「好き」を追いかけて

このところ毎日毎日、息子が怪獣描きに熱中している。
学校でも、休み時間に描いているらしく、息子の作品が毎日生まれる喜びっつーのもあるんだなぁとしみじみ。

その中の一つに王冠が描かれているのがあったので「バスキアって人が描いた恐竜にも王冠があるんだよ」と息子に見せてみた。

「へ〜」と見つめる息子。
他の作品もペラペラと見せた。
「好き?」
と訊いたら、コクリと頷き、まだ途中だった怪獣を描き始めた。

余計なお世話かもしれないが、こういう関与はしていきたい。
押し付けがましくない程度に、あくまでさりげなくやれたらなと思う。

影響を受けるかどうかは本人次第。
見ないより見る方がいい。
聴かないより聴く方がいい。
触れないより触れる方がいい。

にしてもバスキア良いな。
勧められて読み始めた『ブルーピリオド』って漫画が、藝大を目指す高校生を描いた話で、劇中に藝大に受かった方々の作品などが掲載されているんだけど、なんだか私には難解で、それよりバスキアの作品の方が胸に迫るっつーか、結局「好き」なのだ。
この「好き」だけで充分よね。

このマンガの中でも、自分の『好き』がわかることが大切……みたいなことが、説かれてて、ホントそうだよなぁと嘆息した。
「好き」であれば、それでいい。
そう言い切れたら、迷いも失せるのよね。

息子には、とことん「好き」を追いかけてもらいたいもんだ。
ちょいちょいと干渉&関与しちゃうかもだけど大目に見てね。

股旅。

よし、教えてもらおう

今日もちゃんと朝から縄跳んだ。元旦からだから、ジャスト三週間続いていることになる。我ながら結構本気のようだ。

従来の縄跳びとは比べ物にならない太さと重さを誇るムエタイロープを勧めてくれた後輩が「先輩こういう感じで跳ぶんですぜ」的な動画を幾つも送ってくれて、コレがとても参考になる。目からウロコが落ちまくるとはこのことか。まさにこのことである。

まずはグリップの仕方。教えてくれたやり方を試したら、楽チン楽チン。ビュンビュンとリズミカルに速く回せる。

それとステップ。私が憧れていたボクサー的スタタンスタタンなあの感じだ。動画を観てて「いや〜これオレ無理なんじゃね?」と思っていたのだが、実際真似して跳んでみたら、結構案外わりかし出来たから嬉しかった。

それはもう側から見たら、醜くカッコ悪くみっともない姿なんだろうけども、これもはじめの一歩だ。初めから上手にできるヤツなんていないんだぜ。ボブ・マーレーも歌ってたよ。
♪お前が出会った巨人もかつては赤ん坊だった♪ってね。

そう言い聞かせて、ジタバタ今日も明日も跳ぶよ。こうなってくると「あれ?縄跳びを始めた当初の目的ってなんだっけ?」って気持ちになるから面白い。

人に教えを乞うということは恥ずかしいことではない。かつては、照れ臭さもあって「教えて」と素直に言えない自分がいたが、それって長いスパンで見たらちょっと損しているかもしれないなとついこの間ふと思ったんだった。

うちの息子もあまり教えてもらおうとしない。自分でどうにかしようとする。教えようとすると「向こう行ってて」「うるさいな〜」と私を遠ざける。これは私が鬱陶しいからってだけではないはずだと信じたい。

自分でどうにか……というガッツも必要だ。でも、時には教えを乞うことが出来るっつー柔軟さというか、勇気というか、そういうのもあるとイイよね!って話だ。

継続は力なり

年が明けて半月、私はまだ縄跳びを続けている。
一日千回跳んでいる。
二百回を五セットだ。

初めはキツかったが、今年で四十路ラストイヤーになる私でも徐々に慣れて来るもので、スイスイこなせるし、なんだか体力もついて来たような気もするし、微弱な筋肉痛も「生きているぜオレ!」と実感させてくれて心地良い。
よし、このまま続けるぜ!

と意気揚々となっているところで、タテオカ後輩が「先輩、縄跳びするならコレですぜ!私は何年もコレ!何人もコレで綺麗に痩せてます!」と熱烈に薦めてくれたWINDYのムエタイロープが届いた。

私が使用していたasicsのトビナワと比較するのがバカバカしくなるくらいの太さと重さ。
マジですか、タテオカ後輩。
(でも、ムエタイロープの方がずっと安価なのよね)

で、昨日からそのムエタイロープを使い始めたのだが、これがキツい。
全く別物な運動になるんじゃないかな。
二百回スイスイ跳べてたのが、やっと終えるとゼーハーゼーハー。
重いから手首への負荷も段違いになるし、今までとは違った箇所の筋肉痛にも襲われるし、ヤバいねコレ。
運動している感が尋常じゃない。

多分今のやり方では、自分を甘やかしてまくっているだろうから、今度タテオカ後輩に御指導してもらおう。
それで春までに基礎体力を向上させ、基礎代謝も上げてやるんだぜ。
これも出来るだけ長く健康で元気に仕事を続けるためなんだぜ。
ルルルラララ。

人は多分それを

こういうことを言ったら、誰かが傷つくかも知れない。
こういうことをやったら、誰かが嫌な思いをするかも知れない。


若かりし頃、そういう想像力が著しく欠如してたなぁ……と嘆息とともに振り返ることが度々あるのです。
今はもう、何処かの誰かを傷つけるようなことは言わないしやらないぜ……とは全く言い切れませんが、かつてよりは幾分ましにはなったとは思います。

人は多分、これを成長と言うのでしょう。

ホントあれは一体何だったんだろうか……と自分自身のことのはずなのに身も心も遥か引き離されて、あのしょうもなかった頃の自分を、まるで赤の他人のことのように過去の自分を見つめてしまったりしちゃうのです。

人は多分、こういう思いのことをブルーズと呼ぶのでしょう。

イイよね、ブルーズ。

きっと人の数だけ、ブルーズがあるんだろうな。そういうの全くないっす!げへ〜!なんて爽やかな笑顔で言うヤツがもしいたら、指先一つでダウンだな。

さて2020年だ。今年はどんな年にしてやりましょうか。確定していることの一つが、まず間違いなく今年も私は「音楽が好きで好きでたまらない」と言うこと。これはもう揺るぎない。

これはもう「音楽」に限った話ではないのですが、あちこちに行くのではなく、ココだ!と決めた場所を掘る。掘って掘って掘りまくる、そうありたいと思っています。

そんな中、どさくさに紛れて、爆発的にさりげなく何か新しいことを一つでも始められたら……本望ですね。

それでは股旅。

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

昨夜遅くのことだ。

何か変な音がすると言う妻さんに起こされて、調べてみたら音の発信源は息子のおもちゃ箱だった。
中を探るとウィンウィンと機械音を出しているおもちゃのショベルカーを発見。スイッチらしきものが見当たらないので、電池を抜き取ろうとするも、ドライバーがないと開けられない始末。
途方に暮れながら、工具箱のある部屋に向かう途中、ショベルカーが点滅をやめて泣き止んだ。

だがしかし、なんとなく音が聞こえる。こりゃあれだな。空耳だな。私も老いたもんだな。
と苦笑いしつつ電池を抜き出そうとしたら「まだ鳴っているのがあるよ‼️」と妻さんのシャウトが聞こえた。駆け寄ると確かに鳴っている。調べたら、ブルドーザーも鳴っていやがったから笑えた。


私は空耳ではなかったと、ちょいと安堵しながら、ブルドーザーの電池を抜き取った。ふむ……これはまさしくあれだな……と私はチャップリンの言葉を思い出していた。


Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

(人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ……)

である。

当の本人たちにとっては、深夜をつんざくノイズのせいでげんなりするようなトラブルだが、はたから観たら最早コントなのである。

こういう眼差しで、自分の周囲で起こるものごとを見つめられるようになると面白く人生を生きられるんじゃないかな〜なんて思う。若いうちは、しょうもないプライドが邪魔してなかなか難しいのだが、五十路手前ともなるとちょっとだけ出来るようになるのだね。笑ったもん勝ちなのだ。

そんなわけで、DOODLIN’ オリジナルスウェットがようやく納品。大変お待たせいたしました。オープンエンド糸使用のボディが、予想以上に良い塩梅で大満足。

これ、良いです。良いです、これ。
ご注文、ご予約分プラス若干数作りましたので、店頭で実際に手を取ってからの購入も可能です。

是非とも‼️