いつも聴こえてくるのは あのメロディー

もう随分前の話になるが、父が数十年も前の家族写真を出してきて
「この頃が一番幸せだったのかもな……みんな若くて元気で……行きたいところに行こうと思えば行けたし、やりたいこともやろうと思えばやれたんだよなぁ……」
とちょっぴり寂しそうに微笑みながら見ていたことを時折思い出すのである。

 

 

その父が見ていた写真に写っていた私は幼稚園児ぐらい。
つまり、私の息子の今現在の年齢と同じほどなのだ。
(兄たちは中学生と高校生。母は三十代半ば父は四十代前半ってところか)
そのせいか、父のそんな思いと今の自分がの眼差しとがシンクロするのである。
子猫と遊ぶ息子、それを見つめる妻さん。
そんな家族の風景。
数十年経ったら、輝かしい一時だったなと思い返すのだろうか。
そんな一瞬を脳裏に刻み込んでおこう。
だなんて手前勝手なセンチメンタル満載の日々を過ごしている。
まあ、自分もいつの間にやら年を重ねたなって話である。

 

 

話は変わるようで繋がっている話。
近頃、ラジオ体操や柔軟体操が効いている。
若かりし頃は、こんなのやる意味あるの?などと痛い勘違いをしていたが、四十路半ばも過ぎた今。
これが効く。
全ての動きがガタピシになってしまったマイボディをガッシガシほぐしてくれる。
ピョンピョン飛び跳ねるだけだぜと軽く見ていた跳躍や、腕を前から上に上げて大きく背伸びの運動もバッキバキと音を鳴らす。
まあ、これも自分もいつの間にやら年を重ねたよねって話である。

 

 

年を重ねたなぁというか、オッサンになったよなぁと実感したことをもう一つ。

 

 

真心ブラザーズの新曲『メロディー』がやけに響くし沁みるのである。
これはもう、いつか行われるであろう私の葬式で是非とも流してもらいたいと思うぐらいに。
メロディーも歌詞も入って来てしょうがないのだ。
♪やりたいことなんか そんなに見つからなくて
やるべきことと 退屈で 時間は過ぎる

それでも楽しく生きる覚悟を 矜持を
大丈夫 安心して みんな本当は退屈してるから

退屈を怖がるな 退屈と共に在れ
それでもなるべく 聴きたい音楽を 読みたい本を
身を置きたい気持ちイイ場所を求めて

ほら いつも聴こえてくるのは
あのメロディー
誰の声だか知らないが 幼子のように従ってしまう
そして 心の奥から確かな力を感じるんだ……♪

 

 

この歌と出会えて幸福だ。
感謝したい。

 

 

私にも、いつも聴こえてくるメロディーがある。
そして私も、そのメロディーが聴こえてくるとヘソと心の奥から確かに力を感じるのだ。
ずっと確かにあったそういう思いや感じ方を歌にするって凄いね。
YO – KING 、あんた凄いよ。

 

 

股旅。

私の礎を成すもの

今朝。
ふと自分のルーツと言うかベースになっているものは何なのだろうかと考えてみた。

 

すると。
かつて、少年だった頃とかはただただ好きだっただけなのに、それが今は確かに僕自身を構成する細胞の一部になっていることに気づいた。

 

 

考え方、受け止め方、生き方、選び方、逃げ方、思い方、果ては歩き方、走り方までも、影響を受けていると言うレベルを超えて僕自身の中に入って来ているのだなと感じたんだった。

 

 

幼少時より、兄弟がいつも聴いていたので染み込んでいるRCサクセションの忌野清志郎先輩と中学時代に衝撃の出会いをした THE BLUE HEARTS の甲本ヒロト先輩。
とりわけこの二人には多大な影響を受けた。
それは最早細胞レベルまでも深く浸透していると思う。
それと意外かも知れないが、真心ブラザーズの倉持陽一先輩もかなり入っている。

 

 

こんなことを言うのは、今までずっと恥ずかしかったのだけれども、何だか吹っ切れている自分がいる。
四十代に入ったあたりから、少しずつ吹っ切れが始まった。
吹っ切れが無事終了したら、次は突き抜けだ。
突き抜けの先はまだ知らないので、還暦に差し掛かる辺りまでには知ることが出来たらなと思う。

 

 

文筆家で挙げると、リリー・フランキーさん、みうらじゅんさん、大槻ケンヂさん、中島らもさん、大竹伸朗さんには散々お世話になった。
先輩たちの文章には、生き方のヒントが書かれていた。
何度も言うが「答え」ではない。
あくまでヒント。
いろいろと勝手に教わりました。
勝手に受け止め、勝手に解釈し、勝手に咀嚼し、勝手に吐き出して生きてきました。
これが二十代前半からですかね。

 

 

寺山修司さん、岡本太郎さんとかも読み漁りましたが、影響を受けたなどとはとても言えない。
何でなんですかね。
誰が上で誰が下とかって話ではないんですよ。

 

 

宮本輝さんの本も読み漁りました。
そのほとんどを読んだんじゃないかな。
そうそう。
来月末、宮本輝さんのライフワークとなった『流転の海』の最終章となる第九部がいよいよ発売されるのですよ。
第一部が発売から三十四年で、ようやく完結するわけです。

 

 

僕が第一部を初めて手に取ったのは浪人時代か学生時代なので『流転の海』ともかれこれ二十数年の付き合いになる。
終わってしまうことに一抹の寂しさはあるが、ずっと読み続けてよかった。
この二十数年、失速することは一度もなく、ユルもことなく、ずっとずっと面白かった、この作品。
この小説も確実に僕の中に溶け込んでいることだろう。

 

 

アニメでは、これはもう間違いなく『機動戦士ガンダム』です。
漫画では、絞るのが難しいですが、パッと思い浮かぶのは『火の鳥』(手塚治虫著)、『カムイ伝』(白土三平著)、『風呂上がりの夜空に』(小林じんこ著)ですかね。

 

 

映画、洋楽、お笑い、ドラマなどもあるのですが、それはまた次の機会に。

 

 

ルーツではなく、ベース。
このニュアンスの違いがとても重要。

 

 

股旅。

ふとした思いを綴った日記

以前読んだ無人島に漂着した人々を描いた実話をベースにした本の話です。
 
 
それぞれ、それなりのプロフェッショナルで、各人協力して困難を乗り切ってどうにか生還しようと奮闘するわけです。
 
 
その中で、風流を愛し音楽を奏でるのが得意な男がいましてね。
漂着当初、その音はみんなを和ませ不安を和らげ、希望にもなるのですが、徐々に食糧が尽きてきて、体力を奪われ始めると誰も音楽を求めることすら出来なくなっていきます。
 
 
それでもどうにか生き抜こうと皆が耐えているとき、音楽を奏でていた男は崖から身を投げてしまうのです。
楽器だけを残して。
 
 
これを読んで私はショックを受けましてね。
所詮、芸術なんてものはそんなものなのかと。
極限のサバイバルな状況においては、真っ先に脱落してしまうのだなと。
風流を愛する心なんてのは邪魔になるのだなと。
 
 
でも、私は思い直しましたよ。
だからこそ、芸術は大切なんだぜと思えて来ましたよ。
人間らしくあるために必要なものなんだぜってね。
 
 
ちなみに床屋はどうかといいますとね。
 
 
物語の終盤、これでどうにか生還出来るってなったとき、みんな髪を髭を整え始めるんですね。
 
 
それまでは外見なんてどうでもいい状態だったわけです。
それどころじゃないわけです。
 
 
生きる、生活するって思えたとき、人は外見を整えるのですね。
 
 
漂着したメンバーの中に床屋はいなかったので、それぞれ整え合うわけなのですが、ここで床屋がいたらもっとクールな姿で生還出来たはずなんです。
何せ十数年ぶりの帰還ですからね。
ビシッと決めたいじゃないですか。
 
 
もし自分が漂流したら先に死ねないですね。
最後の最後に、仲間をかっこよくするっつー重大な役目がありますから。
 
 
まあ、何が言いたいかっつーと、みんな髪を整えに行こうぜってことです。
髪を整えたいって思い、それはとても人間らしい、人間ならではの思いなのですよ。
 
 
 
 

そこ機転利かせていこうよ

お客さんの大内さんから薦められて購入したCD『Music From The Films Of Woody Allen』がすごぶる良い。(なんと3枚組で1300円也)
ウッデイ・アレンの作品中で使用されたジャズを集めたコンピってことで、それはもうハズレであるわけがないのです。
おこがましくも、こんな音楽がさらりと流れているような床屋を目指している僕にとってはまさにどストライク。
どんどんこういう音楽を吸収していきたいですね。
どこに吸収?
僕にじゃありません。
店に吸収させるのです。
吸収させ続けると、やがて店に色合いが生まれ、良い空気を醸し出し始めるのです。
これホントです。

 

 

今読んでいる『サブカルで食う』(大槻ケンヂ著)がたまらなく面白い。

 

大槻ケンヂさんが池袋の西武百貨店の屋上でやっていたフリーライブに行ったときのエピソードが書かれていましてね。
近隣から音がうるさいって苦情があって、大トリだったシーナ&ロケッツには一曲だけやってもらうって流れになったそうなんです。

 

 

会場はもう暴動寸前みたいになったのですが、シナロケが出てきて鮎川誠さんが「仕方ないんで一曲だけやりますんで聴いちょってください」ってストーンズの「サティスファクション」をはじめたわけです。
「満足できないぜ」って曲ですよ。
しかも、その一曲を四十五分くらい演奏したんだっつーから、しびれてしまいました。

 

 

この機転の利かせかたね。
ここで「ふざけんじゃねえよ!」って暴れる方向に反骨精神を発揮するんじゃなく逆境をチャンスに変えてしまう。
しかも、そこでちょっとユーモアを入れて相手を苦笑いさせながら、みんなも納得させてしまうというね。

 

 

「なんか、生き方の重要なポイントを教えてもらった気がします……」

 

 

これは大槻ケンヂさんの言葉なのですが、僕も激しく ME TOO だぜと感じ入りました。
いざという時、こういう粋な機転を利かせられるようになりたいものです。
ふてくされたり、ブツブツ文句言ったりとかじゃなくてね。
こういう機転こそが本当の教養がある行いなんじゃないかと。
そう思うのだが、キミはどうだ?

 

 

 

ずいぶん前のこと。
航空記念公園で、スピーカーを組んでちょっとしたプチ野外音楽イベントみたいなことをやったことがあるんです。
バンドとかは出なくてレコードセレクターのみで、芝生の上で気持ち良い音楽聴きながらのんびり過ごしましょうよってな企画。

 

 

そこで、セレクターの中の二人が遅刻したんですね。
自分の時間が終わっているのにレコードは持ってくるっつー鋼の精神力で。
時間通りに来てセッティングに励んでいたみんなは当然のごとく憤っていたわけです。
論外だ。
冗談じゃない。
あいつらの持ち時間はなしにしよう!ってね。

 

 

でも僕はそこで「せっかくの楽しいイベントなんだし、ここはみんなの時間をわけあって彼らにも持ち時間をあげましょう!楽しむ、それが一番!」と提案したわけです。
「え〜!」って声も上がりましたが、主催者であるテッペーがそう言うなら別にいいよと渋々承諾してくれたわけです。

 

 

でも、なんだかんだで僕の持ち時間はなくなり、張り切って主催した自分が一、二曲しか選曲せずに終了時間を迎えるっつーどっちらけなエンディングだったわけです。
僕は当時、このエピソードを「これはもう美談!葬式の弔辞でも語られるような素敵な話しなんじゃ?」などとほくそ笑んでいたのですが、今思えば「なんだかハドゥカシィ!」ですね。
全然、粋じゃない。
偽善臭がプンプンです。笑

 

 

もっとこうナイスな機転を利かせて、みんなが笑顔になれるように出来てたらな〜と今更ながら思います。
一つぐらいは伝説となるようなエピソードが欲しいもんです。
欲しがっている時点でそれダメだよ!
だなんて言わんといてください。

 

 

それでは股旅。

頭柔らかくありたいものだ

おはようございます。

 

定休日の爽やかな朝。
だのに、今流れているのは Tom Waits の “Small Change” と云う超絶なギャップ感。
何しろ夜そのものなアルバムですからね。
でも、またこれも良しと思えるから、人間(つーか私)の感覚なんてのは甚だ適当で不思議なものです。

 

このアルバムは私が浪人生だった1990年。
ふと次兄(私は三人兄弟の末っ子)に、これ聴いてみとテープを渡されたのがハマる切っ掛けだったのでした。
ラジカセにセットしてプレイした途端に流れ出したのはガラガラダミ声。
テープにはアーティスト名とタイトルのみ。
私は一聴して、これはもう年配の黒人男性が歌っているに違いないと確信し、夜更かし勉強しながら何度も何度も聴き返したのでした。

 

これはもう物凄くCDが欲しいぞ!
と小遣いをかき集め、珍屋立川店に駆け込みCDを手に取って驚愕しました。
ジャケットには舞台楽屋らしき場所でけだるそうに佇む白人男性の姿。
まさかまさかの白人!?
しかも、このアルバムの発表当時(1976年)、トム・ウェイツはまだ二十六歳だったっつーダブルショック。
私の見立てた年配の黒人男性ってのは大外れだったわけです。

 

未だにこのアルバムを聴くと、当時の十九歳の見識なんつーのはしょうもないもんだと大いに納得しちょっとだけ落ち込み、それ以上に世界の広さと奥深さとキテレツっぷりにワクワクしたことと、初めてこのアルバムをテープでプレイした夜のことを思い出します。
音が匂いや感触や風景までも呼び覚ますんだから面白いです。

 

そうそう。
先日、ダスティン・ホフマン主演の『マラソンマン』(これまた1976年の作品)って映画を観たのです。
スリリングな展開に大いに惹きつけられたのですが、そこで光っていたのはローレンス・オリヴィエの悪役っぷり。
イメージとは真逆だったので驚きましたが、もっと驚いたのがローレンス・オリヴィエ自身が生涯でもっとも気に入っている作品がこの『マラソンマン』だということ。

 

あの稀代の名優が、ナチスの残党の極悪非道なサイコ歯科医の役を演じた作品が一番のお気に入りって……
人生ってわからんもんです。
やはり人生なんてラララだなと。

 

ついでですが、スター・ウォーズ旧3部作(エピソード4~6)でオビ=ワン・ケノービ役を演じたアレック・ギネスは、『スター・ウォーズ』出演を一生後悔してたらしく「俳優人生最大の失敗だ」と語っているそうで、スター・ウォーズに関する取材は一切受けず、ファンからの手紙は一切読まず全て捨てて、子供からサインをせがまれても、「スター・ウォーズを二度と見ないのならサインしてあげるよ」と答えたそうだっつーから、これまた人生なんてルルルラララなんだなとしみじみしちゃうのです。
どうしたんだいアレック?と優しく話を聞いてあげたいぐらいです。
感じ方、考え方、生き方、見方、聴き方、et cetera。
それらは人の数だけあるっつーことですね。
わかろうだなんて考えず、受け入れるって選択をしたほうがいいんじゃ?
とちょっとだけ考えられるようになったのは四十路に入った頃からでした。
頭柔らかくありたいものです。
Tom Waits の “Small Change” を朝っぱらから聴きながら。
股旅。