない。
何度読んでも「死ぬんじゃないか?」ってぐらい泣かされる。
誰かが亡くなったり、別れだったり、わかりやすい泣きポイントがあるわけじゃなくて、そういうのじゃないもので涙が出る。

なんだろな。
気持ち悪い物言いになりますが「信じる心」ってヤツなのですかね。
いや違うな。
そんな陳腐なものじゃないな。
「伝わるんだ」ってことかな。
これも違うな。

よし、五十歳になるまでに、これを説明できるようになろう。

作品と共に自分自身が成長出来る……

こういう作品に出会えて幸福です。

心動かされた

仕事用に使っている adidas campus がポンコツになってきたので、次の campus は何色にしよつかしらん(通算七足目)と探していたら、妻さんがこんなのあるよと某ショップのURLを教えてくれました。

これはイイじゃないですか!

と一目惚れした私はすぐに購入を決意。今か今かと待ちぼうけしていたら、ほんの今さっき届いたんだった。

さっさと開封だぜ!

と包みに手をかけて瞠目しました。

「配達ドライバー様いつもご苦労様です。ありがとうございます。当店からお客様へのお届け物が入っています。大切にお取り扱い頂きますよう、ご協力よろしくお願い致します。」

と配達業者へのメッセージがあるではないですか!

こういう心遣い、なかなか出来ませんよ。素晴らしい!

と、ひとしきり感嘆した後、開けてビックリ玉手箱。今度は私宛の手書きのメッセージが入っておりました。

『高崎様この度はお買い上げ頂き、誠にありがとうございます。格好良さの中に、愛しさのあるアディダスのスニーカー。今回のZXは特にカラーリングが目を引きますよね。ありそうでない濃淡のあるネイビーの組み合わせ。見た目だけでない歩きやすさをも兼ねそなえているところもアディダススニーカーの魅力です。色々なスタイルと組み合わせて頂けるデザインですので、是非、高崎様らしく気分に合わせた着こなしで楽しんで頂けますと幸いです。またのご利用を心よりお待ち致しております。』

いや〜気持ちがイイ。感動を通り越して感激いたしました。

一つ一つの注文にココまで心のこもった対応をする……かなりの注文が連日入っているであろう店なんですよ。並大抵じゃないです。凄いな、ホント凄い。

これこそ本物の「イイ買い物が出来た」ってヤツですな。

こちらこそ、ありがとうございます。

面白いことをたくさんしたい

毎日の食卓に並ぶ料理を見て感心させられまくるエブリデイなのである。
妻さんめ、またもチャレンジしてやがるなと。

いやはやホントよくあれだけ色々とあの手この手で作れるものだな。
作るのももちろん大変だが、何を作るか考えることも大変なことだろう。
新しいメニューにも果敢に取り組みながらだ。
何せ相手は、あの息子である。
栄養バランスを整えて、かつ美味しく食べさせなくてはならないのだ。
それが今までもこれからもずっとなのだ。
ベリーハードである。
自分には到底出来る気がしない。
心底頭が下がる。

息子は先月からドラムを習い始めた。
ドラムだよドラム。
しかも自分で習いたいと言い出したのだ。
月三回のドラムのレッスンを心待ちにしている息子を見ていると、同じ年頃にいやいやピアノを習っていた自分に空手チョップを見舞いたくなる。
全てが甘いんだよ、お前は!
と喝を入れたくなる。

息子は、音楽が流れていると自然にリズムを刻むようになった。
当たり前のようなことと見せかけて、音楽をリズムでとらえるって凄いことだと思う。
これからどうなっていくのだろう。
息子もまたチャレンジの日々を過ごしている。

それに引き換え自分はどうだろう。
最近何か新しいことにチャレンジしただろうか……してないな。
やりたいことがないわけではない。
あるっちゃある。

でも、ああだこうだ適当な言い訳をしてスルーしている。
なんかやりたいぜ。
没頭したいぜ。
没頭することに没頭したいんだぜ。

『BLUE GIANT』を読んでいると、そんな思いに駆られる。
息子と一緒にTHE BLUE HEARTS を聴いていると、まだ何者でもなかった頃の熱い思いが蘇る。

来年で五十歳だよ、五十歳。
ハンパないよ。
面白いことをたくさんしたいよ。
手がかりになるのは、薄い月明かりなのさ。

と言いつつ、佇まいはあくまで脱力。
イージーに行くんだぜ。
それがカッコ良し。

股旅。

まだまだまだまだだな

しょうもない話から始めさせていただく。

さっき公衆トイレットに入った。男性スタンディング用が二つあって、一つはもう先客がいたので、もう一つを使うことにした。先客は七十歳ぐらいの爺さんだった。ヨッコラセとオレは用を出し始め、ちちんぷいぷいとフィニッシュ。だが、まだ爺さんは用足し中だった。

オレは瞠目した。オレも随分と用を足すのに時間を要するようになった。オレがしている間に、小学生が二人にフィニッシュされたこともあるくらいにだ。だが、爺さんはそのオレを遥かに凌ぐロングトーン。そうか、やはりオレはまだまだヒヨッコだったってわけか。まだまだ人生長いぜ。

余談だが、この爺さん。オレが手を洗っているうちに、手洗いもせずにダッシュで出て行きやがった。やるな。ロックンロール。

ロックンロールと云えばだ。さっき本屋に『音楽と人』って雑誌を買いに行ったのさ。甲本ヒロトと峯田和伸の対談が載っているっつーから、このコロナ禍で二人がどんな言葉を紡ぐのか気になるに決まっているわけで、そりゃ買わずにいられないわけだ。でも売ってなかった。ザケンナヨと憤慨もした。しかし、発売日は五日だったことを今さっき思い出した。アホだった。

本屋までの道中。ドライブBGMに選んだのは、THE BLUE HEARTS の『STICK OUT』だった。発売された1993年当時は、あまりピンと来なかったこのアルバムだが、今になってピンピンビッシビシ来てる。特にラストの二曲『月の爆撃機』から『1000のバイオリン』への流れはオレの中で伝説と化している激流だ。

車内はオレ一人。もちろん爆音だ。マスクは嫌いだが、このときだけは役に立つ。熱唱してても、オレがどれだけシャウトしても、誰にも気がつかれないからだ。マスクよ、ありがとう。

空が暗くなってきた。夕方くらいから雨らしい。

さて、縄跳びでもするかな。

ありのままでいいじゃないか

心地好い秋晴の中、クワガタ虫の飼育箱を覗いたら息子が捕獲したノコギリクワガタのオス

が天に召されていた。
ノコギリクワガタとしては珍しく、ひょっとして11月まで生き延びるのでは?
と期待していた最後の1匹だったのだが、やはりダメだった。
息子が学校から帰ったら、この悲しい事実を伝えなくてはならない。
息子はきっと泣くだろう。
息子よ、その涙は心の汗だ。

その息子が最近よく聴いている THE BLUE HEARTS。
結成35周年ってことで、めでたいな〜と私もよく口ずさんでいるのだが「いや待てよ……35周年って凄くないか?」とはたと気づいたんだった。
その年月もさることながら、三十数年前の楽曲に心打たれるって……

息子は今7歳だから、自分に当てはめてみると私が七歳だったのは1978年なわけで、その35年前って、1943年のわけだから、それって第二次大戦中じゃないの!

その時代のものって、自分にとっては遥か昔の歴史上の物事って印象しかなくて、その頃に鳴らされた音楽なんてもはや夏メロを超えてくるもので、笠置シヅ子さんとか美空ひばりさん的な感じ?
スゲーな!マジスゲー!

と一人感嘆している床屋のオヤジさん。
それが私なのである。
どこかで何かの拍子に時間の経ち方が変わったのだろう。
それがイツなのかを明確に答えられる人は多分いない。
でも、どこかにそのポイントがある。
必ずある。

その流れからなのか、先日一目惚れして鈴木英人さんの2021年版カレンダーを買ってしまった。
我々の世代にとっては雑誌「FM STATION」のカバーデザインや山下達郎さんのレコードジャケットを描いた人って印象だけれども、それがグルグルグルグル廻って今まさにキテる!もはや新しい!スゲー!と感じたんだった。
ナウいでしょ?

先ほどの ノコギリクワガタの話とTHE BLUE HEARTS の話とこの話は私の中で見事にリンクしているのである。
それ違くね?
と誰かに意地悪を言われても全然気にしない。
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。
自分を殺すことはない。
ありのままでいいじゃないか……

そういうことなのである。
何しろ全てがスペクタクルなのである。

ケロケロ。