『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。
もちろんフレディのコスプレ、白のタンクトップにウォッシュのかかったスリムジーンズにアディダスのスニーカーでだ。

 

 

ここまで「観た方がいい!」と多くの方々に薦められた映画もない。
いろいろ様々なお客さんたちが絶賛をしていた。
クイーン好きじゃなくても絶対面白い。
クイーンすきなら尚更観て欲しい!
と耳元でエーオ!と幾人もの方々に絶叫されるのだから、それはもう重い腰を上げなくてはなと早朝にエエエオ!と劇場へと向かったのだ。

 

 

観終わっての感想は一言「良かった!」である。
いろいろと口を挟みたい気持ちはわからんでもないが、作品から伝わる熱狂と情熱の前には野暮天ってものだ。
何しろ曲がいい。
楽曲たちに色がある。
役者さんたちのなりきり具合にもシビれた。

 

 

ここまで書いておいてなんだが、実は私はかなりのクイーン好き。
幼少時より、普通に我が家で流れていたから、もう体の奥底に染み込んでいる。
子ども心に、変てこで気持ち悪くて面白い音楽……でも好き!
って感じだったと記憶している。
なんだか謎の魅力があったのだ。
フレディにも、気持ち悪さを突き抜けた先の格好良さを感じた。

 

 

クイーンが体内に染み込んでいることを実感したエピソードを一つ。
私が、ロケットバーバーで修行を始めた頃。
師匠と友人の中村太輔と私とで、店内の大々的な模様替えをしたときに、クイーンのグレイテスト・ヒッツをBGMに流したのだ。
そしたら、三人が三人ともアルバムに収録された楽曲でのフレディのパフォーマンスにいちいちピタリと合わせることができたのだ。
あれには笑った。
相当聴き込んでないと、ああはいかない。
あの瞬間、ある意味「絆」が生まれた気すらしたんだった。
そう、クイーンの楽曲たちにはそれだけのパワーがあるのだ。

 

 

そんなわけだから、今回の映画『ボヘミアン・ラプソディ』に私がグッとこないわけがないのだ。
だけども、正直観るのが怖かった。
夏に『ジュラシック・ワールド』を観に行ったときに『ボヘミアン・ラプソディ』の予告編を観て「これは観に行かねば!」と鼻息荒くしていたのだが、勝手にせいぜい単館上映ぐらいだろうと思い込んでいたもんだから、今回の大々的なロードショーには面食らった。

 

 

大ヒットという知らせ、多くのお客さんたちからの称賛の嵐。
お得意のアマノジャクっぷりに拍車がかかり、これはもう観るのをヤメようとすら思っていた。
でも観た。
観て良かった。
クイーンを好きで良かった。
音楽が好きで良かった。
生まれて良かった。
生きてて良かった。

 

 

そんな気分になれて幸福だ。
どうもありがとう。

そのまま突き進め

五歳八ヶ月になる息子が初めて自転車に乗った。

 

 

二、三歳の頃からバランスバイクを華麗に乗りこなしていたので、それを見たお客さんに「補助輪なしでも、すぐに乗れるようになりますよ〜」とは言われてはいたのだが、本当にほんの一瞬でスイスイ乗れちゃったもんだから驚愕した。

 

 

でも、なんかこう自分の時はもっと苦労&苦悩した記憶だったので、ちょっとだけ悔しい。

 

 

自転車を買おうと言っても乗り気じゃなかった息子が、自転車屋さんに行って御目当ての自転車に乗った途端にテンション上がりまくりだったのは可愛かった。
きっと怖いだろうに、それなりのスピードを出した勇気にもグッときた。
乗りながら、ザ・クロマニヨンズの『流行のクルマ』を口ずさんでいたのもナイスな選曲だ。
それでいい。
何もかもそのままその調子でいい。

 

 

今日も屈指の名場面を目の当たりにさせてくれて、どうもありがとう。
乗れた瞬間を写真に撮らなかったけど、シッカリと脳裏に焼き付けられたから、これでいいのだ。

そろそろ枯れ始め

今、私の中でもうかれこれ通算428回目ぐらいの FISHMANS ブームが到来しているのです。
この定期的にやってくる心地好い波に気ままにライドオンするわけです。
もう二十年も前に奏でられた音の何が私をこんなにもくすぐるのだろうか。
その答えを求めたこともないが、多分きっとそんな答えはないのだろ
う……

 

 

だなんて甚だ面倒くさく気持ち悪いことをぼんやり考えてしまうのもFISHMANSの音楽がもたらす効能。
このブーム。
二十年間ずっと何度も繰り返しているのだから、これからもずっと何度も繰り返すことだろう。

 

 

先日来てくださった五十路後半のお客さんが「これからどんどん枯れていきたいんだよ……」と言ってました。
おしゃべりで元気はつらつではなく、静かにそっと佇んでいるようなそんな爺さんになりたいそうなのだ。

 

 

この願い。
私もちょっと共感させてもらったのですが、そうなるためにはじゃあどうすればいいかと言うと、そこに明確な答えが見当たりません。
なので、せめて道標だけでもと思うとそこで必要なのは自習ではないかと。
いい音楽を聴いて、いい映画を観て、いい本を読んで……
誰に指示されるわけでも、支持されるわけでもなく、はたから見たらひょっとしたら怠惰な時を過ごしているかのように自習したいものです。

 

 

はい、これからは自習の時間!

 

 

と言われ、そこ自習する何かがあることをひょっとしたら教養と言うのかもしれませんね。
なんつって。

 

 

こんなことをぼんやり考えているときにジャストフィットスムーズインするのが FISHMANS の音楽なのです。

 

 

さてと。
『空中キャンプ』でも聴きますか。
もちろんレコードで。

 

 

股旅。

今朝ふと思いだしたんだった

今朝、ふと二十数年前にちょっとだけ就職活動をしたときのことを思い出した。

 

 

履歴書に自己PR文を添付せよとのことだったので、自分の好きな人物、影響を受けた人物をかたっぱしから書いたものを提出した。
文豪、映画監督、音楽家、歴史上の人物、芸術家などを古今東西問わず並べ、最後に「みんな大好き!みんな自分のどこか一部になっている」と添えた。

 

 

某会社の面接で「良い自己PRだね〜」と褒められ、気を良くはしたのだが、他の会社へ提出する自己PRはまるで違う手法のものにした。
なんだか同じものを出すのが嫌だったのだ。
ココで「褒められたんだし他のところも同じもので勝負だ!」とやれる人は人生の勝利者になれるのかもな……と薄ぼんやり思う。

 

 

別にバレるわけないわけで、そこ出せよ!と今になっては思うのだが、当時のヤングテッペーにはそれが出来なかった。
なんだか照れくさかったのだ。
ちょっと褒められたぐらいで調子に乗るなよ!
と自戒していたのだと思う。
何せ褒められたとはいえ内定が取れていたわけではないからだ。
むちゃくちゃ自惚れているくせに自惚れていると思われたくないという自惚れ具合。
痛々しいったらありゃしないわけである。

 

 

テレビを見てて、芸人の方が以前見たことあるネタをやっている時なんだか冷めてしまう自分がいる。
これをやればウケる。
そう保障された上でやっているのだろうなと思うと、なんだかそれってちょっとどうなのよ?と生意気に思う。
ただテレビ見て鼻くそほじっているど素人のくせにだ。

 

 

でも、ダウンタウンの松っちゃんは著書で「同じネタはやらない。なんだか恥ずかしいから」と言ってて「これだよ!これなんだよな!」と勝手に共感させてもらった。
甲本ヒロト & 真島昌利先輩もレコーディングのときに何度も演奏すると飽きるから基本一発録り、多くて二、三回演るぐらいだとインタビューで語ってて、これまた「そこでしょ!」と激しく同意させてもらったんだった。

 

 

まあ、このお三方は別格なので、普通に生きていく上だったら、こうじゃない方がきっといろいろと上手くやれるのだろうと思う。

 

 

自分の仕事に関しては、今のところ飽きてしまう気配が微塵もないので安心している。
一瞬飽きるのは良いと思う。
というか、むしろ一瞬飽きるってのは必要かもしんまい。
一瞬飽きるけど、すぐに持ち直す。
その繰り返しがサラリとできればフィルソグー。

 

 

ときには自分の感覚に疑いを持って「いや……ちょっと待てよ……これってどうなのよ?」と自問し、そのあと「やはり、コレでいいのだ!」となれればロックンロールなわけである。

 

 

話が行方不明になってきたところで、ちょいとお暇する。

 

 

股旅。

何をどう大切にするか、それが大事。

一昨日、十一月三日はレコードの日でした。
それはもう垂涎もののレコードが、これでもかってぐらい発売されるのでテンションダダ上がりなわけですが、もちのろんで全て手に入れるなんて夢のまた夢なのです。

 

 

「何か欲しいものある?」

 

 

と訊かれて出てくるのはレコードと本ばかりな私ですが、道端で助けた浮浪者が実は大富豪だったりして「じゃあ百万円差し上げるからレコードを買いなさいな」と言われても、多分レコードも本も買わなそうです。
なんでそうかというと、そうなると私はきっと大切にしないと思うのです。
大切に聴く。
大事に聴く。
これって重要なんですよ。

 

 

レコードそのものを戴いたときは、ちゃんと大切にしますよ。
けど、お金を戴いて自分で選んで買ったら、そうならない。
こんな気持ち、きっとわかっていただけることでせう。

 

 

昨夜、五歳七ヶ月になる息子に「俺がお父さんにレコード買ってあげるよ。五十円ぐらい?」と言われたのです。笑
それはもう絶対に大切にしますね。
五十円で買えるレコードを探しまくって厳選して。

 

 

私がレコードと本が大好きで、いつもとても欲しがっているというのが息子にバレているのが嬉しい。
それもまた父の背中の一部分だと思うのです。
息子よ、実はその二つにプラモデルも加わるのだ。
一緒におもちゃ屋に行ったときにいつもプラモデルコーナーで立ち止まる父の姿を何度も見ているはずだ。
そのときの私の目は、キミが恐竜のおもちゃを見ているときと同じ輝きを抱いているはずだよ。
よく見といておくれ。