インスピレーションに従って生きるということ

五十代半ばになるお客さんが、こんなことを言っていた。

「かつては五十歳ともなるとね、人生も折り返し地点をとうに過ぎているわけで、んじゃ、さてこれから “どう死ぬか……”、つまり “どう生きるか……” ってのを考えたと思うんですよ。

でも今は、寿命がグイーンと伸びちゃいましたから、五十歳過ぎても、これから “まだ何かが出来るかも知れない……” ってね。
みんな欲が出て来ちゃったんですよ。

それが良いことなのか、そうじゃないのかはまだわからないけども、こうなる前、人生がここまで長くなる前の壮年期を過ぎてからの生き方ってのがね。

今はもう当てはまらなくなってしまったんじゃないかって思うんです。
だから、自分たちで新しい生き方ってのを見つけなくちゃならないんじゃないかな〜
なんて思うんですよ。
なんつって!」

ボクはそんなお客さんの言葉を聞きながら、そうか〜そうなのかもな〜でもどうかな〜なんて色々思いながら、返す言葉に窮したのでした。

でも「欲が出るのは致し方ないけども欲張りにはならないようにしたいな!」とは思いました。
こういうのには正解はないですからね。

「どう死ぬか」と「どう生きるか」ってのは同意なんだぜって考え方にはビビビと来ました。
ボクは、このビビビが大好物なんで、心のノートにメモっておこうと思います。

「老後をどうするかなんて老後になってから考えればいい、これから想像もつかないような未来が待っているわけで、先のことを考えるよりは今をどう生きるかを考えなきゃ!」

だなんて誰かが言ってましたが、今を生きるってどうすれば良いんですかね。

ホントもう、そこから考えなきゃならない、順調にいけば後三ヶ月で五十歳になるしょうもない床屋のオッサン、それが私です。

インスピレーションに従って生きるってのは、四十代前半に決めました。

行き先は未知ですよ。
なかなかスリル満点です。
面白いです。

ロックンロール。

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