相変わらずこんな日常

店で邦楽を流しているとお客さんに驚かれることがままあるのです。

「日本語の曲が流れてるの初めてですよ!」

なんて絶叫されて、こっちの方が驚いているのです。

だって、自分的にはかなり邦楽をナイスチョイスしているつもりなんですよ。

ま、たしかに忙しいときには洋楽を流してることの方が多いかも。

日本語だとグイグイ脳内&体内に入って来ちゃうもんでしてね。

仕事のクオリティに支障が出ることはないけども、多少スピードが落ちるんですよね。

多忙のときには向かないかもですね、邦楽。

あ、インストの曲は結構流してますが。

だから、いつも週末に来てくださっているお客さんたちは洋楽が流れている印象なのかもな〜だなんて推測しているところです。

近頃こんな話題が続いたもんですから、棚の奥からおひさしぶりの邦楽のレコードを引っ張り出して、ついでに邦楽のミュージシャン関連の本も、またペラペラと目繰り返したりしてるのです。

ミュージシャンの “眼差し” が好きなんですよ。

世界の見方、人の見方、仕事の見方、いろいろと「ふ〜む、なるほどね……」と嘆息させられることがままあって、自分自身の生きる指針、これから店がどの方向へ向かうべきかの参考にさせてもらっているんです。

洋楽のミュージシャン本もたまに手に取りますが、生活スタイルも文化も違うし、スタイリッシュ過ぎてなんだかもう映画の中の憧れの世界って感じでね。

ちょっと、いやかなり遠いんです。

僕にとっては。

その辺をわきまえておくっつーのも必要なんだぜと己に言い聞かせるエブリデイであります。

相変わらず、こんな日常なのです。

股旅。

胸躍る未知との遭遇

おはようございます。
このまま順調に行けば一ヶ月後ぐらいに五十二歳になる予定の床屋のオッサンです。

先日、何気なくネット上をブラブラしてたら、敬愛する某画家さんが愛聴しているレコードを幾つか紹介しておりまして。

その中で「こ、これはっ!」とピピーンと来たアートワークのジャケットのものがあったので、すかさず検索して聴いてみたらビンビンに来まくっちゃいまして「こ、これだっ!」と相成ったわけです。

「これはもう、今後の人生、いや余生の指針になるアルバムになるに違いないぜ!」

と私の直感が叫ぶわけです。
こういう空気感、こういう音感、こういう響きが自分を、そして店を作って行く……なんて素敵なんだろう。
妄想が止まりませんよ。

いっぱい沢山好きな音楽がありますが、こういう気持ちにさせる音って別物なんですよね。
それは最早「音楽」だけには留まらないものなわけで、世の中にある様々な自分の心を震わせる物事の中で「なんかこうグッと来るスゴいもの!」というちょっとバカっぽい呼び方になってしまうのですが、まあつまりそういうもんと出会ったわけです。
最高です。

こういうものって、狙ってたり探してたりすると案外見つからないもので、ぼんやり鼻くそホジホジしながら宙空を見つめているときに「やあどうも!」なんつって爆発的にさりげなく現れるから憎らしい。

次はいつになるかわからないし、下手したら死ぬまで遭遇しないかもなので、この出会いを大切にしようと思います。

ちなみにこのアルバムは、Allen Toussaint の “The Bright Mississippi” です。
この「音」が似合う自分、似合う店になりますように。

でも、この一文は坂本龍一さんの『音楽図鑑』を聴きながら書いております。
たまらんです。

それでは股旅。

そう言うことだったのか……

先日読んだ本によると、読みもしない本や、たいして開きもしない写真集や画集などが「積ん読(つんどく)」になっていることがままあるが、あれは全然問題ないとのこと。

実は出版社の研究所で作られた特殊なインクから秘密の電波が脳に直接発信されていて、それにより積んでおくだけでも本は読んだことになり、写真集や画集は鑑賞したことになり勝手に感性は磨かれるそうなので気にしなくても良いそうだ。

なるほどね…… な・る・ほ・どっ!

幼少時からずっとそんな気はしていたのだ。
ひょっとしてそうなんじゃないか?とは思っていたのだ。

今はそうならないように細心の注意を払っている “積みプラ”(作っていないプラモが積まれていくことね)。
あれも、なんだか気持ちが満たされているような気分になる。
レコードも然りだ。
そこにあることに意味がある。
所有しているということに意義があるっつーかなんちゅうか本中華。

一応言っておくが、さすがに特殊なインクで秘密の電波云々ってのは信じてはいないのでご安心を。

そして、数年前に手にした本を “積ん読” の牙城から取り出し読破したときの満足感&達成感。
あれはなかなか得難い高揚感のような気がしている。

かと言って、これを言い訳に “積ん読” の山を作ることはもうしない。
飽くなき好奇心を糧に、私はドシドシジャンジャン読むし観るし創るし聴くことを誓おう。

ただ、罪悪感とうしろメタファーの塊だった、あの山たちのことを少し肯定してくれた気がして嬉しかったのだ。

ケロケロ。

なんじゃそりゃ? なエブリデイ

WBC、盛り上がってますね。
昨今の大谷翔平さんの活躍ぶりを見ていると、もしかしたら僕が生きているうちに彼以上のスーパースターは現れないんじゃないかって思うんです。

先日、観終えた海外ドラマ 『ベター・コール・ソウル”』もそう。
前シリーズである『ブレイキング・バッド』と合わせると全105話+映画1本 をドップリ浸かって制覇したわけですが、今後の余生で このシリーズ以上の感動とカタルシスを与えてくれるドラマを観ることがあるだろうか……多分ないだろうな。
ひょっとしたら映画でも無いかも!
って思うぐらいに、とてつもなく心揺り動かされてしまったんです。
恥ずかしながら。

先日、読み終えた『罪と轍』(奥田英朗著)もそう。
今後、この作品以上に のめり込んで読めるミステリーに出会える気がしないし、これまた読み終えたばかりの某ミュージシャンの自伝がまた素晴らしくて、これからどう生きていくべきかの指針にもなったぜ!
と思えるぐらいのものでだったもんだから、これを超える自伝とも多分出会えなそうだな〜なんて思っているんです。

これが最後かもな……

なんてことをよく感じるようになったのは、五十路に突入した辺りからなんですが、こんなふうに書いているとなんだかちょっとネガティブで後ろ向きなことに思われるかもなんだけど、それが真逆なんです。
それどころかむしろ、とっても前向きなんです。
ファファ〜ンと少し気持ち良いぐらいに。

でも、そう思いつつも「今後さらに塗り替えられることもあるはず!」と期待と希望に満ちていたりもします。

なんじゃそりゃ?

と思われるかもですが、僕はこれで良い、これが良いと思ってます。
大いなる矛盾を抱え、自らに「なんじゃそりゃ?」とツッコミを入れられるってのは良いことなんじゃ無いかと。

そんな説明の出来ない感じがいい。
そういう物事こそ、自分の中で信じられるものなんだってね。
そう思うんです。

なんじゃそりゃ?

BLUE GIANT

映画『BLUE GIANT』を観てきました。

何十回と読んだ原作漫画。
何十回読んでも、死ぬんじゃないか?ってくらい毎度泣かされる大好きな漫画です。

それがアニメ化されるっつーんだから、こんなワクワクすることもありませんよ。

アニメ化や実写化されて、原作が台無しにされることも多々あります。
でも、なんだかその心配はなかったんですよね。
なんでそう思えたのかはわからないんですが。

で、この映画。
期待以上のものでした。
そりゃ、細かいことを挙げたらキリが無いんですけども、そんなことを軽く吹き飛ばす制作者たちの情熱を感じました。
この原作への愛だけではなく、音楽への深い愛も感じたのです。

そんなわけで、物語冒頭からずっと僕の目頭は熱くなりっぱなしでした。
大好きな漫画の大好きな登場人物たちが動き喋り楽器を演奏する。
なかなかこんな最高なこともないと思うのです。

僕はこの奇跡のようなトリオの中で、格別ドラマーの玉田への思い入れがありまして。
ずぶのど素人だった玉田が成長して行く過程に胸がドキドキしまくってしまうのは何故だろう何故かしら。
何か自分と重ね合わさるところがあったんですかね。
全然天才でもなんでもないところが。
そんな凡人が二人の天才に引っ張られて、違う世界を見ることができるようになるっつーところが、僕の胸を熱くさせまくったのです。

ドラムを習っている息子にも観てもらいたいなと思いました。
どうにか上映期間中に、もう一度どこか爆音で上映する映画館で観たいと思っているのです。
家族で観られたら、これまた最高ですな。

さてと、もう一度原作を読み直すとしますかね。

股旅。