なにやら誇らしい気分

おはようございます。
関東甲信越地方も昨日梅雨入りしたそうで、一年で一番好きな時季から一番苦手な時季へと急転直下。
体調を崩しやすい時季でもありますので、くれぐれもご無理などなさらないよう、ご自愛くださいませませ。
さて。
昨日から、阿部海太郎さんの楽曲を聴きまくっているのです。
幾つかの好きなテレビ番組のテーマ曲などに使われてたりして、ずっと気になってはいたのだが、手を出さず終い。
それがふとした切っ掛けでどっぷりハマってしまうのだから日々の生活は面白いものだ。
阿部海太郎さんの紡ぐ音世界は、なんとなく異国の片隅感を出しつつも、でもやはりそれは完全に日本のもので、それも僕的には宮沢賢治的ファンタジーを感じさせてて、聴いたことがないはずなのに懐かしさを感じさせる。

ここまで書いて気づいたのだが、これって二年前に現店舗に移転したときに決めた「いつの時代なのか、何処の国なのかわからないような、そんな店にするんだぜ!」と云う僕が妄想した隠しコンセプトに似てるのだな。
だから惹かれたのか。
そうか、そういうことだったのか。
それにしても、ホント美しい音の調べだ。
ありふれた稚拙な物言いになるが、多分このかたは天才だと思う。
東京芸大卒の1978年生まれか……
我が家の生活BGMとして流したら、少なからず息子に良い影響を与えてくれるのではないだろうか。
息子がいつか、こういう音楽を愛してくれるようになったら嬉しいな。
でも、あくまでもさりげなくだ。
押し付けず、さらりとこういう音楽が自然に流れる空間を作り上げるとしよう。
話は変わる。
今更ながら、僕は映画をいっぱい観る時期と本を読み漁る時期とを重ね合せることが出来ないことに気づいた。
今現在は、本を読み漁る時期に突入したようだ。
何しろ読書欲が尋常じゃない。
『漂流』(吉村昭著)を読み始めたのに、その途中で『64』(横山秀夫著)に没頭し打ちのめされ、ちょっと疲れたので息抜きに『いのちの車窓から』(星野源著)を一日で読み、『SUN』がマイケル・ジャクソンへの想いを込めた曲だと知ってなんだかしみじみし、再び『漂流』を読み始めるも、「これってどうなの?最後まで読めるかな〜」とゆっくりページをめくっているうちに、「嘘だろ?」と絶叫したくなるぐらいの面白さに目を充血させている。
まっこと、読書というのは面白いものだ。
砂に水が染み込むかのように、心にゆっくり入ってくる。
BGM は阿部海太郎。
上等な生活を手に入れられたような錯覚をする。
金はなくとも心は錦っつーのは、こういうことを云うのだろう。
なにやら誇らしい気分だ。
股旅。

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