自習の時間です

晴れた日の暖かい午後になると、店前の入り口ポーチの下からニホントカゲが出てくるのを見つけたのは、ほんの四、五日前だろうか。
息子にそのナイス情報を伝えるとテンションダダ上がり。絶対に捕獲してやるんだと鼻息荒くなったんだった。
入り口に張り付いて、トカゲが出てくるのを待ち伏せる息子。
「出てきたよ〜」
とそっと告げにきて、よっしゃと意気揚々と向かう親父。
「あ〜逃げられた〜チクショ〜!」

これを何度繰り返しただろうか。

そして昨日、見事に親父はニホントカゲを捕獲した。それはもう華麗な手捌きで。それはもう芸術的な動きで。息子の父親を見る目に輝きが増したのを私は見逃さなかった。

息子はトカゲを “ウィザード” と名付け、可愛がっている。と思ったら、さっき「やっぱ名前変える。“トカボンド にするわ!」と言い出したから笑った。由来が不明だ。

ともあれ、獲れて良かった。この年齢になって、トカゲ捕りに奔走するだなんて思わなかった。子供のとき、カナヘビ を捕りまくった経験が生きたな。あのとき学んだコツやらタイミングやらが、数十年の時を経てムラムラと蘇るから面白い。

何の役にも立たないように思われたことが、大人たちに全く褒められもせず、評価もされなかったようなことが、五十歳近くになって、光り輝く。なんてスペクタクルなのだろう。

この誰にも褒められないようなことを少年時代に黙々とすることを「自習」と云うらしい。そして、その自習してきたことが、四十歳を過ぎた頃から“その人間のコク” として出てくるらしい。

思い返すと、やってきたな〜自習。ひょっとしたら自習しかしてなかったかもだ。やってて良かったよ、自習。ある意味、うちの店なんて、その「自習」の集大成だもんな。私と云う人間を構成する要素のほとんどは自習で学んでことから出来ているのかもな。

〈お知らせ〉

新型コロナ事変によって翻弄される日々ではあります。紆余曲折ありましたが、どうやら理髪業は休業要請の対象から外れるようです。なので、DOODLIN’ BARBER SHOP は通常通り営業しております。ヨロシクお願いいたします。

いろいろと思うところはありますが、こう云う時に雄弁になると大抵失敗するので……以上!

ユーモアだけは忘れないようにしたい

二週間後のカット予約をヨロシクと書かれたメールが幼馴染みから届いた。文末に「二週間後の世界がどうなっているかわからんご時世ですが……」と添えられていて、ホント冗談ではなくそうなんだよなと嘆息したんだった。

こんな状況になるぜフフフと予言したスピリチュアルな人っていたのかな。思い返すと、東日本大震災後からその手の方々がテレビから消えた気がする。

何がどうなるかわからない

気を抜いたらチラリと湧いてくる不安タスティック。考えてもしょうがないぜと自らを奮い立たせるも、何せ向こうは見えない敵。こんなにも「しょうがない」ばかり口から出てくる状況は初めてですね。どうにか乗り越えて、あのときは大変だったよね〜と目を細めたいものである。

確定申告を無事終えたのに、いつもの開放感がない。じゃあ、こんな時世だからこそ出来ることを探してみたいと思う。ほら、暇をどう潰せるかは、その人の教養次第だって誰かが言ってたじゃないですか。こんなときこそ、こんなときだからこそ考えなくてはね。

自分が子どもを育てているなんて考えはおこがましい。私は息子に父として育てられており、妻からは夫として育てられている日々なのである。これは妻と息子も同じことで、私たちは家族として成長しているのだ。ユーモアだけは忘れないようにして。

さて、何して遊ぼうか。次はジョジョの石仮面作るぜ。

やさしくなりたい

「SUPERSONIC」という野外フェスが、今夏に開催される予定らしく、先ほど、その出演アーティストの第一弾発表の記事を読ませていただいたのだが、ヘッドライナーの三組が全く知らない方々ばかりで腰が抜けた。

自称、音楽通を気取ってはいるが、私の知識なんてこんなものなのである。不思議と悔しくはない。むしろ、清々しい。これは当たり前なことだ。私はとっくにオールドタイプ側の人間になっていたのだ。ルルルラララ。

そんな中、FATBOY SLIM の名前があったのは嬉しかった。私が知る限り、ここ最近はアルバムを出していないはず。いや、でもフェスに出るってことは新譜が出るのか?なんてワクワクするのが楽しい。一応、現実逃避ではないつもりだ。

新型コロナ事変のせいで何を書くべきか迷い&惑いまくりなのである。コロナ関連のことを書かずに済まないかな……といろいろ考えたのだが、やはり難しい。志村けんさんの急逝で、少々の冗談を交じえることもし辛くなってしまった。(それにしても哀しい。合掌。)かと云って、後ろ向きなことばかりを書くのもなんだし。

ともあれ、しみじみ感じ入るのは、日本って第二次世界大戦後から東日本大震災までは、とっても幸せだったんだなってこと。幸福を幸福だと感じずに済むのが幸福なことなんだなって。

しみじみしまくっています。

弥生 あれやこれや

月曜日から昨日まで、ちょいとお暇をいただいて妻ちゃんの実家がある九州へ行ってきました。愛猫 スナスケをペットホテルに預け、家族三人で、東海道新幹線で。

新型コロナ事変の影響で東海道新幹線は空いていました。東京駅も、駅弁売り場も、いつも通りではなかった。行き交う人々のほとんどがマスクを着用していました。いつもなら構内の彼方此方から飛び交う異国の言葉もかなり少なくなっていました。

義父さんのガレージは相変わらずそれはもう見事な空間で、そこに行くのが楽しみで仕方ない息子の反応も歳を重ねるごとに大きくなり、義兄さんのお宅がまた物凄くて、あちこち興味津々眺めている息子を見ていると、ホントまあこの年齢でこんな物事に触れまくっていたら、いったいどんなヤングボーイに育っていくのかしらん……と一人鼻息荒く興奮している親バカ、それが私なのです。

小倉駅前にあるレコード屋を見つけたときは胸が踊りました。自分のテンションを上げるのは、レコード屋とプラモデル屋。これは四十年前からずっと変わらぬままです。そのレコード屋にさっと入ってさっと見つけてさっと出てきました。収穫はトミー・ゲレロのデビュー前のレア音源を収録したらしいミニアルバム。もちのろんでその中身は最高でして。帰ってくるなりヘビーローテーションなのは云うまでもありません。

レコードと云えば、ずっと楽しみにしていた『大人の科学マガジン』が本日届きました。なんと付録は「トイ・レコードメーカー」。スマートフォンの音源からアナログレコードを自作出来るっつーとんでもない代物なんです。だって、レコードをカッティングする機械なんて、安くても数百万円するんですよ?それが大人のお小遣いレベルの金額で手に入れられるなんて夢満載ですよ。すごいぞ、学研!

で、私が注文したのは特別増量版だそうで、3分から4分の曲を片面に収録できる 5inch のレコードが20枚付いている。ってことは、全部で20曲、レコードで欲しくて欲しくてしょうがなかった、でもレコードでは出てない、もしくは手に入らないあの曲もこの曲も、レコードが作れるんだぜ!ってことなわけです。こりゃ興奮しますな。上手くできたら、店で流しますので、どうか聴いてやってつかあさい。

それともう一つ収穫だったのは、帰りの新幹線内で読む本が欲しいな……と妻ちゃんの本棚を物色してて見つけた『ナイフ』(重松清著)でした。この本、ちょうど二十年前に文庫化されたときに買って読んだんですよ。で、この本がキッカケで重松清作品を随分と長い間読みあさってました。でもですね。今回読み直して気づきました。結局、これ以上の重松清作品はなかったんですよ、私の中で。二十年ぶりに読んだ短編集でしたが、二十年ぶりに読んでも収録されている短編の中で「エビスくん」が一番でした。新幹線内で涙が止まらなくなりましたもの。

でも、その涙のわけは二十年前とは違いましたね。この二十年で、私も結婚し、息子が出来ました。もうそれがね、私の眼差しを圧倒的に変えたんだなってね。思いっきり実感できましたよ。幸せです。ありがとう。最近の重松作品も読んでみるよ。皆さんも、機会がありましたら「エビスくん」読んでみてください。

エビスくんと云えば、同業の友人 飯田さんの店「理容室EBISU」が、65周年を迎えたそうで、その記念にと飯田さんが自作したエコバッグをいただきました。ありがとうございます!そして、おめでとうございます

見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる

年明けより縄跳びを始めて三ヶ月弱。途中かなりの筋肉痛に悩まされたりはしたが、どうにか続けている。見かけの大きな変化を感じてもらえることは皆無だが、なんだかちょっと体力がついた気はする。今はだいたい200回を5セット跳ぶことを日課としている。これをこのまま続けてみよう。痩せたとかそういうのはまあ置いといて、そりゃまあ痩せた方が嬉しいけども、ともあれ縄跳ぶことがなんだかイイ感じなのである。体の奥底にポッと火が灯った……そんな心地なのである。

小学生の頃、二時間目と三時間目の間に「業間」という自由時間があった。たかだか二十分間ぐらいだったと記憶しているが、それがとてつもなく長く充実した時間だったのを覚えている。今となっては、二十分なんて欠伸している間に終わりそうだ。二十分与えられても、何もしないな多分きっと。何かし始める前に終わる時間を考えて、カウントダウンを始めてしまうに違いない。

子どもは大人の四倍の密度で時間を過ごしていると誰か偉い人が言っていたが、これはきっと本当のことなのだろう。もし八十分与えられたら、いろんなことが出来る。あれしてこれして何してそれして。さすればそこにドラマが生まれる。

そう考えると、大人にとってはほんの僅かな時間に感じるときも、子どもはそこにドラマを生み出し、大冒険を敢行しているのかも知れない。なんだかちょっと羨ましい。かつては自分も子どもだったくせに、羨ましい。

さてと。目に見えないウイルスを早いとこぶっ飛ばしちまおうぜ。