春なのに

私が可愛がっているモミジシシガシラに新芽が出始めた。
息子が可愛がっているヒガシニホントカゲのトカボンドも頻繁に虫かごに積まれた腐葉土から出てくるようになって来た。
これはもう多分きっと春だ。

春に違いない。

春になったら、確定申告も提出し終えて、そしたらアナログレコードを自分で作れる「大人の科学マガジン トイ・レコードメーカー」でレコード作るんだぜと息巻いていたのだが、全然まだまだ作れていない。作る気が起きない。

春になったら、プラモデル(BANDAI 1/48スケール メガサイズ ザク) を作り始めるんだぜと密かにエキサイトしていたのだが、全然まだまだ作れていない。箱を開ける気すら起きない。

春になったら、またまたマウンテンバイクに跨って彼方此方を疾走するんだぜと正月から縄跳びして基礎体力作りに励んでいたのだが、全然まだまだ走れていない。縄跳びは続けている。おかげで体力はだいぶついた気がする。あまり疲れなくなったような、そんな気がしないでもない。痩せたとは誰にも言われないし、実際に痩せてない。

春なのにだ。春なのに、アイツのせいで春を感じられていない。どうにもスッキリしない。ちょっと体調悪いなと感じたら「もしやアイツが……」と一瞬頭を過るってしまうことにストレスを感じてしょうがない。外出時にはマスクをしないといけない。仕事中もしなくちゃならない。なのに、マスクは売っていない。一日に何度もプシュプシュとポンプを押して手指を消毒しなくてならない。

春なのに春なのに

ため息またひとつだぜ、ロックンロール。

止まらない

さて、こんな日々を過ごす中。

今起きている問題が収束した後に「あのときアイツはああだったよな……」と後々感心されるような立ち居振る舞いとはどんなものだろうか……いかに!と暇を見つけては思案しているのです。

なんか出て来ちゃいますよね、本来の自分が。強いとこ、弱いとこが滲み出て来ちゃうのを感じます。

いつかココ・シャネルさんが言ってたじゃないですか。

「二十歳の顔は自然の贈り物、五十歳の顔はあなたの功績なのよ……」って。

私も順調に行けば、来年五十歳になるわけで、そうなるともう今の自分の顔はほぼ「功績」なわけですよ。

確かビートたけしさんも言ってましたよ。

「ひとつの行動に生き様が出るのだよ、コマネチ!」って。

私も言い訳ができない年齢にいつの間にかなっていました。ホントいつの間にかですよ。困ったもんですよ。光陰ちゃんの矢の如しっぷりには。

これから何がどうなるのか分かりませんが、ひとつ気をつけたいと思っているのが「止まらない」ようにすること。私はこれをいろいろなことに当てはめて考えているのですが、その中でもとりわけ重要視しているのが「思考」ですかね。これは止めないよう気張ってます。

さてと。プラモデルでも作り始めるかな。

あ、光風&GREEN MASSIVE って強烈にカッコいいですね。こうやって、イイ音楽にめぐり逢えているのも好奇心を止めてないからなのだろう。

ともかく止まるな。とりあえず動かそう。

マスクの下では微笑んでいるよ

東洋人は表情を目元で作り、西洋人はそれを口元で作る。

だから、西洋人はマスクをつけることを嫌がり、東洋人はそれほどの抵抗を感じない……なんつーことをテレビが言っていた。

何故だか私も近頃マスクを着用していることが多くなったのだが、出先で知っている方に遭遇したとき「はたして先方は自分のことを認識出来るのだろうか……」と一抹の不安が過り、挨拶をしても「は?」と怪訝な顔をされたらどうしよう……なんて数秒考えたのちに挨拶もせずに華麗にスルーしてしまうことがあるのだが、実はバレバレだったりするのだろうか。
こう見えて、私はマスクの中でいつも微笑んでいるのだが、はたしてそれは皆さんに伝わっているのだろうか。

当たり前のことだが、iPhone の顔認証もされなくて、これまためんどくさい。

新型コロナのせいで余計な手間や気まで使うようになった。甚だ迷惑である。

イベントも片っ端から、中止もしくは延期となっている。明日開催予定で、ものすごく楽しみにしていた「Record Store Day」も六月に延期になった。(2008年に始まった毎年4月と11月にレコードストアの文化を祝うために開催される素敵なイベント。レア盤の再発や、レコード化を待望されたアルバムがリリースされるからヨダレが止まらないのである)

通販で売ってしまえば売れるのだが、このイベントはレコード屋に足を運んでもらうっつーことがキモなのだ。そうなるともう現状では開催は無理なわけで、それはもう仕方がないのだが、近頃「仕方ない」や「しょうがない」が我が物顔で闊歩してて、なんだかそれが悔しい。

後ろ向きの「しょうがない」はいやだ。出来ることなら前向きな「しょうがない」でヨロシク願いたい。こういう鬱屈した状況が長く続くと、どうも私は軽薄で思慮の浅い行動に出がちになってしまって、その度に妻さんに咎められる。耳を傾けると冷静沈着で的確な意見ばかりだから感嘆させられる。妻さんの言うことを聞いておけば、まず大丈夫だな。

音楽はいつも寄り添う

ネットで公開されたファットボーイ・スリムの娘さんによる DJ動画を観て、ホント音楽って素敵だな素晴らしいな嬉しいなルルルラララと思えた。それだけじゃなく、今必要なこと、今必要なもの、今すべきこと、今こうあるべきもの、何か一つの “答え” が、垣間見えた気もした。

昨日来てくれたお客さんが「やっぱりね、家族ですよ、家族」と連呼してて、それが一夜明けて随分と私の中で染み渡って来ているのを感じる。家族だよな、家族。

家族といえば、我が家はいま「あつまれどうぶつの森」に家族揃って夢中だ。ゲーム中のBGMもやたらとステキで、息子も「大好きなんだ」と言っている。きっと将来、いつか息子が新型コロナ事変による一斉休校を思い出すとき、この音楽たちが記憶と共に蘇ることだろう。

そういえば、先日試聴した The Strokes の七年ぶりの新譜が殊更カッコ良かった。いつも思うのだが、ミュージシャンの方々ってこういう七年間のブランクをどう過ごしているのだろうか。ひたすらグウタラ過ごすときもあるのだろうけども、そんなの数日で飽きてしまいそうだし。丸一年ぐらいは、全く音楽に触れないこともあろうのだろうか。楽器も触らないし、音楽も聴かない。そんな時間があるのだろうか。それともずっとずっと音楽作りに勤しんでて、何度も何度も作り直し、やっとイイのが出来たと思ったら、おいおい七年も経っちまったよ……って感じなのだろうか。

七年といえば、The Beatles がデビューアルバムを出してから最後のアルバムを出すまでと大体同じくらいの期間である。どんだけ濃厚濃密な時間の中にいたんだよ!と感嘆するばかりだ。

それに引き換え、我がDOODLIN’ BARBER SHOP は、再来月で移転して五年。今年の十月には開店して十六年になるというのに、どんだけ薄っぺらいんだよ。やはり必要なのは紆余曲折、臥薪嘗胆である。この困難な混乱期を華麗に乗り切り、この日々を後々のコクに昇華させることが出来たらなと思う。

〈お知らせ〉DOODLIN’ BARBER SHOP は現時点では営業を続けておりますが、ひとまず今週来週と御新規のお客様の対応は見送らせていただくことにさせていただきます。(ご紹介の場合は対応いたします)ご了承ください。

自習の時間です

晴れた日の暖かい午後になると、店前の入り口ポーチの下からニホントカゲが出てくるのを見つけたのは、ほんの四、五日前だろうか。
息子にそのナイス情報を伝えるとテンションダダ上がり。絶対に捕獲してやるんだと鼻息荒くなったんだった。
入り口に張り付いて、トカゲが出てくるのを待ち伏せる息子。
「出てきたよ〜」
とそっと告げにきて、よっしゃと意気揚々と向かう親父。
「あ〜逃げられた〜チクショ〜!」

これを何度繰り返しただろうか。

そして昨日、見事に親父はニホントカゲを捕獲した。それはもう華麗な手捌きで。それはもう芸術的な動きで。息子の父親を見る目に輝きが増したのを私は見逃さなかった。

息子はトカゲを “ウィザード” と名付け、可愛がっている。と思ったら、さっき「やっぱ名前変える。“トカボンド にするわ!」と言い出したから笑った。由来が不明だ。

ともあれ、獲れて良かった。この年齢になって、トカゲ捕りに奔走するだなんて思わなかった。子供のとき、カナヘビ を捕りまくった経験が生きたな。あのとき学んだコツやらタイミングやらが、数十年の時を経てムラムラと蘇るから面白い。

何の役にも立たないように思われたことが、大人たちに全く褒められもせず、評価もされなかったようなことが、五十歳近くになって、光り輝く。なんてスペクタクルなのだろう。

この誰にも褒められないようなことを少年時代に黙々とすることを「自習」と云うらしい。そして、その自習してきたことが、四十歳を過ぎた頃から“その人間のコク” として出てくるらしい。

思い返すと、やってきたな〜自習。ひょっとしたら自習しかしてなかったかもだ。やってて良かったよ、自習。ある意味、うちの店なんて、その「自習」の集大成だもんな。私と云う人間を構成する要素のほとんどは自習で学んでことから出来ているのかもな。

〈お知らせ〉

新型コロナ事変によって翻弄される日々ではあります。紆余曲折ありましたが、どうやら理髪業は休業要請の対象から外れるようです。なので、DOODLIN’ BARBER SHOP は通常通り営業しております。ヨロシクお願いいたします。

いろいろと思うところはありますが、こう云う時に雄弁になると大抵失敗するので……以上!