冬来たりなば

昨日は節分でしたね。
仕事を終えると息子に鬼の面を渡され、これをかぶってくれと頼まれました。
それからガッシガシ豆を投げつけられました。
まあまあ忙しい一日だったので、それほどの鬼っぷりを出せませんでしたが、息子と一緒に風呂に入ってたら「楽しかった〜ありがとう!」と言われたので、ああやって良かったと思いました。
こんなほんのちょっとのことで子供は喜んでくれますね。
それがわかっているのに、疲れただの、面倒くさいだのとサボりがちになってしまう己に「喝!」です。
そんな息子は近頃サメに興味津々。
危険生物図鑑を引っ張り出して、ホホジロザメを描きだしました。
このとき「あっ!」と思ったのです。
絵を描くのが好きな息子なのですが、今までは自分で想像して描いていたなと。
何かを模写して描くのは初めてなんじゃないかなと。
幼稚園ではやっていたかもですが、私の目の前ではこれが初めてでした。
そして、その出来上がりの素晴らしさに唸りました。 何が良かったかなんて専門的なことはわかりませんが、息子の描いたホホジロザメがともかくカッコイイなと感じたのです。
カッコイイって大事じゃないですか。
きっと息子もカッコイイの大切さをわかり始めているに違いない。
そう思いました。
歯から描きだしたのにも感心しました。
それを描くにあたって、どこがポイントなのかを息子なりに考えているのだなと。
そんな息子が「コロコロコミック」を読みたいと言うので、買ってきたのです。
私が読んでいた四十年前のコロコロは330円。
それが550円になっていたのには驚きました。
大きさと厚さはそのまんま。
付録もギッシリ詰まっているようです。
息子が帰ってくる前に、読んでしまおうかしらんと一瞬思ったのですが、グッと堪えました。
あの開く瞬間のドキドキをオッサンが奪ってはいかんですね。
発売日は変わらず毎月十五日なのかしら。
ライバル誌だったコミックボンボンはまだ出ているのかしら。
プラモ狂四郎はまだ連載しているのかしら。
コロコロだけで話題が広がる広がる。
そんな息子が可愛がっているネコの すなすけ は今日去勢手術をしているのです。
今朝、動物病院に預ける際の表情を見たら切なくなりました。
夕方には迎えに行くのですが、無事終了していることを願います。
今日はまるで春のような陽気ですね。
イイです。
股旅。

悩んで 学んで

先日『デトロイト』って映画を観たのですよ。
キャスリン・ビグロー監督がデトロイト暴動を描いた作品。
そのオープニングで使用されたアニメーションがとても魅力でして。
力漲る活力がビッシビシ伝わって来たのです。

 

 

ちょっと調べてみたら、ジェイコブ・ローレンスと云うアフリカ系アメリカ人が描いたものでした。
と言っても、ジェイコブ・ローレンスさんはすでに死去なさっておりまして。
その作品を現代テクノロジーで動かしたものだったのでした。

 

 

この映画を観ることによって、このジェイコブ・ローレンスの存在を初めて知ることが出来ました。
何かに触れることによって、そこから広がる何かがある。
とても興奮しますよね。
ありがたし。
(ちょいとポストカードとか欲しくなったので今度探してみようと思う)

 

 

この映画。
暴動の中、三人のアフリカ系アメリカ人の若者が白人警官によって殺されてしまうと云う凄惨な事件を描いたものなのですが、その残虐な白人警官を演じたウィル・ポールターは、自分が演じる役への激しい嫌悪感と監督からの追い込みで、撮影中泣いてしまったそうです。

 

 

大嫌いな人間を演じるって……
想像しようとしてもピンと来ません。
出来れば、魅力ある人間を演じたいのではと思うのです。
たとえ悪役であろうとも。
でも、彼が演じた役はホント酷い。
ここまで悪い役ってのもなかなかないぐらいの酷さでした。

 

 

俳優というのは決して自分が演じたい役を演じられるわけではない……

 

 

よく考えれば当然のことなのですが、この作品を観て初めてそういうこともあると知ることが出来ました。
これまた、ありがたし。
世の中にはこういう仕事もあるのですね。
役者ってのは大変ですな。
考えさせられます。

 

 

それと、このデトロイト暴動にボーカルグループの The Dramatics が被害者として関わっていたこともこの映画を観て初めて知りました。
普通に今までさらりと聴いていた The Dramatics が、今後は違ったように聴こえることでしょう。

 

 

一つの映画から、いろいろなことを知る機会を得られる。
映画じゃなくても、本からでも音楽からでも得られる機会がある。
それがだんだんと繋がっていく面白さと嬉しさ。
たまらないですね。

 

 

さてと。
次に観るのは『gifted/ギフテッド』だな。
本もちゃんと読めている。
音楽も積極的に聴けている。

 

 

上々です。

世界は “初めて” で満ちている

ふと夜中に目が覚めたとき。
腕を下にして寝てたせいで腕の感覚が無くなっていることがある。
動かせないし、触ってみても自分の腕のような気がしないし、冷たくなっているように思える。 寝ぼけた頭で僕は焦る。
これはもう俺の腕は使い物にならないかもしれない……
明日から仕事どうしようか。
いや、でも大丈夫なはずだ。
このパターン、前にもあったし……
などと逡巡しているうちに徐々に感覚が戻ってきて、腕が動くようになってくる。
ほら大丈夫だった…… とホッと尻を撫で下ろす。
僕はこの感覚を取り戻していく過程が好きだ。
絶望から希望へと気持ちを切り替え、そこから這い上がっていく様が気持ちいい。
これは狙って出来るものではない。
以前にも同じパターンがあったと書いたが、思い返しても47年の半生で三、四回ってのが関の山。
だからこそ貴重な体験なのだろう。
ちなみに長時間正座をした後、立ち上がろうとした瞬間に倒れこむのも好きだ。
これも、我が人生においてまだ数回しか体験していない。
これは、狙えば何度でも味わえるものだが自ら望んでその状況を作り出す気はない。
だからこそ貴重な体験だと言えるのだろう。
我が家にネコがやってきて五ヶ月が経とうとしている。 今回のチャンスを逃したら、もしかしたら一生ネコを飼うことはなかったかもしれない。
そう思うと、ネコを飼いたいと言い出した息子に感謝しなくてはだ。
幾つになっても、まだまだ初めての体験ってのは出来るのだなとしみじみ感じ入った。
これから、どんな初めてが待っているのだろうか。
世界は “初めて” で満ちている。

ここなんだよなぁ、ここ。

今日はガタンゴトンと電車に揺られ代官山まで行ってきた。
お目当ては今日から開催されている「DRIVE展」。

 

 

TACOMA FUJI RECORDS とジェリー鵜飼さんが組んで、「ドライブに行きたくなる、車の中で過ごす時間が少しだけ楽しくなる……」をコンセプトにドライブにまつわるアイテムを制作販売すると云うんだから、これは行かなくちゃ!と重い腰を上げて出かけたんだった。

 

 

場所は代官山 蔦屋書店。
これでもかってぐらいのオシャレ具合のこの本屋にいよいよ私も突入したわけだ。
店内は、それはもう期待を裏切らない充実っぷり。
二、三日、ここに軟禁されたいぜ!
って嘆息が止まらないぐらい興味深いもので埋め尽くされていた。
ありゃ玉手箱だな。

 

 

十時半に到着したにも関わらず、幾つかのアイテムは完売。
幸い、自分が欲しかったクルマのシルエットがバイーンと胸にあるニットは残ってたので迷わずゲット。
ついでに、代官山 蔦屋書店限定の「LAZY GEORGE WEST COAST MUSIC」のレコードもゲットできてホクホク。
ジャケットデザインが花井祐介さんってのがまたいい。
もちろん中身も良い。

 

 

なんか、こういうノリを目指したいというか、心がけたいというか、ベリー最高にちょうど良く力が抜けている塩梅に惹かれている。
47歳の床屋のオッサンが、こんなの着ているって、なんかイイじゃないですか!
こういう雰囲気のものを好んで身の回りに置くってのもイイじゃないですか!
と自分で思ってみる。

 

 

そんなわけで、イイ休日を過ごせたようだ。
今流れている音楽は Marc Johnson の「Sound Of Summer Running」。
これまた絶妙な脱力具合。
ここなんだよなぁ、ここ。

 

 

股旅。

春までに

ちょいと近頃読書をサボり過ぎた。
いつの間にやら魅力的な未読本たちが、こんなにも貯まってしまっていた。
これはいけない。
春までにどうにか全て読破したい所存である。
暇な時間をどう過ごすことが出来るか……
その能力を教養というと誰かが書いていたが、欲しいよね教養。心底。
ヒマだ退屈だと嘆いているときこそチャンスだと思わねば。
やろうぜ読書。

 

テレビや映画は時間が過ぎれば終わる。
それで一応「観たぜ」と言える。
しかし、本はページをめくらないと終わらない。
そして、読み終えたとき我が身の血となり肉となったことを実感出来る。
まぁ出来ない場合も多々あるが、読み切ったという達成感はある。
それが大事だと思う。
やろうぜ読書。

 

しかしまぁ、この写真に収められた未読本たちのラインナップってどうなのよ?
と我ながら思う。
軽薄さとさりげなく利口ぶりたいというしょうもない企みがチラホラ見えてくる。
正直、恥ずかしい。
でも載せた。
載せたらなんだか気持ちが良い。

 

調子良ければ今度の五月には48歳になるであろう小生。
96歳まで生きるのは難しそうなので、多分とっくに折り返し地点は通過したことだろう。
そう考えると、死ぬるまでに読める本は限られてくる。
ナイスチョイスして我が身に染み込ませたい。
側から見たら、全然教養なさそうでも構わない。
読んだという事実が我が身を支えてくれるはずだから。
ルルルラララ。