新年明けましておめでとうございます

拝啓、親愛なる皆皆様。
明けましておめでとうございます。

 

思い起こせば旧年中は恥ずかしき事の数々、今はただ反省の日々を過ごしております。

 

はてさて私事ではありますが、今年はめでたくも四回目の年男。

いいことばかりはありゃしないかもですが、そんなときは「そこがいいんじゃない!」の精神で、気を抜いたら ちらりと湧いてくる不安タスティックを猪突猛進よろしく華麗に蹴散らしてやろうと思います。

 

皆皆様方には引き続き 2019年もよろしく御指導御鞭撻くださいますよう、向後万端ひきたって、宜しくお頼み申します。

 

末筆ながら亥年の本年が皆皆様にとってより良き年になりますよう、所沢市三ヶ島より心よりお祈り申し上げます。

 

2019年 元日

 

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主
高崎哲平 拝

年の瀬のらりくらり

どうやら2018年最後の日記になりそうだし、何か気の利いたことを書かねばなとさっきから思案しているだが、どうにもウマい文言が浮かばない。
今年一年で心に残った本、映画、音楽は何だったかなと思いを巡らすも、どうにもシリキレトンボ。
いまいち集中出来ないのはナゼだろうナゼかしら。

 

 

「なぜだろうなぜかしら」と云えば、僕が小学校入学したときに買ってもらった本だ
とても面白く読んだことを覚えている。
うちの息子も来春には小学生になるわけで、何か気の利いた本を贈れたらなと思う。

 

 

今日は空き時間に息子とドラえもんを読んだ。
漫画の読み方を教えながらだったのだが、それが何とも不思議でおかしくて心がブクブク泡立った。
そういう自分はいつ漫画の読み方を覚えたのだろうか。
誰かに教えてもらったのかしら。
それとも自分で読めるようになったのか。
自分のことなのにわからないことがいっぱいだなぁと息子と接していると感じることが多い。

 

 

そういえば小学校に入りたての頃に親にねだって「シートン動物記」を買ってもらったんだった。
アライグマが表紙だったと記憶している。
数ページに渡って母にふりがなをしてもらったことも思い出した。
これを多分追体験と云うのだろう。
息子と接することによってそれが生じているのだ。
ありがたい。
埋もれていた記憶が呼び覚まされるのは気持ちのいいものだ。
息子に感謝しなくちゃな。

 

 

話は初めに戻るが、今年グッと来まくったと云うかよく聴いたよね〜ってレコードアルバムをパパパと思いつく順に挙げようと思う。

 

 

『Lullaby』高田漣 かなりヘビロテした。気持ち良し。
『Daisies of the Galaxy』Eels こういう音楽が似合う店にしたい。
『Snow』Angus & Julia Stone 多分これが今年一番かな。大好き。
Gregory Alan Isakov の全アルバム。ハマりにハマった。
『井手健介と母船 』も良かった。本人からレコードが送られて来たのは震えた。

 

 

 

本も結構読んだ。
幸いどれも良かった。
映画も結構観られた。
でも今それらを挙げろと言われたら窮する。
そんな具合だ。

 

 

そうそう。
夏に我が家にネコの すなすけ がやって来たことは大きな出来事だった。
この機会を逃したら、生涯ネコを飼うことはなかったかも……と考えると、ちょっとだけひやっとする。
すなすけ、うちに来てくれてありがとう。

 

 

そうそう。
妻さんがクリスマスプレゼントに革の小銭入れをくれた。
僕がずっと欲しがっていたことを覚えてくれてて、どうもありがとう。
早速大活躍しているよ。

 

 

さてと。
残り三日間も忙しくなりそうだ。
このまま駆け抜けるとしよう。

 

 

それでは股旅。

泣いてる人 笑ってる人が歩いてく  北風の中 時代は変わってゆく

ふと思いついて『蛭子能収のゆるゆる人生相談』を手に取ってみた。
帯には「きれいごと、ゼロ」と書かれてて、これはもう清々しいぐらいの蛭子節全開なのではないかと期待している。

 

 

今なんだか、そういう気配の物事を欲している自分がいるようなのだ。
そして、数ページめくってみたのだが、やはりそこにあったのは「そうくるか〜!」の連続で、蛭子さんはそんな気ないのだろうけど、思いっきり常識をぶった切ってて痛快だった。

 

 

蛭子さんは、僕が生まれ育った町にいっとき住んでいたので、しょっちゅう町中で見かけた。
でも、一度も声をかけたことはないし、誰かに声をかけられているのも見たことはない。
あまりにも普通にそこにいたからだと思う。
そんな蛭子さんの言葉だからだろうか。
妙に変に絶妙に響くのだから面白い。

 

 

これまたふと思いついて、仲井戸麗市先輩の『時代は変わる』を昨日から何度も聴いている。
師走だからだろうか。
クリスマス・イブだからだろうか。

 

 

♪家族のこと 友達のこと考える
仕事のこと 生活のこと ふるさとのこと考える
愛する 愛されること 生きるということ考える
そして時々考える…….死ぬということ…….

生まれてくる子供はみんな天使さ お偉い方々の子供も犯罪者の子供も
貧しき人 裕福な人 どんな肌の色でも
生まれくる すべての子供達に祝福あれ!

悲しい別れがありました 奇跡の生還 新しい出会いもありました
明日を生きてく君がいる 生きてく君の明日がある

泣いてる人 笑ってる人が歩いてく
北風の中 時代は変わってゆく♪

 

 

そういえば、昨日放送された『東京リボーン』が面白かった。
大友克洋さんの言葉が響いた。
『下町ロケット』の最終回も、それはもう面白かった。
最終回として考えると、これってどうなの?って終わり方だったが、ちゃんと年明けのスペシャルで大団円を迎えるようだし、それを楽しみに今日を生きようと思う。

 

 

今日は北風が強い。
平成も来年で終わる。

 

 

泣いてる人 笑ってる人が歩いてく
北風の中 時代は変わってゆく

 

 

メリークリスマス。

師走的空気感に包まれて

遅ればせながら、先々月に購入したモミジシシガシラが紅葉し始めた。
それを見た息子は、たいそうこれが気に入ったらしく「オレが大きくなったら、これ頂戴。可愛がるから。」と言った。
「可愛がる」って表現が面白くて、なんだかそれが嬉しくて「イイよ」と約束した。

 

 

野暮な物言いになるが、息子の感性の成長を感じる機会が多くなった。
コントロールする気はサラサラないが、父親のエゴで「こんなのイイんじゃない?」と方向付けはさりげなくしている。
そんなの全然無視される場合がほとんどだが、時折「お?」と思わせることを言い始めるから面白い。

 

 

こんなことを書いてたら、ふと本田宗一郎さんの言葉を思い出した。

 

 

『世間では、大人の言いなりになる子や、大人の考えの枠から飛躍しようとしない子が「いい子」であり、自分の意思を堂々と主張したり、個性的な考え方や行動をする子を「悪い子」というレッテルををはりがちである。

けれども私は逆だ。
世間でいう「悪い子」に期待している。

なぜならそういう子供こそ個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味の
「いい子」だからである。』

 

 

素晴らしい。
こういう心構えでいたいものだ。(坂口安吾さんも著作で同じようなことを書いていた)
しかし、ワイルドさ溢れる息子の日々の行いを見て、脳内でこの言葉を諳んじたりしてはみるのだが、なかなか徹底が出来ずにすぐに感情的になってしまうってのが本当のところだ。

 

 

でも理想を掲げるのは悪いことじゃないはずだ。
そうなれたらイイなぁって思いは、ちょっとだけそうなりたい自分に近づけるはずだから。
ルルルラララ。

 

 

《お知らせ》
DOODLIN’ BARBER SHOP 年内の営業は31日まで。
(31日は月曜日ですが営業いたします)

新年は5日からになります。
29日、晦日、大晦日の予約が結構埋まって来ておりますので、お時間の都合がわかりましたらお早めのご予約をお勧めいたします。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主

ありふれた奇跡

近頃よく店内で流している福居良さんのアルバム『Scenaery』へのお客さんたちの反応がすこぶる良い。

 

 

YouTubeに「あなたこんなの好きなんじゃない?あはん?」とドヤ顔で薦められて聴いたのが今年の初めぐらいのことか。
どれどれそんなに言うなら聴いてやるぜとポチッとした瞬間に、ど頭かち割られるような衝撃を受けて、これはもうレコードで欲しい絶対欲しい!となったんだった。

 

 

それから、すぐさま鼻息荒く注文したものも、なかなか手元に届くことなく半年が過ぎ、やっとやって来てくれたのが今夏の初め。
待ちに待った甲斐があったもので、やはりレコードで聴くそれはまた新しい衝撃を与えてくれたんだった。
その疾走感とライブ感、あたかもそこでたった今演奏しているかのような臨場感がそこにあったんだった。

 

 

けれども、これは多分きっと相当な独り善がりな思い入れがもたらしたものなのだろうと思う。
でも、それでいいのだ。
それがいいのだ。

 

 

この福居良さん。
一昨年に六十七歳で亡くなっている。
この『Scenery』が発表されたのは1976年。
福居良さん、二十七歳のときのデビューアルバムである。
驚かされるのは、福居さんが初めてピアノに触れたのは二十二歳だったということ。
しかも独学で。

 

 

たったの五年でここまでの演奏が出来るのだろうか。
私もちょいとピアノをかじったことがあるからちょっとだけわかるが、これは信じられない神業だ。
それほど素晴らしい演奏なのである。
上手いだけじゃない。
いやもしかしたら、上手くないのかもしれない。
でも、ここまで心を昂らせてくれる演奏はそうそうない。
何がどうなったらこうなるのだろうか。

 

 

ここに至るまでそれこそ命懸けでピアノに向き合ったのだろうと思う。
気が遠くなる程、ずっとずっとずっと弾いたのだろう。
それでも、だからと言って誰でも出来る所業ではないが、時代とか空気とか環境とか、いろいろとないまぜになって奇跡を起こしたのだろう。
そんなことを想像していると、うっすら涙がこぼれそうになる。
我ながら気持ち悪いが、もういいオッサンなんで、これでいいと思っている。
多少気持ち悪いくらいがベリー最高にちょうど良い塩梅なのだ。

 

 

オッサンは甚だ気楽なのである。