師走的空気感に包まれて

遅ればせながら、先々月に購入したモミジシシガシラが紅葉し始めた。
それを見た息子は、たいそうこれが気に入ったらしく「オレが大きくなったら、これ頂戴。可愛がるから。」と言った。
「可愛がる」って表現が面白くて、なんだかそれが嬉しくて「イイよ」と約束した。

 

 

野暮な物言いになるが、息子の感性の成長を感じる機会が多くなった。
コントロールする気はサラサラないが、父親のエゴで「こんなのイイんじゃない?」と方向付けはさりげなくしている。
そんなの全然無視される場合がほとんどだが、時折「お?」と思わせることを言い始めるから面白い。

 

 

こんなことを書いてたら、ふと本田宗一郎さんの言葉を思い出した。

 

 

『世間では、大人の言いなりになる子や、大人の考えの枠から飛躍しようとしない子が「いい子」であり、自分の意思を堂々と主張したり、個性的な考え方や行動をする子を「悪い子」というレッテルををはりがちである。

けれども私は逆だ。
世間でいう「悪い子」に期待している。

なぜならそういう子供こそ個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味の
「いい子」だからである。』

 

 

素晴らしい。
こういう心構えでいたいものだ。(坂口安吾さんも著作で同じようなことを書いていた)
しかし、ワイルドさ溢れる息子の日々の行いを見て、脳内でこの言葉を諳んじたりしてはみるのだが、なかなか徹底が出来ずにすぐに感情的になってしまうってのが本当のところだ。

 

 

でも理想を掲げるのは悪いことじゃないはずだ。
そうなれたらイイなぁって思いは、ちょっとだけそうなりたい自分に近づけるはずだから。
ルルルラララ。

 

 

《お知らせ》
DOODLIN’ BARBER SHOP 年内の営業は31日まで。
(31日は月曜日ですが営業いたします)

新年は5日からになります。
29日、晦日、大晦日の予約が結構埋まって来ておりますので、お時間の都合がわかりましたらお早めのご予約をお勧めいたします。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主

ありふれた奇跡

近頃よく店内で流している福居良さんのアルバム『Scenaery』へのお客さんたちの反応がすこぶる良い。

 

 

YouTubeに「あなたこんなの好きなんじゃない?あはん?」とドヤ顔で薦められて聴いたのが今年の初めぐらいのことか。
どれどれそんなに言うなら聴いてやるぜとポチッとした瞬間に、ど頭かち割られるような衝撃を受けて、これはもうレコードで欲しい絶対欲しい!となったんだった。

 

 

それから、すぐさま鼻息荒く注文したものも、なかなか手元に届くことなく半年が過ぎ、やっとやって来てくれたのが今夏の初め。
待ちに待った甲斐があったもので、やはりレコードで聴くそれはまた新しい衝撃を与えてくれたんだった。
その疾走感とライブ感、あたかもそこでたった今演奏しているかのような臨場感がそこにあったんだった。

 

 

けれども、これは多分きっと相当な独り善がりな思い入れがもたらしたものなのだろうと思う。
でも、それでいいのだ。
それがいいのだ。

 

 

この福居良さん。
一昨年に六十七歳で亡くなっている。
この『Scenery』が発表されたのは1976年。
福居良さん、二十七歳のときのデビューアルバムである。
驚かされるのは、福居さんが初めてピアノに触れたのは二十二歳だったということ。
しかも独学で。

 

 

たったの五年でここまでの演奏が出来るのだろうか。
私もちょいとピアノをかじったことがあるからちょっとだけわかるが、これは信じられない神業だ。
それほど素晴らしい演奏なのである。
上手いだけじゃない。
いやもしかしたら、上手くないのかもしれない。
でも、ここまで心を昂らせてくれる演奏はそうそうない。
何がどうなったらこうなるのだろうか。

 

 

ここに至るまでそれこそ命懸けでピアノに向き合ったのだろうと思う。
気が遠くなる程、ずっとずっとずっと弾いたのだろう。
それでも、だからと言って誰でも出来る所業ではないが、時代とか空気とか環境とか、いろいろとないまぜになって奇跡を起こしたのだろう。
そんなことを想像していると、うっすら涙がこぼれそうになる。
我ながら気持ち悪いが、もういいオッサンなんで、これでいいと思っている。
多少気持ち悪いくらいがベリー最高にちょうど良い塩梅なのだ。

 

 

オッサンは甚だ気楽なのである。

 

 

何事もキーポン

学生時代からの友人(元パンクス)が、自身が勤める老人介護施設で老人ロック合唱団を結成しようと奔走している。
(傑作ドキュメンタリー『ヤング@ハート』に大いに刺激されてだ)

 

 

まずはこんな歌を歌ってみませんか?
と云う感じで、お爺さんお婆さん方の前で歌ってみせたところ、これが大受け。
中でもとりわけ、ザ・ブルーハーツの歌が好評だそうで「これ、あなたが作った歌なの?」「素敵な歌詞ね」「新鮮だな」「息子がよく聴いてたな」「メロディーがいいわね」と絶賛の嵐。
それならもう、いっその事ブルーハーツの曲だけに絞って、まずは始めてみようと云うことになったのだそうだ。

 

 

わかりやすい言葉、すぐに口ずさめるメロディー、そしてそこにある真っ直ぐなメッセージ性は、うちの息子が惹きつけられたように老人たちの気持ちもすぐに掴んだようだ。
我々が思っている以上に、老人たちの感性は柔軟で、好奇心も旺盛なのかも知れない。

 

 

ザ・ブルーハーツの中心メンバーだった、甲本ヒロトと真島昌利は今 “ザ・クロマニヨンズ” で活動している。
このクロマニヨンズ、何となくは耳を傾けてはいたのだが、あまり私の中に入ってきてはいなかった。

 

 

まあ、いいよね……
アルバムも、全部は聴くことはないか……

 

 

そのぐらいのスタンスで対峙していた。

 

 

それが突然この頃グイグイ入って来るようになったのだから、人生というのはわからないものである。
息子とのドライブでのBGMにと、クロマニヨンズの “Oi! Um bobo” を気まぐれに流したところ、息子と二人でガツンと打ちのめされたのだ。
いきなりに。
突然に。
雷が落ちたように。

 

 

それから、クルマを走らせるときのバックグラウンドミュージックは欠かさず “ザ・クロマニヨンズ” をナイスチョイスしている。
前述の元パンクスの友人にお願いして、持っていないアルバム、レコードで所有しているアルバム(“ザ・クロマニヨンズ” のアナログ盤にはダウンロードコードは付いてないのだ)のCDを貸してもらった。

 

 

どれもいい。
なんかいい。
たまらなくいい感じだ。
何これ?
なんでなの?

 

 

 

三十数年前、中学生の頃から夢中で聴きまくっていたザ・ブルーハーツ。
それから、ザ・ハイロウズ → ザ・クロマニヨンズとバンドを変えつつも、ずっとずっと歌声を届けてくれる甲本ヒロト先輩と真島昌利先輩。
しかも、自分の息子まで好きになりかけている。

 

 

これってすごいことだなと今あらためて思いっきり感じ入っている。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た後に、クイーンをずっと好きで良かったと思ったのと、同じようにずっと好きで良かった。
これもまた意味は多少違えど “継続は力なり” ってことなのだと思う。

 

 

何事もキーポン。
これが大事。
これが大切。
ここに価値が生まれる。

 

 

股旅。

なりたいようになれるものだ

老眼鏡がまた逝ってしまった。
でも、また同じものを使うことにした。
若かりし頃の自分だったら、どうせならと違うものにアタックしていただろうけども、四十路半ばを過ぎた今は冒険をしなくなった。

 

 

気に入ったものを使い続ける。
たとえそれが壊れたととしても、同じものを手に入れる。
そんな風に出来たら良いなと思いつつ、これがなかなか出来ずにいた。

 

 

その対象となるものが老眼鏡がとなるとは予想していたなかったが、老眼鏡ってのが良い塩梅だなと我ながら思う。
いや待てよ。
すでにワークキャップも同じものを使い続けていたことに今書きながら気がついた。
おっと、そういえば仕事用のシューズも adidas の campus をここ数年潰れたら履き替えを繰り返して使用しているな。

 

 

もし、なりたい自分に少しずつなれているのなら、それは幸福なことだなと思う。

 

 

画像左は、デストロイされた老眼鏡を着用したもの。
心なし、口角も下がり気味でテンション低めな表情だ。
画像右は、新しい老眼鏡を着用している。
こちらは、そこはかとなく嬉しそうな雰囲気である。

 

 

人の心というものは、誠に正直なものだなと嘆息するばかりのエブリデイだ。

素晴らしくてナイスチョイスな瞬間

二週間ほど前、息子と庭で遊んでいるときにオオカマキリを見つけた。

 

 

飼いたいと息子は言うのだが、さすがにもう十一月の半ば。
餌となるムシを捕まえるのも難しいし、このまま逃がしてあげようよとどれだけ諭しても息子は首を縦に振らない。

 

 

仕方なく虫かごに入れ、息子が幼稚園に行ってからどうにか小さいムシを捕えてオオカマキリに献上したりして私が世話をした。
しかし、それにも限界を感じたし、息子もどうやら忘れているっぽいので、庭に逃がすことにした。

 

 

 

弱っていることもあったのか、その後もオオカマキリは庭を覗けばいた。
普段口にしないであろうアリなどを捕食しているようだ。
これも生きるためだ。仕方ない。
私はオオカマキリのガッツに感嘆した。

 

 

 

どうにかこうにか食いつないでいたオオカマキリだったが、昨日とうとう自分の足を食べていた。
見かねた私はカナヘビをササッと捕まえ、オオカマキリに差し出すとムシャムシャと食べ始めた。
これでどうにかもう一日は生きながらえるだろうとホッとしたのだが、今考えてみればカナヘビには悪いことをした。
ごめんなさい。

 

 

 

そして今日。
オオカマキリの姿はどこにもなかった。
餌を探して旅に出たのだろうか。
それとも天敵の餌食になってしまったのだろうか。
その行方を知る術はない。
後で、息子が幼稚園から帰ったら、ことの顛末を聞かせよう。
キミの庭でこんなドラマがあったんだぜ!
と多少話を持って伝えよう。
息子はどんな表情をするだろうか。
楽しみだ。

 

 

 

そんな息子は近頃、ザ・ブルーハーツに御執心。
歌はもちろんなのだが、ことさら甲本ヒロト先輩のパフォーマンスに痺れているようだ。
(数ある曲の中でも特に『青空』がお気に入りのようである。いいぞ、息子。ナイスチョイスだ。)

 

 

その激しい動きと、それはちょっとやり過ぎじゃ……と思わせる甲本ヒロトの表情を息子が真似る。
三十数年、甲本ヒロト先輩のファンである私はそれはもうとっても嬉しいことなのだが、いやちょっと待て、これってどうなのよ?
と少々心配でもある。

 

 

いや、大丈夫。
実は、そんなに心配していない。

 

 

これは息子の中での「カッコイイの基準」が着々と出来上がってきているという証拠なのだ。
これは大いに喜ばしいこと。
どんどん自分の中の「カッコイイ」を作っていってくれ。
それは誰にも邪魔されないよ。
お父さんとお母さんは、ちょとだけ方向付けはするかもだけど。